1月 16日 土曜日

今日も他の生徒より早めに登校。

戦闘の痕跡を探して回る。

……何やらかぐわしい香り。

生姜の効いた…牛丼の匂い。

周りをよく見ると…飯粒、茶色い汁、煮込まれた玉ねぎ、そして…肉。

それらがごく少量ずつだが、壁や天井、窓ガラス、床の隅っこに広範囲に飛び散っていた。

一応は掃除の形跡があるのだが、それは大雑把で至る所にこびりついていた。

回りの床には…魔物のものと思われる妙な傷があった。

そして、近くにあったゴミ箱に入っていた2つのカップは……牛丼屋のものだった。

祐一はこんなヘビーな食べ物を夜食に持ち込んだのか?

しかもこんなに飛び散らせて……食べ物を粗末にしてはいけない。

…いや、そういう問題じゃない。早く完全に掃除しなくては!

近くの教室に飛び込みバケツと雑巾を引っ掴む。

全く! 掃除は完璧にやってくれ! しかし……床の傷はどうやって誤魔化そう?

そう思っていたら校門のほうからどよめきが聞こえた。

昇降口から見てみると……野犬?

野犬がうろついているため多くの生徒は校門で立ち往生しているようだ。

新任の体育教諭が金属バットを持って出て行く。

教師側のメンツを保つための鉄砲玉に駆り出されたようだ。

しかし…下手にマスコミに知られて動物虐待などと報道されたりしないだろうか?

あ、あっさり噛まれて逃げ込んできた。

……野犬も連れて。

この体育教諭は何かと高圧的でムカついてたので、扉を閉めて締め出して動物との触れ合いの機会を提供してやろうかと思った。

だが、いくらなんでもそれはあんまりなので教諭が扉をくぐってから閉める。

止まりきれなかった犬が扉に激突。

ガラス越しにこっちを睨んでいたが、やがて校門に目を向けた。

そして、校門へと走り出した。

校門の群集はパニックを起こして逃げ惑う。

見覚えのある褐色の髪の男子生徒が転び、群集に踏みつけられた。

僕のせいだ!

ああするしかなかったとは言え、激しい罪悪感を感じた。

……と、逃げ惑う群衆の中から野犬に向かって、シャベルを手に駆け出す女生徒……川澄さん!?

野犬をシャベルで打ち据え、静止させた。

そして駆け寄った佐祐理さんが手に持っていた包み……弁当を分け与えていた。

とりあえずパニックは収まったようだ。

さっきの転倒して踏みつけられていた男子生徒も無事そうだった。

僕が引き起こしてしまった事態を川澄さんが収束してくれた。彼女には助けられてばかりだな……。

「まったくおっかないよな、あんな顔しておいて」

    「野犬を虐待して憂さ晴らし…」

「窓ガラスを割っていたいけな生き物を虐めて…」

噂話が始まる。

        「そのうち…」

くそ、何もわかってないくせに!

大体あんな顔とはどういう言い草だ。奇麗な顔とあの行動のギャップを言いたいのだろうが、他に言い方があるだろう。

一見無愛想に見えるあのクールな顔に秘められた彼女の優しさ、そして美しさがあんたらには解らないのか?

……って、僕は何を考えている!?

祐一「そのうち、なんだよっ!?」

祐一が陰口を叩く連中に啖呵を切っていた。

少しは溜飲が下がった。

全く、あんないい人が何であんな事を言われねばならないんだ……。

安全になったことで立ち往生していた生徒が校舎内へ入ってくる。

……!!

牛丼の掃除を忘れていた!

今からではもう間に合わない。

僕の行動が目立ったら、僕が川澄さんの尻拭いをしている事に気付かれて弁護の説得力が無くなってしまう。

本当に生徒会の立場を守ろうと考えたら、川澄舞は処分するべきではない。僕は表面上はこういうスタンスで弁護しているのだ。

仕方ない、今回は諦めよう。

………。

……。

…。

放課後……

僕は日直だった。

日誌を提出しに職員室へ行くと祐一がいた。

職員室の隅っこの、段ボール箱がごちゃごちゃと積み上げられている一角をまさぐっている。

そして、横断中の子供が描かれた黄色の旗を引っ張り出して持っていった。

春にボランティアで行った交通安全運動で使った物だ。

一体何をするつもりなのだろう?

昇降口を出ると、川澄さんがさっきの旗を持って立っていた。

一体なぜ……?

と、思っていたら祐一が駆けつけてきた。

どうやら彼がやらせていたようだ。

確かに、ボランティア活動でもさせて彼女のいいところをアピールするという作戦は悪くない。

だが、ここは小学校から離れているため小学生が通ることはあまりなく、彼女の出番はまず無いだろう。

数々の奇行で語られる彼女の伝説に新たな一節が追加されてしまった。

その時、彼女は素早く駆け出して、道路を渡ろうとしていたお婆さんに寄り添った。

いい人なんだけど……本当にいい人なんだけど、なかなか理解はされないだろうなぁ……。

僕が彼女のよさを知る数少ない人間であることに優越感を感じるとともに、理解者の少ない彼女にやきもきした。

………。

……。

…。

同日、夕方……

たまには凝った料理を作りたい、という理由で母さんから晩飯に招かれた。

じっくりと煮込む料理は一度に沢山作らないと旨くないし、冷凍すれば味が落ちるからだろう。

実家のドアを開けると、漆黒の毛皮をまとった猫が飛び出し、擦り寄ってきた。

和弥「よぅ、舞。お前はいつ見ても美しいな」

愛猫、舞だった。

彼女を拾った時、どうにもいい名が浮かばなくて『超能力少女川澄舞』の名を勝手に頂戴したのだった。

彼女を抱き上げる。手入れが行き届いたさらさらの毛並みの感触が気持ちいい。

その時、実家に隣接した会社の駐車場に父さんが乗った軽トラが停まった。

父「お、来たか、和弥。母さんのビーフシチューは久しぶりだろう」

さっきから鼻をくすぐっていた香りは赤ワインやスパイスの効いた母さんの得意料理のソレだった。

         うにゃあ〜

舞のソレとは異なる鳴き声。

声が聞こえた軽トラの荷台を覗き込むと、シャムの雑種と思われる猫が欠伸をしていた。

和弥「あれ? 父さん、この猫どうしたの?」

父「俺は知らんぞ。現場に停めてた時に乗り込んでたのかな」

その猫は僕が抱いている舞に近づき、匂いを嗅ぎ合っている。

試しに手を伸ばすと何も警戒せずに頭を摺り寄せてきた。

          じゃら

うおぉ〜!! 僕の指を舐めた……た、堪らん!…い、いかん。滅茶苦茶可愛い。

舞からこいつに浮気して、抱っこしてほお擦りして一緒に寝たい誘惑に駆られる。

父「どう見ても野良じゃないな、こいつ」

我に返った。

和弥「そ、そうだね。飼い主は今頃探し回ってるんじゃないかな?」

父「じゃあ今から現場まで戻って放してくるか」

父さんがそう言って軽トラックに乗り込もうとしたら……

       「あ、猫ちゃん!」

少女の声。その方向を見ると……

この前ゲーセンの前で見た真琴姉さんそっくりの女の子だった。

荷台の上のシャムを見ている。

和弥「……キミの?」

シャムの背中を掴んで少女の元へ向かう。

少女は、こく、と頷き手を出す。

その手にシャムを乗せてやると、ぎゅっと抱きしめた。

少女「ごめんね……ごめんね……」

彼女はその場を去りながら、抱いた猫にしきりに謝っていた。

一度捨てようとして考え直し、探し回っていたのだろうか?

父「あの子……昔の真琴ちゃんそっくりだな」

和弥「父さんもそう思った?」

父「お前もか…しかし、あの子に妹は居ない筈だから他人の空似だよなぁ」

母さんに呼ばれるまでふたりで少女の後姿を見送っていた。

………。

……。

…。

       1月 18日 月曜日

休み時間のたびに昇降口の横にある公衆電話へと向かう。

あゆの容態を聞くためだ。

ここ数日、あゆの脳波が覚醒時のソレになる時間が長くなってきていた。

もしかしたら……! という期待を抑え切れなかった。

だが、返事は相変わらずで昏睡を保っているとの事だ。

聖先生に焦るなとたしなめられるのだが、それでも電話せずにはいられなかった。

携帯電話を家に置き忘れることがこれほど心細いものだとは思ってもいなかった。

これまで、緊急を要する連絡が来たことなどなかったというのに、なぜ肝心なときに家に置き忘れてしまったのだろう。

短い会話を済ませて切ると、駅前で待ち合わせをしていたあのふたりが駆け込んできた。

祐一が不安な面持ちで電話をする。

あのふたりも何やら深刻な事情があるようだった。

5時間目終了後の休み時間。

性懲りもなく病院に電話をかける。

僕の後ろには先程のふたりが憔悴した顔で待っていた。

でも、申し訳ないが譲るわけにはいかない。

聖先生は席を外していて戻ってこないとの事だ。

まさか、あゆがついに目覚めたのか? それとも、容態が急変したのだろうか? そう思ったら、こうして聖先生が戻るのを待つしかなかった。

結局、痺れを切らしたふたりは去っていった。

オルゴールが鳴り続ける受話器が恨めしい。

そして、もう休み時間も終わりという頃に聖先生が出た。

聖『……私だ。焦るなと言ってるだろう。容態は相変わらずだ、君が電話したからってどうにもならんよ』

和弥「そんな馬鹿な! あゆに何かあったから、すぐには出られなかったんでしょう?」

和弥「覚悟はできてます。本当の事を言って下さい!」

聖『……』

和弥「先生!」

聖『……』

……くそ、何てことだ。こんなのってあんまりだ。

聖『……』

あゆの人生って一体なんだったんだ。

 あゆの父の故郷は父さんと同じで山奥に位置するあの村であった。
 彼は嫌がらせこそ受けなかったものの、未だに『伝統』を固持している村の空気に嫌気がさして 『地元を離れ都会へと出て行った若者』のひとりだった。
 それに、あゆの父はその村の旧家である『月宮家』の長男であったため色々なしがらみがあった。
 彼の結婚相手であり外国人であるあゆの母親に対する風当たりもひどかったらしい。
 所詮、『月宮家』の人間から見れば『余所者』でしかないのだ。
 その上、跡継ぎ候補となる男児を産むこともなく子宮ガンで子供を産めなくなってしまったため、離婚しろ、と圧力を受けていたそうだ。

『跡継ぎ候補である男児』ではなく『余所者の子』であり、母親の外見的特徴を見事に受け継いだあゆに対する風当たりも当然ながら強かった。
 あゆの父が事故で他界してからは、案の定『月宮家』からの生活の支援は無く生活は艱難辛苦を極めた。
 それどころか、籍を抜かず『月宮』の姓を名乗り続けている事そのものが気に食わないらしく、『月宮家』の人間からの嫌がらせが続いていた。

『月宮のおじさん』の事故は決して父さんの会社の責任ではなかった。
 だが、それでも父さんは生活の支援をしようとした。
 しかし、あゆの母親はそれを固辞していた。
 父さんの会社の事務社員としての公正な評価に基づく給料で、懸命にあゆを育てていたのだ。
 父さんが、給料の振り込み先とは別個に作った口座に入金する生活支援金は手付かずのまま相当な額になっていた。
 そんな父さんの空回りしていた誠意は、ある日、最悪の形で活用されることになった。

 あゆの母が倒れた。子宮ガンが転移していたのだ。
 その入院費用が、あの口座からまかなわれていた。
 手術は数回に及んだ。
 それからしばらくして、これまでと違う病棟に入った彼女の見舞いに向かった。

 父さんに連れられて、あゆと共に緊張しながら病室のドアを開いた僕は大いに驚かされた。
 自然な笑顔、落ち着いた態度、明るい表情。
 母国語の訛りが残るが堪能な日本語で、どっちが病人なのか判らなくなるくらいに元気に話していた。
 入院生活について。
 あゆが今より更に小さかった頃の話。
 父さんたちの会社の黎明期。
 更には……彼女と『月宮のおじさん』とのなれ初めというきわどい話まで飛び出した。
 何と、彼女を取り巻く状況は父さんを加えた三角関係にまで発展していたそうだ。
 父さんは、子供の前でそんな話…! と、珍しく狼狽していた。
 もっとも当時の僕らはよく理解できなかったのだが。

 そして……病気の話。
 ガンに伴う疼痛は相当なものだった。
 不安と激痛から情緒不安定になり、暴れたこともあったそうだ。
 自暴自棄になって僕の父さんや娘のあゆに当たり散らし、暴力を振るってしまった事すらあったという。
 ガンの痛みは、人格すら破壊してしまうほどに激しいものだったのだ。
 いつの間にか夕方になって西日が差し込む中、あゆはベッドから身を起こした母親の膝元にもたれかかって寝ていた。
 あゆの頭を優しく撫でる彼女の、まるで聖母のような姿からは暴力を振るう光景なんて想像できなかった。
 ガンだからと言って必ず死ぬわけじゃない。これだけ元気に話しができるんだ、すぐに退院できる。そう考えていた。

 ……だから。
「早く治るといいね。あゆのお母さんが秘伝のレシピで作るクッキー、また食べたいよ」
 帰る時、眠ったままのあゆを背負い病院の廊下を歩く父さんに、無邪気にそう言った。
 横を歩いていた父さんの脚が視界から消える。
 父さんは僕の後ろで立ち止まっていた。
「……父さん?」
 立ち止まっていた父さんはしきりに何かを考えていた。

「……おじさん?」
 目を覚ましたあゆは怪訝な顔をする。
「ふたりとも、よく聞くんだ」
 父さんは背中から下ろしたあゆと僕に神妙な顔をして口を開いた。
「ここはな…ホスピスといってな」
 初めて聞く単語に当惑する。
 父さんはまだ迷っているのか話の途中で沈黙し、手を何度も開いたり握ったりしていた。
 そして深呼吸してふたたび口を開く。

「末期ガン患者が、暮らす場所なんだ」
『末期』……その状況がテレビドラマなんかじゃなく、ごく身近な人物に実際に発生している事を理解するまで数秒を要した。
     つまり、助からない状態であること。
 父さんは説明を続けた。
 ここは『治療』を行う場所ではないこと。
 体や精神の痛みを和らげる『処置』を施して、患者に残された時間を安らかに過ごせるようにする場所であること。
 父さんは床に片膝をつき、あゆの肩に手を置いて話す。

「お母さん、穏やかだったろう?」
 あゆは震えながらも頷く。
「もう退院できない。お母さんは、その事をもう知っている」
「……」
 あゆは沈黙を保つ。

「これからも見舞い、行くか? 辛いぞ?」
 あゆと僕を交互に見ながら父さんは言った。
「うぐぅ……」
 あゆは涙ぐみながら唸った。喉が言うことをきかなくなっているようだ。
 大の大人でも重い、まして、幼い子供である僕たちにとっては重過ぎる問題だった。
 僕も、あゆも、何も言うことができなかった。
 そして父さんも何も言わず、僕とあゆを引き寄せ、抱きしめるだけだった。

 それから僕とあゆが見舞いに行くことはなかった。
 確実な死を前提とした空間に足を運ぶ勇気など持てるわけがなかった。
 それに、あゆの母親の前で泣かずにいる自信がなかった。
 かと言って元気に遊んで気を紛らわす事もできず、我が家に預けられる事になったあゆと、ただ陰鬱な空気を漂わせたまま過ごす日々が続いた。
 ……今でも、そのことを後悔している。
 母親なら、残り少ない時間を娘と過ごしたいと考えるだろう。だが、父さんは強引に僕たちを連れて行こうとはしなかった。
 そして、あゆの母もそれは望まなかった。
 子供には衝撃が強すぎる。
 一生、傷を抱えて生きることになる。そう考えたのだろう。

 ……だが、それは間違いだったと思う。
 もちろん傷つきはするだろう。だが、それを時の流れが乗り越えさせたときに得る強さは、決して小さくないと思うのだ。
 それもまた、成長の一つの形ではないだろうか?
 どんな形でも後世に残せるものがあるならば、それは喜ばしいことだと思う。
 それに、見舞いに行って泣いてしまっても良かったのだと思う。
 自分のために泣いてくれる…自分は、それだけその人にとって大切な存在であるという事を実感できるのだ。
 それは、嬉しい事だと思う。
 あのとき父さんがそう導いてくれたなら、あゆの母親とのお別れも、落ち着いて受け止められたと思う。

 父さんの仕事の関係で、僕があゆのアパートに預けられる事も少なくなかった。
 僕にとってあゆのお母さんは、もうひとりの母親と言っても過言ではない存在だったのだ。
 だから、泣いてしまったとしても、傷ついたとしても、見舞いに通うべきだった。
 もっとも、こんなの大人の後知恵に過ぎないが。
 それに、仮に今の僕が同様の状況に置かれたとしても、そうすることができるだけの強さがあるとは思えなかった。

 陰鬱な日々が続く中、あゆを元気付けようとして縁日に行ったことがある。
 少しでもあゆが笑顔を取り戻すことができれば…そう考えていた。
 だが、浅はかだった。
 神妙な目で金魚を睨む女の子。男の子を肩車する父親。ウサ耳のカチューシャを買う男の子。眠ってしまった女の子を背負う母親。
 いくつもの楽しそうな家族の光景。
 その中に居続ける事は、陰鬱な気持ちに拍車をかけるだけだった。
 苦し紛れに小遣いはたいて、たこ焼きや動物を模したカチューシャやお面を買ったりするが、あゆの笑顔を取り戻すことはできなかった。
 そもそも口を開くことすらなかった。
 もう帰ろうと思ったときにようやく口を開いた…と、思ったら、
「たい焼き……」
 と、季節外れのものを所望する始末だった。

 あれからも色々なところにあゆを連れて行った。だが笑顔は取り戻せなかった。
 むしろ、不安に押しつぶされそうになる自分を、そうやって支えようとしていたのだと思う。

 夏休みの終わりごろ、あの麦畑に行ってみた。
「ここに学校ができるんだって」
「学校……?」
「うん。お父さんの会社で、あゆのお父さんと僕のお父さんが設計した学校の校舎をここに作るんだ」
「おとうさん……」
 うつむいた。思い出させてしまったようだ。
 前はあの女装の写真で笑いを取れたけど、もう効果は無くなっていた。多用しすぎたのだ。
 写真で駄目なら生で女装して見せるか? そんなわけにもいかないだろうなぁ……。
 ……よし。

「指きり、しようよ」
「ゆびきり……?」
「うん。大きくなったらさ、その学校に僕と一緒に行こうよ」
「……」
「ほら」
 差し出した手の小指を立てる。
 あゆはそれに自分の指を絡めたが、表情は相変わらずだった。所詮は思い付きだったから仕方ないか。

 帰るとき、視線を感じた。
 目を向けると、見覚えがあるウサ耳のカチューシャを身に着けた女の子がいた。
 少女に見覚えがあると思ったら……
        『超能力少女川澄舞』
 前にTVで見たのだが、どうしてもトリックを見抜けなかった『超能力者』だった。
 いい機会だから話をしてトリックを教えてもらおうと思ったが、もう日没なので帰ることにする。
 ……寂しそうな顔が気になっていたが。

『その日』がついに来た。
 冬休みが始まった頃だった。
 朝もやを掻き分け、父さんが軽トラを飛ばす。
 助手席で、僕はあゆとふたりで窮屈そうに座っていた。
 だが、セダンの車の後部座席に座っていたとしても、身を寄せ合ってあゆの温もりを感じていようとしただろう。
 自分の温もりを伝えようとしていただろう。
 自分に守るべきものができた。そう感じていた。
 その思いは少年特有の正義感に後押しされて、あゆが大事な存在だと実感させ、あゆを守る事が自分の義務だと信じることになった。
 そうしないと、自分がどうにかなってしまいそうだった。

 あゆのお母さんが最期を迎えることも、それであゆが悲しみに打ちひしがれる光景も、僕にとって押し潰されそうなくらいに辛いものだった。

 病室に駆け込む。
 先行していた僕の母さんや父さんの会社の同僚や友人が集っていた。
 そして、あゆの母は気力を振り絞るようにして父さんや僕達に言葉を発する。
 同僚に対し世話になったお礼や後輩への激励。
 友人への別れの言葉。
 そして父さんに色々と話す。
 秘めていた想い。そしてこれからのこと。
 次に僕が呼ばれた。
「和弥君…あゆと仲良くしてやってね。あの子、キミのこと兄妹みたいに慕ってるから」
 頷く事しかできなかった。気の効いた言葉なんて浮かばなかった。

 そして最後にあゆが呼ばれた。
 母として、娘にさまざまな事を伝える。食べ物の好き嫌い、勉強、これからのこと。
 あゆもまた、頷くことしかできなかった。
 しゃくりあげながら、お母さんを呼ぶ事が精一杯だった。
 それから静寂が支配した。
 やがて父さんが泣き崩れる。
 同僚と思われる大柄な男は悔しそうに壁を殴りつけた。
 そして…あゆはただ、母親の手を握り続けるだけだった。

 しばらくして、全員病室から出された。あゆの母親の体に繋がれていた点滴のチューブを取り外し、死に化粧を施す最後の処置のためだった。
 廊下には僕と両親とあゆだけが残っている。
 その時、高級そうな和服を着た高齢になる女性が歩み寄ってきた。
 彼女を見たあゆの顔に怯えが走り、父さんの顔は険しくなる。
 そして、父さんはあゆを守るように彼女の前に立ちはだかった。
「…またあなたなの? どいて下さらないかしら。私はあの余所者の子に用があるの」
 その女性は心底面倒くさそうに言い放った。

「…あんたらはまだそんな呼び方をするのか!」
 怒気をはらんだ声。
 父さんの軽トラに積まれていた工具をいじって危うく怪我をしかけた僕を叱った時ですら、あんな凶暴な顔はしなかった。
「あの子に『月宮』の姓は名乗らせないわ」
「……あんたは、こんな時にわざわざそんな事を言いに来たのかっ!」
「大事な事よ。あの余所者の女が私の息子をたぶらかしたのよ? その上、その余所者の子が『月宮』の敷居をくぐるなんて許せるわけないでしょう?」
 そう言って手にした巾着袋から『○○園』という文字が印刷されたパンフレットを取り出す。

「…施設か。あんたにしては珍しく正しい判断だな」
「ふん、狐憑きの子が偉そうに。何様のつもり?」
「はぁ…一生言ってろ。そんなんだからあの村は過疎になるんだよ。それに、あゆは『月宮家』なんかに居るくらいなら施設のほうがずっとマシだ」
「ずいぶんなお言葉ね。あなたは別にあの余所者の子と何の関係も無いでしょう?」
「うぐぅ…」
 自分の処遇を巡って言い争うふたりの声にいたたまれなくなったのか、あゆは駆け出した。
「あ…!」
 父さんは愕然とした。怒りに我を忘れていた自分を責めているようだ。
 あゆの前でする話ではなかった…と。

「僕行ってくる!」
 立ち上がった僕の顔を見て父さんは力強く頷いた。
「…頼んだ」
 背中越しに更なる言い争いが聞こえる。
「ちょっと……どういうつもり? 別にあなたは、あの余所者の子の保護者でも何でもないでしょう?」
「今から俺が保護者だ! 元々そのつもりだったんだ。うちで引き取る。それで文句は無かろう! だからもう、あの村に引っ込んでろ! 二度と出てくるな!」

 嬉しかった。あゆがうちの子になる。ひどい事を言う親戚との縁が切れる。
 そして…あゆと一緒に居られる。

    『…和弥君? どうしたんだ?』

我に返った。思考は過去へと飛んでいたらしい。

和弥「…いえ、何でもないです。それで、あゆはどうなったんですか?」

聖『だから相変わらずだ。脳波はともかく見た目は眠ったままだよ』

和弥「嘘だ! それなら何で電話出るのにあんなに時間かかったんですか?」

聖『それは…』

和弥「…覚悟は、できています。本当の事を教えてください」

しばしの沈黙の後…

聖『……苦戦してたんだよ』

苦戦…!? あゆは苦しんでいたのか!?

せめて眠ったままで最期を迎えられたなら、そう思ったのに、最期は苦痛に彩られていたと言うのか?

和弥「そんな……そんな……」

聖『……!? 何か、誤解していないか? 私はトイレに行ってたんだよ』

和弥「…へ?」

和弥「トイレで…聖先生が苦戦!? それって…」

聖『ふん、デリカシーのない奴め。そんなんじゃ女性にもてんぞ』

和弥「あは……あはは、あはははは……」

気の抜けた笑いが止まらない。

聖『果報は寝て待てと言うだろう? 君が焦ったってどうにもならん。あの子を信じて待つんだな』

和弥「……はい」

聖『……それはそうと』

和弥「……?」

聖『この時間なら…六時限目、授業は大丈夫か?君が物思いにふけってる間にチャイムらしき音が電話から聞こえたのだが』

 

 


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