腹が減ってきた。食料の買い置きは無くなっていたので外食しようと思い、新聞折り込みチラシの割引クーポンでできた山をまさぐる。

そのとき、今の時刻がかつて生徒会で行っていた夜間の見回りの時刻である事を思い出した。

僕が彼女に会いに行っていた時刻であることも、思い出した。

彼女の戦いの目的が、学校を守る事ではなく魔物の討伐そのものだったとしたら、退学になったとしても夜の校舎に出向いていることだろう。

あの頃も彼女は停学などお構いなしで夜の校舎に出没していたのだから。

彼女も腹をすかしているのだろうか?

ここ数日は飲食の形跡があったことを思い出す。

夜食を差し入れてやるか。

祐一の差し入れとかち合うかもしれないが、その時は仲良く夜食会だ。

いい機会だ。祐一にも色々と話しておくべきことがある。

呑気に夜食を食べる余裕があるのだ。情けないが戦闘になったらさっさと脱出すれば僕が足を引っ張ることはないだろう。

そして……

川澄「……」

和弥「……」

月明かりしかない夜の校舎で見詰め合うふたり…事情を知らない者が見れば、何やらロマンチックな物語を想像するかもしれない。

しかし実態は、ただ単に話が弾まないだけだった。

とりあえず挨拶した。だが、彼女は目をこちらに向けるだけだった。そこから先に進まない。

ともすると、睨まれてるようにも思える。

彼女は、僕が生徒会や教師を牽制している事を知らない。

彼女の目から見れば、僕は敵である生徒会の人間のひとりでしかない。

それに、戦いの足を引っ張る邪魔者でしかない。

そもそも、そう考えたからこそ夜の校舎へ出向くことをやめたのではなかったか。

聞くべきこと、話すべきことはあるのだが、その糸口が見つからない。さて、どうしたものか……

          ぐぅ〜

……。

        ぐきゅるるる〜

……。

静寂に満たされた夜の校舎に、彼女の状態を如実に表す切ない音が響き渡った。

だが、彼女の表情には何の変化も見受けられない。

和弥「…僕は何も見なかった。何も聞かなかった」

川澄「……なんのこと」

和弥「……」

彼女は本心から疑問に思っているようだ。すっとぼけているようには見えない。

川澄「……お腹空いた」

腹の虫の音を聞かれて恥ずかしい、という概念はないのだろうか?

和弥「よかったら、この牛丼食べるかい? 割引クーポンがあったから夜食に買ってきたんだけど」

そう言って手にした袋を掲げる。

川澄「…嫌いじゃない」

和弥「それはよかった。ねぎが多いのと、汁が多いのと、普通の、どれがいいかな?」

川澄「……」

川澄「…ねぎが多いほう」

和弥「お、本当の通だね。玉子もつけるかい?」

川澄「…相当に嫌いじゃない」

次から店員にマークされるというリスクは、僕が引き受けよう。

彼女は差し出された牛丼の袋を受け取る。

そして、壁に立ってもたれ、手を下ろした位置に剣を立てかけた。

どうやら、丼と箸で両手を塞がれてもすぐに剣を装備できるように計算した体勢のようだ。

前に牛丼の残骸を発見したから好物だと思って、考えなしに買ってきてしまった事を後悔したが、さほど戦闘の妨げにはならないようだ。

そして玉子を手にする。

額に当てて割ろうとして、これが生であることを思い出したのか静止する。

しばらく回りを見回した後、玉子を剣に当ててひびを入れ、片手で丼に割り入れた。

割り箸を口で咥えて、ぱんっ、と小気味よい音を立てて片手で奇麗に割って、黄身をほぐして軽くかき混ぜ、食べ始める。

和弥「おいしいかい?」

川澄「……おいしい」

和弥「それはよかった」

僕は残ったふたつのうち、小一時間問い詰められそうな汁の多い牛丼を手に取る。

和弥「今夜は、祐一はいないんですか?」

蓋を取りながら質問する。

川澄さんが牛丼を食べる手が止まる。

川澄「…約束した。私が生徒として学園に戻ってくるまでは会わないって」

和弥「では、川澄さんは学園に戻りたいと考えているんですか?」

こく、と頷く。

川澄「祐一は嫌いじゃないから…一緒にいたい……佐祐理と三人で」

喜ぶべきだろう。川澄さんがこの学園に戻りたいと考えていることが判ったのだから。

しかし、祐一と一緒にいたいという彼女の言葉が僕を動揺させる。

『嫌いじゃない』と言う表現、そして佐祐理さんと三人でいたいとの事。

彼女の『嫌いじゃない』はどのような形なのか?牛丼との関連性は?

そして、なぜ僕が彼女の個人的な人間関係に一喜一憂しているのか。

僕が立てたスレッドに書き込まれた吉○家コピペ後半の一文が脳裏をよぎる。

 お前、あの不良の女が好きなだけちゃうんかと

頭の中にねぎが多めに盛られた牛丼が現れ、小一時間問い詰めてきた。

川澄「……どうしたの」

和弥「あ、いや、その……」

          ギシィ

何かがきしむ音。

……!

川澄「…牛丼、お願い」

川澄さんが牛丼から手を放す。

僕はそれを慌てて受け止める。

川澄「…頑張って」

川澄「…まだ食べかけだから」

和弥「え? それはこの牛丼を死守しろと?」

こく、と頷き、駆けていった。

……庇護する対象が増えてしまった。

この三杯の牛丼(三杯目は、当然ながら祐一の分として買った)の安全を考えるなら……

逃げるしかないか。

両手に食べかけの丼を持ち、残りの手付かず普通盛り牛丼は袋に入ったままなので指に引っ掛けて持った。

川澄さんとは逆方向へと走る。

とりあえず二階に登ってしばらく歩いたところで壁にもたれて待つ。

静寂。

耳を澄ますと、走る音、そして何かにぶつかる音が時折聞こえる。

そして……大きくなる。

近づいている!?

階段から川澄さんが駆け上ってきて一旦僕を見た。

その後、階下を見据え剣を構え、振り下ろす。

しかし空振りし、彼女は突き飛ばされて壁にぶつかる。

床に落ちた剣は回転しながらこっちに滑ってきた。それと共に床の音が僕に迫ってくる。

衝撃。

僕も壁に叩きつけられ、守るべき牛丼を取り落としてしまう。

そして、立ち上がろうとして右手に違和感を感じた。

強い圧迫感、そして壁に張り付いたまま動かない。

魔物がそこにいて、僕の右手を壁に押し付けている!?

圧迫感が強まる。

全身が総毛立った。

和弥「うわぁぁぁぁ!」

拘束された右手の辺りの空間に闇雲に蹴りを繰り出すが素通りし、壁に当たる。

通常の方法では攻撃どころか触れることすらできないというのか?

どうにか身を起こした川澄さんが視界に入る。

彼女の目線を追うと、牛丼の汁にまみれた剣が僕の足元にあった。

これなら!

想像以上に重量があった剣をどうにか左手で持ち、拘束されたままの右手の辺りの空間に切りつける。

だが、蹴りと同様に空振りし、壁に当たる。

そして右手は信じられない力で前方に引っ張られ、僕はそっちの壁に叩きつけられた。

あの剣でもだめなのか? 武器が特別というわけではない?

攻撃には川澄さんの『力』が必要だというのか?

川澄さんが駆け寄ってくる。

川澄「……無理はしないで」

前傾姿勢で走っていた彼女は素早く剣を拾い上げ、そのままの勢いで目の前の空間を薙ぎ払った。

剣は途中で不自然に動きが鈍る。魔物に当たっているのか?

その空間にもう一度剣を振り下ろすが、そのままの勢いで床に当たる。

そして床がきしむ音が遠ざかっていった。

川澄「…逃げられた」

和弥「そ、そうか。でも、お互い無事でよかった」

埃を落としながら立ち上がる。

川澄「……無事じゃない」

…? あ、牛丼か。足元を見ると守るべき牛丼は3つともひっくり返って無残な姿を晒していた。

和弥「また買ってきますよ、川澄さんさえよければ」

そう言って頭を上げようとした瞬間、後頭部を押さえつけられた。

          れろん

え……!?

目の前にほっそりとした首、額に温かく柔らかい感触。そして焼けるような痛み。

和弥「…な! ……ななな……何ですか!?」

心臓が破裂しそうなくらいに激しく脈打ち出す。

川澄「……額、切れてる」

和弥「え? あ」

さっきの感触の場所に手をやると、刺すような痛みと共にぬるりとした感触があった。

指先を見ると血で濡れていた。

そして額に何か柔らかいものが押し当てられる。ハンカチのようだ。

和弥「あ、済みません。後で洗って返します」

川澄「……いい、血の染みは落ちないから」

そう言った後、僕の足元を見て彼女は落胆した。

和弥「済みません、守りきれなかった」

川澄「……それは私も同じ」

……え?

川澄さんも同じ……守るべきものを守れなかった?

何を……僕?

僕を護ろうとしていた?

……やはり僕は足引っ張ってるか。

やっぱり来てはいけなかった。戦闘になったら、さっさと脱出すればいいという考えが浅はかだった。

川澄「……もう来ない」

……そうだよな。もう来ないほうがいいな。

川澄「今夜はもう出てこないと思う」

あ、そういう意味か。

        ぐきゅるるる〜

……。

川澄「……2、3口しか食べられなかった」

和弥「そんなこと言われても」

川澄「……さっき、また買ってくると言った」

……何たる地獄耳。

…って、え?

和弥「じゃあ、明日も差し入れしにきていいんですか?」

こくり、と川澄さんが頷く。

和弥「えっと…明日もねぎ多目の玉子付きでいいですか?」

こくりっ、川澄さんが勢いよく頷いた。

川澄「……相当に嫌いじゃない。それに……」

和弥「それに?」

川澄「……学園に戻れないと、祐一が差し入れに来ない」

こけた。

川澄「……どうしたの」

和弥「まさか、差し入れがあれば誰でもいいとか思ってません?」

川澄「………」

川澄「……」

川澄「………」

川澄「……」

川澄「…思ってない」

和弥「今、考えてませんでしたか?」

川澄「…そんなことない」

和弥「にしては、長考してたような…」

和弥「まあ、とにかく明日、牛丼を差し入れに来ますよ」

川澄「………」

和弥「それより、後始末しないと」

そう言って掃除用具を引っ張り出す頃には、川澄さんは帰ってしまっていた。

掃除を済ませ、持参しておいた速乾性のパテで剣による破損を修復してから帰宅する。

手にした血染めのハンカチを見た。

やっぱり川澄さんはいい人なんだよなぁ……。

って、彼女に何も状況を説明していなかった!

何やってんだ僕は……。

………。

……。

…。


5話
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