1月17日(日曜日) PARALLEL
まったく、こないだはどうかしてた。
結果的にはよかったものの、これからは自制心をちゃんと持とう。
いや、でも秋子さんが相手じゃなかったらあんなにべらべらとはしゃべらないか……
つくづく恐ろしい人だな…秋子さん。
病院への道すがら、僕はそんなことを考えていた。
ちなみに今日は日曜日。
当然仕事はない。
何をしてたかというと……図書館で本の散策をしていたのだった。
いつ見てもいいものはいい。
僕は図書館に入るなり、ごんぎつねとぶんぶく茶釜を読んだ。
しかし、子連れの奥様がたから冷たい目で見られ泣く泣く児童文学コーナーから出て行く羽目になったのは悲しかった。
中年男が童話を読むのが悪いと誰が決めたのやら……
仕方なく郷土の資料を眺めていたのだが、久々に見てみてみると新鮮なものがある。
ものみの丘の狐達の話は、いつ見ても僕を童心に返らせてくれる。
仕事以外で資料に熱中したのは何年ぶりだろう?
それにしてもあの資料のコーナーに高校生くらいの女の子がずっと座っていたのには驚いた。
あの歳からああいうものに興味を示すとは、おばさんクサイ……いや、実に感心な学生だ。
いずれ僕の前に生徒として現れるかもしれないな。
日曜日の病院は静かだ。
外来がいないので、中にいるのは入院している人とその家族ぐらいである。
慣れてしまうと不思議なもので、今ではこの病院は我が家のようなものだった。
全く寄り道することなくあの子の病室に向かった。
……ん?
何だ?
僕は最初何かの間違いかと思った。
看護婦さんではない。
久しぶりに訪れた雪の街。
そこはいつもと変わりなかった。
何もかもが
しかし、今年は違った。
見えないところで何かが起きていた。
そんな中……
あの子が眠る場所で、僕は一人の少女に出会った。
全く見知らぬ少女があゆの病室の前に立ちつくしていたのだ。
なんだか今にも溶けてしまいそうな儚げな印象を受ける。
少女はあゆの病室のプレートに釘付けになっているようだ。
僕は少女に手を伸ばそうとしたが、慌てて引っ込める。
あ、危なかった。
数日前の痛い記憶が一瞬フラッシュバックする。
今肩に手を置いていたら、間違いなく変質者扱いされるところだった。
そこで僕は落ち着いて声をかける。
そう、できるかぎり何気なく自然に。
「どうかしたのかい?」
「え……」
少女は心ここにあらずといった感じの目で振り返る。
「えと、どなたでしょう?」
が、すぐに落ち着いた表情になって、僕に問い掛けてきた。
「あ……」
何てことだ。
僕はこんな年の離れた少女相手に一瞬どきりとしてしまった。
なんてかわいい子だ。
正直にそう思った。
「あ、いや、僕はこの病室にいる子の父親だが……娘のお見舞いかな?」
とりあえず無難な線で質問をした。
あゆのお見舞いにきた人は、僕と秋子さん以外6年間誰もいない。
いまさら、あゆのクラスメートがやってくるとも思えないし、少女の正体は全く検討もつかなかった。
「いえ、知ってる人と名前が同じだったから気になったんです」
「それだけ?」
「はい……それだけ…です」
なんだかおかしい。
それだけという割には、妙にたどたどしいしゃべり方だ。
ひょっとして……いや、ありうる。
聞いてみる価値はあるかもしれない。
「街で赤いカチューシャをつけた、自称『ボク』の女の子に会ったのかい?」
「えっ?」
唖然とした様子で口をぽかんと開ける少女。
脈ありな反応だった。
僕はたたみかけるように次の言葉を口にした。
「口癖は『うぐぅ』とか?」
我が娘ながら、なんて説明しやすいんだろう。
自称『ボク』と『うぐぅ』だけでたいていは事足りる。
「じゃあ、あのあゆさんはやっぱり……」
「ああ、僕の娘、月宮あゆだよ」
「でも、月宮あゆさんっていったら7年前から……ここで」
少女の取り乱しようは数日前の僕たちを見ているようだった。
「そのことについては僕もよくわかっていないんだ。娘は今もここで眠ったままだし。娘に会ってみるかい?」
実際にあゆの姿を見てもらったほうが早いだろう。
「いいんですか?」
少女はおどおどした口調で尋ねる。
「かまわないよ。どうせ退屈していたところだし、話し相手になってくれないかな?」
「あ、はい」
ん、ちょっと待てよ。
どうしてこの子は休日の病院にいるんだ?
しかも、重病患者が多いこのフロアに。
重病患者のフロアに美少女……
「美坂栞」
思いついた名前を口にしてみる。
「えっ?」
少女はびっくりしていた。
名前が当たっていたのだろう。
「どうして私の名前を?」
怪訝そうに、視線をそらしながら僕の表情を伺う美坂栞。
不審人物を見るような視線が痛いが、気にしないことにしよう。
いや、気にしたら負けだ。
「やっぱりそうか。美坂記念総合病院の薄幸の美少女と言えば、病院内では有名だからね」
「あ、そういえば私ここでは有名人でしたね」
ああそうでした、という感じで美坂栞は指を口に当てた。
なんというか……とてもかわいらしい仕草だと思った。
この病院には二人の有名な患者がいる。
一人はもちろんうちのあゆ。『眠り姫』という名で噂されている。
そしてもう一人、『薄幸の美少女』という名で噂される少女がいた。
それが美坂栞である。
病院経営者の娘にして、死の病に冒されているという話だったが……
「言葉のあやだと思っていたが、本当に美少女だな」
「わ、人に言ってもらったのは初めてです」
美坂栞は顔を真っ赤にして言う。
が、とても嬉しそうだ。
本当にこれが死を目前にした少女なのか?
「…………」
僕はその次にどう声を出していいのかわからなかった。
それを察したのか美坂栞は口を開く。
「あの…私は噂どおりもうすぐ消えちゃいますけど、気にしなくていいですよ。普通の女の子と思って接してください」
「あ、うん。そうするよ」
信じられない言葉だった。
この子は自分の命をなんとも思っていないのだろうか?
いや……、もう自分の命を運命と割り切ってしまっているのだろう。
今会ったばっかりだったが、僕はこの美坂栞という少女に強く惹かれた。
何故かはよくわからなかったが、恋愛とかいうものではないのは確かだ。
「それじゃあ、あゆさんに会わせてください」
美坂栞はそう言って僕に笑顔を向けた。
その笑顔の向こう側に……
僕はこのあいだまでの自分の姿を見た。
どうせ何も変わらないし、何も出来ない。
そう思いながら病院に来ていた自分の姿を。
僕はその空虚な笑顔が無性に悲しかった。
あゆの病室で僕たちはお互いにあゆの話をした。
不思議な子で、あまり熱心に話を聞いてくれるものだから、7年前のあゆとの出来事も全て話してしまった。
そのお返しか彼女も自殺を図ったことなど、かなりプライベートなことまで話してくれた。
会って間もない僕たちだったが、お互いのことをそれなりに理解したと思う。
「これからあゆさんはどうなるんでしょう?」
ひとしきりお互いのことを話し合ったあと、美坂栞はこう訊いてきた。
「さあ、それは僕が知りたいよ」
「目を覚ますんでしょうか?」
「覚まして欲しい。僕は今祐一君といるあゆがそのためにあがいていると思いたい」
それを聞いて美坂栞はあゆの顔を見つめて誰に言うともなく呟く。
「起きないから奇跡って言うんです」
「え?」
「でも、現実にも奇跡ってあるんですね」
美坂栞はあゆが今祐一君のところにいることを言っているようだ。
「私、これであゆさんが目覚めたら……奇跡は起きるんだって信じてみたいです」
僕はこの時美坂栞の目に光がともったことを見逃さなかった。
全てをあきらめている少女が、あゆの目覚めに一縷の望みを持ったようだ。
もし、彼女が生きているうちにあゆが目覚めたら……彼女の中で何かが変わるのではないか?
僕はなぜかそんな気がした。
「またここで、話し相手になってくれませんか?」
「僕は構わないが、君はいいのか?」
こんな知り合ったばかりの男と部屋に二人きりというのを両親が知ったらどう思うのか心配である。
「他に私の顔を真っ直ぐ見てくれる人はもういないですから……」
「そうか、悪いことを聞いた。うん、いつでも来てくれて構わないよ」
さっき彼女が普通の女の子としてと言った意味がようやくわかった。
もうすぐいなくなる彼女と心を通わすことは辛いことだ。
だからみんな彼女とは距離をおきたくなるのだろう。
そういう意味では僕は丈夫な方だ。
妻を亡くした直後にあゆの笑顔を失って以来7年、生きてるとも死んでるとも言えないあゆを見続けているのだから。
ある意味死に対して鈍感ともいえる。
生きている幸せから疎遠になっているとも言えるだろう。
あゆの居場所を守る決心をしたとはいえ、生きていることにそこまで魅力を感じているわけでもない。
ある意味僕と彼女は似たもの同士なのかもしれない。
「それではさようなら、です」
ふわっと羽毛のように立ち上がり、身を翻すと、美坂栞はそう言って部屋を立ち去っていった。
食事に行く前に僕は噂好きな顔見知りの看護婦さんに、美坂栞のことを訊いた。
すると意外な答えが返ってきた。
最近の彼女はどういうわけか持ち直したらしく、今の調子なら春まで持つのでは、ということだった。
病は気から、というのは結構当たっているものだ。
おそらく、彼女が今日教えてくれたあゆや祐一君との出会いが彼女に生きる気力を持たせたのだろう。
しかし、あくまで春まで生きられるかもしれないだけで、それだけだった。
いかに彼女が頑張ったところで、あと10年や20年も生きられるわけではない。
……何を考えているんだろう?
彼女は今さっき会ったばかりの他人じゃないか。
赤の他人の僕が、彼女の先のことを心配してどうとなるわけでもない。
馬鹿らしい……と思いつつも僕は何となく彼女のことが放っておけない気がしていた。
NEXT
2章のTOPへ
感想いただけると嬉しいです(完全匿名・全角1000文字まで)