「で……さようならしたんじゃなかったのかい?」
「いつ来ても構わないって言いましたよね?」
 食事が終わって、あゆの病室にもどると、美坂栞が椅子にちょこんと腰掛けて待っていた。
「確かに言ったが……」
 明日からのことだと思っていた。
「あ……」
 美坂栞は話しかけようとして黙る。
「なんだい?」
「えと、なんてお呼びすればいいんでしょうか?」
 ああ、そういうことか。
 考えてみれば、さっきまではお互い自分のことしか話しておらず、本当の意味で話をするのは今がはじめてだった。
「そうだな……おじさまとでも呼んでくれ」
 冗談で言ってみたのだが、途端に美坂栞はしかめっ面をする。
 そんなに悪い冗談を言った覚えはないが。
「そんなこと言う人嫌いです」
 ぷんぷん、という擬態語がぴったり合いそうな表情で美坂栞が怒る。
「祐一さんには『お兄ちゃんと呼んでいいぞ』って言われました」
 祐一君の同類扱いされたわけか……
 しかし、こういう冗談はまだかわいい方だ。
 以前女生徒に『パパと呼んでいいぞ』と馬鹿な発言をして問題になった友人を知っている。
「冗談だ。月宮さんとか月宮教授とでも呼んでくれればいい」
 それを聞いて美坂栞はきょとんとした。
「教授さんなんですか?」
「うん、民俗学を研究している」
「そうなんですか。でも、なんだか堅苦しくなりそうだから月宮さんって呼ばせてもらいます」
「君のことは栞ちゃんでいいかな?」
「はい。それでいいです」
 栞ちゃんはあらためてよろしくといった感じで微笑んだ。
「それで何か話があるのかい?」
「いえ、何もないです」
 栞ちゃんはニコニコしながらそう言い切った。
「一体なにをしに来たんだ……もういい、帰りなさい」
 呆れたようにそう言うと、非難の視線が即突き刺さる。
「そんなこと言う人嫌いです」
「……それで僕にどうしろと?」
 なんて扱いの難儀な白雪姫なんだろう。
「私まだ夕飯食べてないんです。軽く食事のできるところに連れて行ってもらえませんか?」
「僕はもう食事をしたぞ」
「デザートでも食べて付き合ってくれるだけでいいですから」
 デザート……しまった見落としていた。これはおいしい。
 何を隠そう、僕はデザートに甘いものを食べるのが大好きだ。
 しかし、中年男が一人でデザートを食べるのは恥ずかしく、喫茶店でデザートを食べたのは7年前が最後となっていた。
 だが、栞ちゃんと一緒なら話は別だ。
 堂々と喫茶店に入ってデザートを食べられる。
「よしっ、行こう」
「あ、あの目が血走ってますよ」
 栞ちゃんが苦笑しながらこっちを見る。
 が、そんなのは気にしない。
 もう時間的にもぎりぎりだ。急いで行かないと喫茶店も閉まってしまう。
「わ、わ、置いていかないで下さいよ」
 さっさと歩き始めた僕を、栞ちゃんが慌てて追ってきた。







 僕たちは商店街にある喫茶店『百花屋』に来ていた。
 店の雰囲気は7年前と変わりがない。
「イチゴサンデーをお願いします」
「私はバニラアイスを」
 店員に注文を終えたところで、栞ちゃんに訊く。
「君の晩御飯はバニラアイスなのか?」
「好きですから」
 栞ちゃんはにっこり微笑んでそう答えた。
 その瞳には何の迷いもない。
「いやそうじゃなくて」
 バニラアイスはデザートではないのか?
 少なくともおかずではない。
「カレーとかだってあるのに」
「カレーなんて致死毒を私に食せって言うんですか?」
「ち、致死毒って……たかがカレーだろう?」
「私辛いのは苦手なんです」
 なんだそういうことか。
 しかし、面白い子だな。
 まるで……まるで、何だというんだろう?
「ならスパゲッティーとかでも頼めばいいのに」
 そういうと栞ちゃんはすまなそうな顔をした。
「私、内臓も弱っちゃってるみたいで、食欲がないときは本当に食べられないんです。バニラアイスはいつでも食べられるんですけどね」
「そうなのか」
 食べられないなら無理にすすめることもないだろう。
 栞ちゃんの場合アイスでも食べないよりはマシと言える。
 食べられるうちは元気だということだから……
「それに……」
「うん?」
「お昼にたい焼きを2つも食べたので」
 僕たちはそのことを思い出して笑った。
 まったくあゆの食い意地にもあきれたものだ。
 昔も皿に盛ってあったお饅頭が、話に夢中だったはずのあゆのお腹に消えていたことはよくあったが……、
 7年経ってもその癖は抜けていないらしい。
 そこに注文の品が出てきた。
「ところで、ここにはよく来るんですか?」
 病院から一直線にやってきたせいだろう。
 栞ちゃんはここを僕の行きつけの店だと思ったようだ。
「いや、7年ぶりだね。今もあったのには少し驚いているよ」
「7年前まではよく来たんですか?」
「ああ、家族一緒に休日にはよく来たものだよ」
 結婚前には妻とよくデートでここに寄った。
 そのころから僕はここのイチゴサンデーのファンになったのである。
 百花屋で家族3人がイチゴサンデーを食べていた風景をいまも鮮明に思い出す。
 そうだ、栞ちゃんに僕が惹かれる理由がわかった。
 彼女といると、なくしたあの幸せな時間を取り戻したように感じられるのだ。
 僕は栞ちゃんに娘のあゆを重ねていたのだろう。
 もしあゆが目覚めたら、こんな時間をすごせるのだろうか?
「あの、どうかしましたか?」
「あ……少し昔を思い出していたんだ」
「昔、ですか?」
「7年前。多分僕が一番幸せだったころのことを」
 一瞬の沈黙があった。
「今は幸せじゃないんですか?」
「ははは、全然幸せじゃないね。研究に打ち込んで、悲しいことを忘れようとしてる毎日だよ」
 それを聞いて栞ちゃんは不機嫌そうな顔をした。
「そうじゃなくて」
「え?」
「中年のおじさんがこんな美少女と一緒に喫茶店にいるんですよ」
 栞ちゃんは指を口に当てながら誇らしげに言った。
「はは、たしかにそれは幸せなことだな。栞ちゃんとこのままずっといられたら幸せだろうね」
 沈黙。
 栞ちゃんがなんともいえない顔をしてこっちを見ている。
「あ、あの月宮さんって最近話題のロリコンなんですか?」
 あやうく噴き出すところだった。
「君はかわいい顔してとんでもないこというな……」
「月宮さんの言葉からもっともふさわしい人柄を推察してみただけですけど」
「そのうち顔と言葉だけで人を殺せるぞ君は」
「そんなこと言う人嫌いです」
 その言葉も殺人的だよ……と言いたくなったが止めておいた。
 大人気なさすぎると思ったからだ。
「そういう意味じゃなくて、栞ちゃんといると娘といるみたいで幸せだって言ってるんだよ」
「そういうことだったんですか」
「納得してくれたかい?」
「えと、つまりロリコンではなくて子煩悩というわけですね」
 ……変質者→ロリコン→子煩悩
 最近僕はさんざんな言われ方されてないか?
「もうどうとでも言ってくれ」
 親ばかと言われなかっただけマシとしよう。
 僕は泣きたくなるのをこらえながらイチゴサンデーをつついた。











「ここ私のお気に入りの場所なんです」
「ここは……」
 百花屋を出たあと、僕は栞ちゃんに連れられて彼女のお気に入りの場所に来ていた。
 噴水のある公園。
 見覚えのある光景と、懐かしさに思わず感嘆の声がもれる。
「あの公園か……もう行き方を忘れていたよ」
「来たことがあるんですか?」
「ああ、妻とね。懐かしいな、夜はこんなに綺麗だったのか」
 僕は素直に感心していた。
 雪と電灯の光と噴水が幻想的な光景を作り出している。
 さながら冬の妖精国の宮庭といった感じだ。
「月宮さん」
 突然、噴水の縁に腰掛けた栞ちゃんが真剣な面持ちで僕に声をかける。
「今日は私の我儘に付き合ってもらってありがとうございました」
「僕こそありがとう。久しぶりに幸せな気持ちになった気がするよ」
 正直な気持ちだった。
 振り回された気がしないでもないが。
 親子としてあゆと一緒に休日を過ごせたような幻想に浸ることができたと思う。


「月宮さん、これでお別れしましょう。やっぱり私はこれ以上人と心を通わせちゃいけない気がするんです」
「なんだって……」
「これ以上私といると、最後に絶対後悔しますよ」
 僕は栞ちゃんの言葉に驚いた。
 どうしてこんな小さな女の子が一人で全てを抱え込むような悲壮な決意が出来るのだろうか?
 この子は残された時間を一人で過ごそうというのか?
 誰にも悲しい思いをさせないために……
「君は本当にそれでいいのか?」
「え?」
「たしかに僕は栞ちゃんの苦しむ姿なんか見たくはない。だから今お別れするのは僕にとってはいいことかもしれない」
「だったら……」
 だったらお別れしましょう、という栞ちゃんの言葉を遮る。
「だけど君はそれで幸せなのか? このまま閉じこもって一人でさみしく一生を終える気か?」
 僕の語気は知らず知らずの内に荒々しくしくなっていた。
 栞ちゃんにあゆを重ねていたせいだろう。
 もしあゆが同じことを言って僕の前から消えようするなら、見過ごすことはできない。
「だけど……私はお姉ちゃんにも見捨てられるくらい馬鹿だから」
 栞ちゃんの目には涙が浮かんでいた。
「たしかに家族だと栞ちゃんがもうすぐ消える運命にあることは耐えられないかもしれない。大事な人を失うということはそれだけ辛いことだし、それを経験したことがない者には厳しすぎる現実だ」
 胸が痛い。あの日の悲しみが込み上げてくる。
「僕だって2度味わったからといって、そんな辛い現実に慣れているわけじゃない。だけど僕は栞ちゃんを見捨てられない」
 なぜならそれは……。
「栞ちゃんを見捨てるということは、あゆを見捨てるようなものだ。どうしても一人でいたいと言うなら止めはしないけど、辛いなら頼ってくれてもいいんだよ」


 長い沈黙があった。
 だが、僕の真摯な心が通じたのだろう。
 栞ちゃんが僕の顔をしっかりと見据える。
「月宮さん……私本当は死にたくないです」
 そして栞ちゃんは震える声で言葉を搾り出した。
 胸の中にしまっておいた本心が出たようだ。
「大好きなお姉ちゃんとお別れしたくないです。お父さんやお母さんとも……だけど」
 運命だから……続く言葉は容易に予想できた。
「運命で片付けるのかい? あゆは必死にそれに逆らおうとしているのに」
「あ、あゆさん……?」
 栞ちゃんが一瞬硬直する。
 あゆの名前に反応したようだ。
「本当に……抗いようのない運命なのか?」
 もしどうしようもないのなら、僕はとても残酷な発言をしたことになる。


 再び長い沈黙があった。
「奇跡でも起きれば何とかなりますよ」
 栞ちゃんは自嘲気味にそう言った。
「それはまったく望みがないわけというわけではないんだね」
「はい。でも、起きないから奇跡って言うんですよ」
 と言ったところで『でもあゆさんの例がありましたね』と付け足す栞ちゃん。
「私の場合、死期が延び続けていることが奇跡なのかもしれません。本当は今日も生きているのが不思議なくらいだそうですよ」
 そうなのか?
 奇跡とは不思議であるだけなのか?
「栞ちゃん。それは奇跡じゃない。さっき聞いたんだが、君は今じゃ春まで持つかもしれないということだそうだ」
「そうなんですか、もう大奇跡ですね」
 あまり嬉しそうには聞こえない。
「違う! そんなのは奇跡じゃない。人を幸せにしてこその奇跡だろう? 悲しみをもたらすだけの奇跡なんて奇跡じゃない」
 今のあゆを奇跡として、このままあゆが目覚めなくてもそれを奇跡と言えるのだろうか?
 言えるはずがない。
 そんな奇跡はいずれ『運命の悪戯』として恨まれることだろう。
「栞ちゃん、あゆは目覚めてくれなければ奇跡じゃないんだよ」
「月宮さん……」
 気付くと僕は泣いていた。


 『起きないから奇跡って言うんですよ』


 死刑宣告同然の言葉だった。
 あゆのように思っている栞ちゃんにそんなことを言われると、あゆが目を覚ますことはないように思えて怖くて仕方がない。
「ごめんなさいです。でも、あゆさんは大丈夫ですよ。私なんかよりずっと前向きな人ですから」



 その言葉で幾分か救われた気がした。
 ポケットから取り出したハンカチで滲んだ涙を拭う。
 いつから僕はこんなに涙脆くなったのだろう?
 やはり、ここ数日のあゆのことで精神状況が知らず知らずのうちに不安定になっているのだろうか?
「栞ちゃん」
「はい」
「約束してくれないか? あゆが目を覚ましたら奇跡は起きることもあると信じると」
「え?」
 栞ちゃんは戸惑いの表情を見せた。
 が……
「賭けですか?」
 といつもの笑顔で聞き返してきた。
「そう思ってくれてもいい。だから、結果を見るまでは何があっても生き続けて欲しい」
 我ながら無茶な要求だと思う。
 しばらくの沈黙を挟んで栞ちゃんが口を開いた。
「わかりました。ドラマのイベントみたいで面白そうですし約束します」
 栞ちゃんは悪戯っぽい作り笑顔でそう言った。
「でも……私はそんなに気が長くないですよ。賭けの結果は早く出してくださいね」
 笑えない冗談だったが、それが栞ちゃんの精一杯の気持ちだったのだろう。
 いくら頑張っても栞ちゃんは春までが限界だ。
 おそらく栞ちゃんの言う奇跡は、想像もつかない苦痛を伴う手術か新薬による治療なのだろう。
 だがそんな犠牲を払っても、奇跡でも起きなければ成功しないものに違いない。
 このまま素直に眠ってしまった方が幸せだったと後悔するようなほどの。
「約束は厳守だよ」
「もちろんです。賭けは約束を守らないと楽しくないです」
 栞ちゃんは僕が賭けに負けたときのことに触れなかった。
 それはあゆが目覚めないことを意味するからだ。
 そしてそれは二人ともが望まない結末だった。






「おっと、もうこんな時間だ」
「わ、早く帰らないと病院の人に怒られますよ」
 僕の時計を覗き込んだ栞ちゃんが焦った声でそう言うが、なんだか状況を楽しんでいる気がする。
「栞ちゃん、今『これは面白くなってきたなー』って思っているだろう?」
「思っていませんよ。そんなこと言う人嫌いです」
 ニコニコしながらそう言った。
 説得力に欠けるとかいう次元を二周りほど超えている。
「…………」
 僕は無言で足早に歩き始めた。
「わ、酷いです」
 今日一日通してわかったが、栞ちゃんのペースに乗るとロクなことにならない。
 すこし突き放したような付き合い方をしてちょうどだな。
 そんなことを思いなが、栞ちゃんを連れて公園を後にした。




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