ガサガサ、と静かな森に乾いた音が二つこだまする。
額の汗をぬぐいながら空を見上げると、木々の隙間から光が差して見えた。
さすがに、真夏の日は長い。
学校が終わった時間だっていうのに、こんなに明るいんだから。
もし今が冬ならもう日は大きく傾き、森はもう薄暗くなっていたことだろう。
隣にいるやつは、半ベソで俺の腕にしがみついているに違いない。
……いいな、それ。
冬、かむばーっく!
「おーい、あゆ。そっちはどうだ?」
なんて考えながら、そばで同じようにガサガサやってるあゆに声をかける。
そういや、七年前もここから帰るとき真っ暗になってて、あゆのやつ泣きかけだったか。
「うーん、見つからないよ」
「まだ探すのか?」
「まだ探し始めて三十分も経ってないよ!」
よくよく考えると、ここの冬は寒いから嫌だった。
しかし、暑いのだって嫌だ。
はぁ、早く冷房のあるところに戻りたい。
なんだって、こんな暑い中、森の茂みにしゃがみこんで戯れてるんだ俺は。
「なあ……もう、どこかそこらの庭から取っていかないか? よく手入れされてるし、こんなとこで探さなくてもいいだろ」
「ダメだよ。人に迷惑かけたらいけないよ」
「……食い逃げしてたやつが言うことか」
「ボクそんなことしないもん!」
はぁ、やれやれ。
まあ仕方ないか。
こんなところにあゆを一人で放っておくわけにもいかないし、秋子さんたちも楽しみにしているもんな。
ガサガサ、としばらく、また作業に没頭する。
ん? これは……。
「あゆ、これなんかどうだ?」
前の前でぷりっとした尻を小刻みに揺らしていたあゆが、こちらに振り返った。
そして、汗をぬぐいながら俺が右手に掲げている物に目を細める。
すぐにその口からため息が漏れた。
「祐一君、それ笹じゃないよ」
「何ぃ!?」
しげしげと手にした草を見てみる。
まっすぐに伸びた背のそれは、明らかに笹ではなかった。
強いて言うなら、名もなき雑草。
笹の茂みにあったから、てっきり笹だと思い込んでいた。
「個性的な笹ってことでよくないか?」
「いいわけないよ。ちゃんと笹を探して」
まあ、そりゃそうだ。
こんな雑草飾り付けて何が楽しいんだか、俺にだって理解できない。
ぽーん、と背中ごしに投げ捨てておいた。
雑草、お前に罪はないが、紛らわしいところに生えていたことを恨んでくれ。
「あっ」
「どうした、葉っぱで指切ったか!?」
「違うよ! 何でそうなるの!?」
「いや、お前のことだから、てっきりいつものパターンかと……」
「うぐぅ、ボクのこと何だと思ってるんだよ」
よくドジるやつ。
とか言ったら、怒るだろうな。事実だとしても。
だから、ここはこう言っておく。
「かわいいやつ」
「えっ!?」
瞬間、あゆの目がまん丸になって、ぽんっと顔が赤に染まる。
「か、かわいいなんて、こんな時に冗談……」
「いや、ほんとにかわいいぞ」
「うぐっ」
ぷしゅぅぅ、と空を見上げてオーバーヒート。
ぐらっと、そのままあゆの体が傾いていく。
「おっと」
「わっ!?」
慌ててその手をつかんで、倒れる体を支えた。
相変わらず危ないやつ。
「祐一君、びっくりさせないでよ。冗談でも、そう言ってくれるのはうれしいけど……」
しどろもどろに、視線をそらしながら何か言いたげなあゆ。
だから、俺はここぞとばかりに言ってやった。
「ああ、もちろん冗談だ」
ぺしっ!
「……縁起物でぶつなよ」
「ぶつに決まってるよ! もう知らないっ!」
ぽいっ、と手にした笹を投げ捨てて、のっしのっしとどこかへと消えていくあゆ。
その後姿を眺めながら俺は……。
「さて、捜索を続けるとするか」
気にしないで、笹探しを続けることにした。
虫食いや変色のない枝を探すのって、結構骨だなあ。
そして、一時間後。森が薄暗くなってきた頃。
手ごろな笹の枝を見つけたところに、怒ってどこか(多分近くの木の陰)に行ったあゆが半べそで戻ってきた。
相変わらず表情がコロコロ変わって、かわいいやつだ。
「ウム、計画通り」
「……何が?」
「気にするな。さあ、帰るぞー」
ついでに最近よく思うこと。
こいつはあえて褒めてやる方が面白い。
そして、喜びの絶頂で落胆させてやった時の快感といったら、もう……。
「ねえ、祐一君。にやけてるのが怖いんだけど……」
「実に思い出し笑いだ。気にしないでいい」
少し落ち着け、俺。
おはぎをくらえ!
さーさーのはーさらさらー。
とかいう歌に乗って、右手と左手のザルをとっかえひっかえ全裸の男がノリノリに踊っていた商店街を通ったのは7月6日のこと。
いや、そんな男がいたのは、また別の日だったかもしれない。
とにかく、商店街が七夕商戦の大詰めを迎えていた昨日のことだった。
儲けるためなら何でもやるなあ、商店街住民の商魂恐るべし……と横目に俺は水瀬家へ帰宅した。
そこまでは、まあいつもどおりの日常だったと思う。
ただ、その日はたまたま家の面子が全員商店街を通っていたらしい。
夕食時、ふとあゆがこう言い出した。
「今日、秋子さんと商店街に買い物行ったんだけど、明日って七夕なんだよね」
何で唐突にそんな一言が出たのか?
やっぱり、全裸で七夕を祝っている男がいたからなのかもしれない。
とりあえず、そういうことにしておこう。
とにかく、俺も名雪も秋子さんも、ソウルフルな男の姿が印象に残っていたためか、すぐにその話題に頷いた。
「あ、うん。そういえばそうだねー」
「普通に忘れてたな」
幼稚園じゃないし、さすがに学校行事に七夕なんてない。
商店街を通れば、『ああ、何かやってるな』とは思っても、その程度の出来事だった。
だいたい、ああいう場所は年がら年中なんかの祭りをやっているような雰囲気だし。
「七夕、やらないの?」
でも、あゆはそうでもなかったらしい。
まあ、ついこないだまで小学生やってたようなものだから、俺達とは感覚が違うのかもしれないが。
「うーん、うちでは七夕はやったことないかな」
「そうね。祐一さんがいたら違ったかもしれないけど、毎年七夕シーズンは、わたしと名雪の二人だけでしたしね」
「お母さんも、お休みじゃなかったもんね」
「ええ」
名雪の言葉に、秋子さんがどこか遠くを見るような視線で頷く。
二人にとって、あんまり縁のない行事であったのは明らかだった。
かく言う俺も……。
「祐一君は?」
「幼稚園で短冊書いたくらいの覚えしかない」
「わたしも……」
名雪、お前もか。
しかし、普通に考えて核家族(でいいのか?)の七夕なんてそんなものだろう。
正月みたいに休みでもなければ、クリスマスや誕生日みたいに何かもらえるわけでもない。
ていうか、今その幼稚園で書いた短冊が出てきたら多分燃やしたくなる。
とんでもなく恥ずかしいことが書き込まれているはずだ。
「あゆちゃんのお家では、七夕やってたのかしら?」
などと七夕についてスズメの涙もいいところの思い出に浸っていると、秋子さんがあゆにご飯のおかわりを渡しながらそう訊ねた。
「うん。ボクの家では毎年やってたよ」
へえ。普通、家でやることもあまりないのに、小学校になっても毎年やってたのか。
あれ? でも、あゆの家って……。
「お前の家、基本的に母子家庭だったよな?」
「え? うん、そうだけど?」
あゆの家は、あゆと両親の三人家族だった。
親父さんは忙しい人で、昔から家を空けがちだったらしく、それが今の水瀬家居候の境遇にも結びついているんだが……。
「母親と二人で毎年七夕やってたのか?」
「そうだよ?」
きょとんとした表情でこちらを見続けるあゆ。
まったく理解できていない様子だ。
「二人で飾りつけとかやってたの?」
と、俺と同じ疑問を抱いたのか、横から名雪が訊ねる。
そうなのだ。七夕なんて、母子家庭でやる行事じゃない。
せいぜい、小さい頃に物好きが親にせがんでやってもらうくらいだ。
普通は、じいさんばあさんが同居しているような家や、大家族に許されるイベントだし、商店街もそういう客を見込んで商売しているんだろう。
「うん。楽しかったよ」
でも、目の前の少女は母子家庭でそれを毎年やってきた、というのだ。
「……変なやつとは思っていたが、まさかこれほどとは」
「祐一君、何か言った?」
「いや、何も」
思わず、本音が漏れてしまった。
どす黒いオーラを感じる笑顔を向けられて、慌てて口をつぐむ。
「でも、子供のためにそこまでできるなんて、あゆちゃんのお母さんはよっぽどあゆちゃんのことを愛していたのね」
「あ、違うんだよ。ボクの家は、お母さんがそういうの好きだったんだよ」
「あら、そうなの?」
「うん。カレンダーにチェック入れてて、七夕とかひな祭りとか、お月見とか、お花見とかの前になったら、ボクに色んなお遣い頼むんだもん」
娘をパシリ!?
「そりゃまた、随分パワフルなオカーチャンだな」
「あ、でも、楽しかったから嫌だなんて思ったことはなかったよ。『早くしないとウサギが逃げてしまうわよ!』とか、ちょっと強引な時もあったけど」
「ウサギ?」
「うん、お月見の時」
ああ、なる。
しかし、やっぱりパワフルな母親だな。
早く亡くなっているから、なんとなく繊細そうな人を想像していた。
「でも、すごいね。あゆちゃんのお母さん、そんなにたくさんお祭りやってたんだ」
「名雪さんは違うの?」
「小さい時にひな祭りくらいしか……」
「それと端午の節句ね」
「あ、そうそう。こどもの日だけはお母さんもお休みだったから、それだけは毎年だね」
あー、そういやこないだ食ったなチマキ。
風呂に葉っぱも浮いてたっけ。
基本的に秋子さんも、そういうの嫌いな人じゃないからなあ。
名雪が『やりたい』って言ってりゃ、母娘二人だけでも色んな年中行事やってただろうし。
と、そこで何かを思いついたのか、名雪がぽんと手を叩く。
「ねえ、お母さん」
「何かしら?」
「七夕、やってみない?」
ほんと唐突だな。
でもまあ、そう言ったら秋子さんの答えは聞くまでもない。
「了承」
一秒とかからずに、名雪の提案は家主によって可決された。
「珍しいわね、名雪がそういうことを言い出すなんて」
と、思ったら秋子さんが珍しく小さな疑問を口にした。
「そういえばそうですね。いつもぼけーっとしてるのに」
「祐一、それどういう意味?」
「気付いたら委員長に選ばれているようなタイプ……いや、気にするな」
慌てて咳払いして視線をそらす。
なんでこう、名雪やあゆには余計と分かっていても一言言いたくなってしまうんだろうか。
きっと俺は悪くない。
あいつらにそうさせる何かがあるのだ。多分。
そうしないといけない、と感じさせる使命感のようなものを人に与えると言ってもいい。
「いいの、名雪さん?」
「あゆちゃんの話聞いてたら、何だかやりたくなってきちゃったんだよ。家でやったことないしね」
しかも仲いいな、お前ら。
こいつら、絶対グルだ。
何の? 多分、何か存在的というか魂的な部分で。
「それじゃ名雪、明日商店街で笹買ってきてくれるかしら。お母さん、お昼は空いてないのよ」
「え? わたし、明日部活あるよ。どうしよう……?」
「いいよ。俺が適当に見て買ってくるから、お前は部活行っとけ。『笹買ってきます。練習はわたし抜きでやってください。パンダ部長名雪より』なんてまずいだろ」
「わたし、パンダの部長さんじゃなくて、陸上部の部長さん」
誰が真面目に返してくれと言ったか。
こいつ相手に高度なギャグ言った俺が間違ってた。
「それじゃ、祐一さんにお願いしますね」
「はい、任せておいて……」
「ちょっと待って!」
っと、何だ?
いきなりあゆが、大声を上げて話に割り込んできた。
何だ、その『異議あり!』なタイミングは。
「笹は買うんじゃなくて、探してくるんだよ」
「は? 探す!? どこを!?」
「森とか林の適当な茂みから、きれいなのを探してくるんだよ」
「……商店街で売ってるやつの方がきれいだろ」
短冊とかもセットでついてるだろうし。
「ダメだよ……売ってるのはうちじゃ使わなかったもん」
「そりゃ、お前の家がドケむがっ!」
ドケチ、と言おうとしたら背後から口をふさがれた。
「あゆちゃんが言い出したんだし、あゆちゃんのおうちのやり方でやろうよ。ね?」
「そうね。あゆちゃん、他に必要なものはあるかしら?」
うぎぎぎぎ……名雪、首絞まってる……首絞まってるって……。
「えっと、じゃあ笹はボクが探してくるから……」
苦しくてやわらかかった。
あとはよく覚えてない。
とにかく、意識が半分ないうちに家族会議はお開きになっていたわけだが……。
月宮式七夕を水瀬家で挙行することになった。
その付き合いで、思い出深いあの森に笹を求めてあゆとお遣いミッションをこなすことになった。
で、こなして帰ってきた。
「ただいまー」
「相沢二等兵、ただいま帰還しました」
「……二等兵だったんだ、祐一君」
「居候だしな。ちなみに、お前は水瀬軍の非常食」
「ボクは人だよ!」
「……やっぱ、核弾頭のほうがいいか? よくミサイル的に飛ぶし」
「うぐぅ、そんなに転んだりしないもん」
とか、玄関先で馬鹿やりながら靴を脱ぐ。
秋子さんと名雪も既に帰ってきているようだ。
夕食のいい匂いが漂っている。
「あ、ダメだよ祐一君。笹はお風呂につけないと」
下駄箱の上に持ち帰った笹を置こうとしたら、あゆに注意された。
月宮式の七夕は、ずいぶん注文の多い七夕だな。
「何でだよ?」
「だって、外に生えてた笹だもん。洗わないと汚いよ」
……と、思ったら常識的な理由だった。
特に反論も思いつかないので、非常に悔しいが言うとおりに風呂に入れてやることにする。
くそう。あゆをからかえないのが、こんなにも辛いなんて。
睡眠不足に陥りそうだ。
じゃばじゃばじゃば、と湯の中で笹を何度かゆすってダイニングに向かう。
あゆの話だと、そこが飾るのに丁度いい場所なのだそうだ。
「飾る場所って重要なのか?」
「当然だよ。床にしめ縄飾ったりしないのと同じだよ。場所を間違えたら七夕にならないよ」
そりゃそうだ。
あゆにしては珍しくツッコミどころなく答えるじゃないか。
まあ、理由は薄々分かるが。
どうせ、同じこと母親に何度も訊いて困らせていたんだろう。
「ただいま」
「おかえり〜」
「おかえりなさい、あゆちゃん、祐一さん。こちらの準備はできてますよ」
ドアを開けると、名雪と秋子さんがキッチンで出迎えてくれた。
テーブルには皿が並べられていて、既に夕飯の準備が整っていた。
げ、もう8時前じゃないか。
森を出るときは明るかったから実感がなかったけど、この時期は怖いな。
「すぐにお夕飯にしたいですけど、先に飾り付けを済ませてしまいましょうか。ずいぶん遅い七夕になってますしね」
「あ、すみません。遅くなってしまって」
どうやらかなり待たせてしまっていたらしい。
思わず秋子さんに頭を下げた。
すぐに『いいのよ』って、優しい声をかけられたが。
「あゆちゃん、言ってたの作っておいたけど、本当にこれでいいの?」
ことん、と名雪がキッチンの奥から持ってきた皿を俺達の前に置く。
その皿に乗っていたのは……4個の黒い塊だった。
え? ナニコレ?
いや、見覚えあるぞ。こいつは確か……。
「おはぎ」
「え? 何? 断末魔?」
「違うわ! って、何だよその意味不明な死に様は。誰がそんな格好悪いこと言うか」
「だって、祐一だし、それもあるかなって」
俺は時々、名雪ってやつが怖い。
いきなりとんでもないこと言い出すし、俺を何だと思っているのか。
だいたい、何だよ断末魔『おはぎ』って。
俺がラスボスだったら、こんなことを言うのだろうか?
パターン1
『パンダ部長名雪よ……。よくぞわしを倒した。
だが光あるかぎり 闇もまたある……。
わしには見えるのだ。ふたたび何者かが闇から現れよう……。
だがそのときは お前は年老いて生きてはいまい。
わははは………っ。おはぎ!』
パターン2
『この…わたしが… やられるとは……信じられ……ん……
2度までも…おまえに……
…おまえは いった…い…な…にもの…… おはぎ』
最低の死に様だ。
せめて『ぐふっ』とか『ウボアー』あたりの名誉ある死を選びたい。
いや、そうじゃなくて……。
「これ、おはぎだろ?」
そう、俺が言いたいのはそういうことだ。
断じて格好の悪い断末魔じゃない。
「違うよ〜」
嘘つけ。こんなアンコで周り覆われたマンジュウっぽいのが『おはぎ』じゃなくてなんなんだ。
もしこれがただのアンコの塊だというのなら、意味不明すぎる。
「ぼた餅ですよ」
「え?」
と、思っていたら横から秋子さんがおかしそうにそう言った。
「もち米を餡で包んだものをおはぎ、ついたお餅を餡で包んだものをぼた餅と言うんです」
「へぇ〜」
「まあ、今は特に区別なく使われることもあるらしいですけどね」
「じゃあ、これは『おはぎ』でも?」
「はい、間違ってません」
だよな。
というか、今の話だと外見は『おはぎ』も『ぼた餅』も同じじゃないか。
何が断末魔だ、名雪のやつ。
睨みつけてやると露骨に目を逸らしたのを俺は忘れない。
「あゆちゃん、このぼた餅でよかったのかしら?」
「あ、うん。ありがとう、秋子さん」
「お安い御用よ」
ぺこっと頭を下げるあゆに、秋子さんはやっぱりにっこり微笑むのだった。
多分、また手作りなんだろうなあ……ぼた餅。
とてもお安い御用とは思えない。
でも、それを感じさせないから秋子さんなんだろう。
おかげで、ずいぶんあゆも遠慮している感じがなくなってきたものだ。
「それで、そのぼた餅をどうするのかしら?」
「あ、それわたしも気になってたんだよ」
秋子さんの言葉に、名雪が横からにゅっと首を出す。
何だ? 二人とも何も聞いてないのか?
「えっとね、ボクの家ではこうするんだよ」
そう言って、あゆがポケットをごそごそやる。
それからぼた餅を手にとって、さらにゴソゴソ。
名雪と秋子さんが覗き込んでいるせいで、何をやっているのかよく見えない。
「わっ!」
……隙間からぼた餅が跳ねるのが見えた。
多分、今のはあゆのドジだな。
それからしばらくして……。
何度かぼた餅は跳ねていたのが、あゆの作業は完了したらしい。
腕の動きがぴたっと止まる。
「できたっ」
そして、大事そうに両手に乗せたものを俺の目の前に差し出した。
「これで準備完了だよ」
そう、にっこりと笑ってあゆが差し出したもの。
それは……。
「ぼた餅を亀甲縛りしてどうするんじゃーっ!」
思わず叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
お前、ぼた餅を亀甲縛りして何をする気なんだ、と。
「え? これを笹につるすんだけど?」
「はぁ!?」
何だその七夕は?
笹に吊るすのは普通短冊だろ!
そして、そこに『せめて断末魔はウボアーで』とか願い事を書くんじゃないか。
「あゆちゃん、これでいいのかしら?」
「こっちは二個縛ったよ〜」
俺が混乱している間に、差し出された亀甲縛りのぼた餅残り三つ。
秋子さん、順応早すぎ。
そして名雪、何故お前そんなに縛るの早い。
あれよあれよという間に、笹に吊るされていく亀甲縛りのぼた餅たち。
ダメだ、もうツッコミ追いつかない……。
「それじゃ、飾りましょうか。あゆちゃん」
「うん。祐一君、お願いできるかな?」
え? 何を?
もう俺ツッコミ不可能。勘弁してくれ。
「この七夕飾りを、そこの食器棚の上においてちょうだい」
笹渡された。
なんかよく分からないけど、ガムテープ渡されて棚の上に貼り付けた。
湯に浸かった笹はほどよくほぐれて、しなった枝から亀甲縛りのぼた餅たちを吊り下げていた。
何か、怖い、視覚的に。
「あゆちゃん、これがあゆちゃんの家の七夕なのかしら?」
「そうだよ。ちょっと変わってるかもしれないけど」
ちょっと、じゃない。思いっきり、だ。
いや、『変』だって自覚あるのかよ、そこ!
「こうやって棚の上にぼた餅吊るしておいて、それが落ちてきたらいいことあるんだって」
……オイ、待て。
減退していたツッコミパワーが一気に高まるのを感じた。
「ぼた餅も食べられておいしいし、一石二鳥だってお母さんは言ってたよ」
それは『たなばた』じゃなくて『たなぼた』だ!
ダジャレかよ!
ていうか、一気に嫌な予感がしてきた。
「おい、あゆ。お前の家の正月はどんなんだったんだ?」
「え? おせちとお雑煮を食べて楽しく過ごしてたよ」
……質問が悪かった。
さすがに正月は普通だ。
質問を変えよう。
「ちょっと変わっている月宮式の祭りは他にもあるのか?」
「えっと、変わっている気がするのは節分とひな祭りとこどもの日とかかな……」
「節分はどんなのなんだ?」
「普通は鬼は外って、外に豆を投げるんだよね?」
「まあ、普通はな」
「お母さんは、『捨てる神あれば拾う神あり』っていうから、鬼は外は誰かの口に入れてあげるんだよって言ってた。そうじゃないと鬼がかわいそうだって」
「つまり、あれか。二人でやってるときは、お互いに豆を食わせあっていたと?」
「うん」
頭痛くなってきた。
しかし、俺は茨の道をあえて行く。
あゆの母親ならこう言うだろう。
毒を食らわば皿まで、と。
「ひな祭りはどうなんだ?」
「『捨てる神あれば拾う神あり』だから、ひな人形の代わりにソーメン流してすくってあげようって言ってたよ」
その人形流す風習、今やってるやつほとんどいないって。
でも、あゆの母親的にはそれでいいんだろう。
三月に流しソーメンが食えるから。
「こどもの日は?」
「『人類皆兄弟』って言うから、仲間外れはよくないって、ちまきによく似たものを探して食べ歩くお出かけの日」
つまり、月宮あゆの母親とは……。
食うついでに縁起を担げれば何でもよかったのだ。
ていうか、あゆのかーちゃん年中行事にかこつけて食うことしか考えてないだろ!
どうりで娘が食い物屋の場所ばっか覚えてたわけだ。
「祐一君、頭抱えてどうしたの?」
「いや、間違いなくお前の母親だと思ってな……」
あゆに相当慕われていた人物だから、清楚で優しい、心の広い女性を想像していた。
でも、月宮あゆの母親は、間違いなく月宮あゆの母親なのだと知った『タナボタ』の日だった。
「ねえ、祐一。あゆちゃんのお母さんって、あゆちゃんにそっくりの人だったのかな?」
「お前が言うな」
「え? 何で?」
ついでにまた一つ、あゆと名雪の魂的に似ている何かが見えた気がする。
腹減った、もう飯食って寝よう……。
目を開くと、あたりは真っ暗だった。
「ふぁ……」
ショッキングな七夕ツリーのせいで早く寝たのは失敗だったか。
まだ午前二時だよ……。
仕方ない。トイレ行って、コーヒーでも飲んで……宿題くらいやっておこう。
やらずに寝てるってのが学生として論外な気もするが、そこは気にしない。
「ん?」
トイレを済ませてダイニングに向かうと、明かりが漏れていた。
誰か起きてるのか?
「あ、祐一君……」
「なんだ、あゆか」
ドアを開けると、そこにいたのはあゆだった。
意外と言えば意外だが、大穴の名雪ではなかったので驚くほどではない。
「どうしたんだ、こんな時間にそんなところに座って」
ここはダイニングだ。
すぐそこにはイスもテーブルもある。
なのに、あゆは床にちょこんと正座していた。
「ねえ……やっぱり、この七夕って変かな?」
床から俺を見上げながら、か細い声で訊ねてくる。
あのな……。
「秋子さん達は優しいからな」
「え?」
「だが、俺ははっきり言ってやる。イカれてるとしか思えないくらいに変だ」
「うぐぅ……」
かっくん、とあゆの首が実にコミカルなリズムで折れた。
まあ、あの自信なさげな声ですぐに本音は読めたんだけどな。
「しょげるなよ。本当はあゆだって分かってたんだろ?」
「あはは……。うん、もう七年前のボクじゃないからね。でも……」
あゆの母親は頭が相当メルヘンな人物だった。それは間違いない。
だが、一眠りして頭が落ち着いたら分かったことがある。
「ボクは、そんなお母さんが大好きだった」
今、大きくなったあゆに、あゆの母親は昔のように接するだろうか?
きっと、そんなことはない。
今なら、娘と楽しくウインドウショッピングにでも出かけて、喫茶店で他愛もないコイバナに花を咲かせていたんだろう。
秋子さんと会わせたら、年相応の会話だってできたはずだ。
つまり、あゆの『お母さん』は、いつも娘の目線であゆに向かい合っているような人だったのだ。
あゆが大好きだ、と言ったのも頷ける。
娘といつも一緒に笑って、泣いて、喜んで……そんな母親、そうそういるもんじゃない。
だけど……。
「本当は、どんな人だったんだろうな?」
「分からないよ。ボクの中のお母さんには、七年前のボクしか映ってないから……」
その人は自分の全てを娘に見せることなくいなくなってしまった。
確かなことは、あゆの元気や優しさを育てたのがその人で、変なやつに育てたのもその人だということ。
それと、あゆが『お母さん』と呼ばれるようになったとき、同じように子供に接する母親になるのだろう、ということだ。
やばい、ありありと想像できるぞ。
思わず笑いが漏れた。
「何で笑ってるの?」
「いや、本当に似た者母娘だったんだなって」
「うぐぅ、どういう意味だよ」
かすかに涙の痕が見える顔を、ぷいっと横に向けるあゆ。
感傷の涙が大人っぽいと思えば、拗ね方はまたずいぶん幼い。
おかしくて、笑いをこらえろってのが無理だった。
「何なの、もう!」
「いや、悪い悪い。つい」
今度は顔がハリセンボンみたいに膨れてる。
頼むからこれ以上俺を笑わせないでくれ。
「でも、そうだったのかな」
「何が?」
「近所の人とかによく言われたんだ。似てるって」
やっぱり言われてたんじゃないか。
「それでね、この笹飾り見ていて、今日のこと思い出してたんだ」
「ああ、暑い中実に大変だった。よく頑張った、俺。感動した」
「話の腰折らないで!」
だって、あゆだし。
一分以上シリアス保ってたら、俺が俺でなくなるんだ。
……そんな気がする。
「名雪さんと秋子さん、似てるよね。ボクに気を使ってくれて七夕やろうってなった時、名雪さんか秋子さんが二人いるように思っちゃった」
「まあな」
「ボクとお母さんも、他の人からはあんな風に見えてたのかなぁ?」
「安心しろ。あゆに限っては、そんな上等なもんじゃない」
がすっ!
足の甲に握り拳落とされた。
「冗談なのに……」
「本気で言ってたら絶交だもん」
そりゃそうだ。
今のを本気で言うほど、俺だって人でなしじゃない。
「だから、感じちゃうんだと思うんだ」
「何を?」
「名雪さんと秋子さんを見ていると、お母さんと一緒にいてた時の幸せみたいなのを」
「それって辛い、のか?」
「ううん、逆だよ。二人を見ていると、お母さんと過ごした日のこと、幸せな気持ちを思い出せるんだ」
忘れられない、ずっと感じていられるってことか。
信念とか心とか、そんな大切な何かを。
そして、それは思い出に縛られているわけじゃない。
「やってけそうか? ここで」
「うん。大丈夫。もう、大丈夫だよ」
「そっか」
ぽん、と今にも泣き出しそうなあゆの後頭部に触れ、立ち上がるように促す。
「ほら、大丈夫ならそろそろ寝ろ。夜更かしはダメだぞ」
「もう少ししたら自分で寝るよ。だから、今はここにいさせて」
「あ、そう。じゃ、俺は部屋に帰るから。一人で帰れるのか?」
「……だ、大丈夫。電気つけて移動するから」
顔色青いぞ、おい。
こりゃ、部屋からここに降りてくるまでもこんな調子だったな、コイツ。
まあ、一人でしんみりしたい時も、あゆにだってあるんだろう。
ここはそっとしておいてやるか。
さて、コーヒーコーヒー。
そう思って、キッチンに向かった瞬間だった。
ぼすっ!
ん?
何だ、今の音?
振り返る。
「うぐぅ……」
うぐぅの頭に、亀甲縛りされたマックロクロスケが張り付いていた。
いや、マックロクロスケじゃなくてぼた餅だ。
瞬間、嫌な予感がして上を見上げた。
そこには、一個目落下の反動で大きく揺れている笹の姿が……。
「おい、あ……」
あゆ、という前に残った三つのぼた餅たちが宙に泳いでいた。
そして、それは真下に座ったままのあゆの頭上目がけて……。
「うぐぐぐぐぐぅっ!?」
容赦なく降り注いだ。
しかも、縛りが甘かったのか二個は途中でヒモが解けて、あゆの頭で破裂。
しっとりヘアーに真っ黒な華を咲かせていた。
「お、おい、あゆ?」
あゆは前のめりに倒れたままピクリとも動かない。
おいおい、まさが断末魔『おはぎ』ならぬ、死因『おはぎ』の発生か?
「うぐっ!」
と、思ったら、がばっと顔を起こして復活。
飛び散ったアンコをまぶしたその顔が、俺の顔と合った。
今にも泣きそうな顔をしている。
まずい、これは励ましてやらなければ。
急いで親指を立て、にっと笑顔を作ってみせる。
そして、こう言ってやった。
「すごいぞタナボタ四連! これで今年はラッキー間違いなしだ!」
「ぜんっぜん、うれしくないよ!」
いいことあるさ、きっと。
今、あゆはその頭に七夕の祝福を浴びたんだ。
そう信じていこうじゃないか。なあ、あゆ。
「の〜みそ〜」
「いたっ、いたっ、名雪さん起きてーっ!」
数分後、トイレ前で寝ぼけた名雪に遭遇し、あゆは脳みそ……ではなくて頭のアンコを吸われていたけど。
かじりついたら、いい味がするんだろう。
今はアンコの甘い香りが立つその頭には、きっと幸せが詰まっているんだろうから。
「あゆ、俺もアタマかじっていい?」
「助けてよ! うぐぅーっ!」
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