栞がやってきてから水瀬家は変わった。
第一に朝。
「おはようございます」
「祐一さん、おはようございます」
「おはようございます。お兄ちゃん」
ダイニングで待っている人が二人に増えて、返ってくる挨拶も二つに増えた。
『お兄ちゃん』、何度聞いても新鮮で、また何度聞いても飽きない響きだ。
第二に、朝食だ。
メニューはサラダ、カボチャのスープ、トースト、オムレツ、ベーコン、コーヒー。
まるで『ロイヤルブレックファースト』とか、ご大層な横文字が並びそうな内容と盛り合わせである。
もちろん、机にはナイフとフォークばかりか、綺麗に折られたナフキン置いてあったりと……ここが普通の民家であることを忘れてしまう。
「今日はまた朝から豪勢ですね」
「ええ」
感心する俺に、秋子さんは満足そうににっこりと微笑んだ。
もともと、料理にこだわりのある秋子さんは、こういう朝食を用意したかったらしい。
しかし、仕事の関係上、朝に時間を割けず今まではトーストとコーヒーで妥協せざるを得なかったようだ。
そんな秋子さんに、望みの優雅な朝食風景をプレゼントした功労者はもちろん……。
「ジェパンニが一晩でやってくれました」
「え? 誰?」
「冗談です。栞ちゃんが手伝ってくれてますから」
秋子さんの冗談は、どこからどこまでが冗談なのか判断に困るので勘弁して欲しい。
とにかく、朝に強いヘルパーが一人入ったことで、秋子さんは料理に集中できるようになったらしい。
だが、この優雅な朝食というやつがクセモノだ。
こんなホテルのような朝食を前にして、パジャマでコーヒーをすするなんて真似ができようか?
俺の心はそこまでバリケードじゃない。
何事もムードなのだ。
俺としては、だらだらと寝ぼけ眼で食卓に現われ、けだるさの中トーストをかじるというアットホームな雰囲気の方が好きだ。
しかし、こんな食事を出されると、いかにもそれが場違いな気がして、ついつい制服を着て寝癖も直してと完全武装でしか食卓に上がれなくなってしまう。
おかげで、不本意ながらここ最近非常に健全な朝の習慣がついてしまった。
ベッドを片付けてから部屋を出るとか、ありえないぞ俺……。
何か見えざる力に誘導されてる気がする。
第三に名雪。
「ふぁ、おはようございます……」
色気より食い気とは言うが、朝食の匂いにつられて起きてくるようになった。
人としてどうなのか、とは思うが……手間がかからないに越したことはないので、よしとしよう。
「さて、名雪も揃いましたし、朝ごはんにしますか」
「はい、いただきます」
「いただきます」
そして、こっくりこっくり舟を漕ぎながら、器用(?)にナイフとフォークを使う名雪を横目に、三人で手を合わせて朝食開始。
そして、最後にコーヒーを飲んで目を覚ました名雪が、『いただきます』に足りなかった一声を『ごちそうさま』に加えて朝食が終わる。
朝だけでも、変われば変わるもんだ。
「む? どうかしました? お兄ちゃん?」
「いや、何も」
コイツ一人がいるだけで。
いもーと?
7.乙女コスモよ、ブルーデーの雨を降らせ
さて、諸君。
諸君は妹がいる光景、と聞いて何を想像するだろうか?
え? 『おはようのキス』と『行ってらっしゃいのキス』だって?
アホかっ!
そりゃ、新婚夫婦の間違いだ。
兄妹の関係でそれは『禁断の愛』(タブー)って言うんだよ。
まったく、俺は妹にそんな邪な感情は抱いていないんだ。
あくまで妹は妹として愛しているということを、誤解しないでもらいたい。
妹を手にしたい一心で、ハッスルしながらサインしたとしても、だ。
とにかく、朝のお兄ちゃんラブなしっかり者の妹イベントと言えば……。
愛 妻 弁 当
これに相違ないと俺は断言する。
「でも、兄妹と夫婦は違うんだよね?」
「うるさい。黙って聞け」
男子たる者、同世代の女の子に『今日のお弁当だよ』なんて、にこやかに青い包みを渡された日には、それはもう幸せ気分一杯だ。
その日は一日ブルーデーと言って差し障りない。
「……祐一、ブルーデーの意味知ってるの?」
「もちろんだ。俺が今作った。青空のように心が晴れる日、略してブルーデー。乙女心にきゅんとくる響きだろう?」
「うん、来るよ。……でも、全然晴れやかじゃないけど」
しかし、愛情の詰まった弁当を総称して『愛妻弁当』と呼ぶ。
「え? 『しかし』って……?」
「いちいちうるさいぞ、名雪。揚げ足を取るな」
「う、うん」
しかし、結婚は人生の墓場という言葉がある。
つまり、愛妻弁当とは矛盾した言葉なのだ。
渡してくれる人が『妻』になったら、そんな弁当など望むべくもない。
愛妻弁当とは同棲する同年代の女性から、好意の証として受け取る弁当のこと。
そんな初々しさを回想して、世の家庭の奴隷と堕ちた夫達は、しばし揶揄と羨望を込めて『愛妻弁当』と呼ぶ。
だから、本当の愛妻弁当は『妻』から受け取ることはない。
「ということだ。長年の付き合いだ、言いたいことはわかるな名雪?」
「ごめん。全然分からないよ」
「何!? 今の話を聞いて、『祐一のために作ってあげよう』とかいう気にならないのか!?」
「え? そういう話だったの?」
きょとんと口を開ける名雪。
このやろう、俺の熱弁はなんだったんだ。
次からお前への用件は、分かりやすいよう三行半で済ませてやる。
「作って欲しいなら、がんばって起きてみるよ。うん」
「もういい。そんな愛のこもってない作業的なブルーデーなどいらんわ」
「だ、だから、ブルーデーは……! 作業的なのは認めるけど」
「ブルーデーが作業的? ふん、ブルーデーの魅力を分かってないから名雪はそう言うんだ」
「……もういいよ、そのブルーデーで」
なんだ、赤くなったりため息ついたり、忙しいやつだな。
まあいいさ。二人分の愛妻弁当を見せびらかしてやりたかったが、朝に弱い名雪では仕方ない。
そう、栞が朝早くから起きては秋子さんに従事している理由は他でもない。
全ては愛妻弁当のためだ。
さあて、今日も我が妹はどんな弁当を渡してくれるのか。
玄関前で待ち焦がれるこの瞬間がたまらない。
「お兄ちゃん、名雪さん、お待たせしました。今日のお弁当ですー」
さあ、きたきた。
にっこりと微笑んだ妹に、両手で大事そうに差し出された青色の包みを……。
「あれ?」
しかし、渡されたそれは銀色に輝いていた。
しかし、渡されたそれはずしりと重かった。
しかし、渡されたそれは食えそうになかった。
それは弁当箱というにはあまりに無愛想だった。
淡い青色の包みなどなく、剥き出しの金属が鈍い光を放っていた。
たぶん、人はそれを……『デカイ水筒』と呼ぶことだろう。
「おい、栞……。これは一体、どういう……」
問いただそうとして、口があんぐり開いた。
というのも……。
「はい、名雪さんにはこれです」
「わー、ありがとう。こんなにたくさん、お昼が楽しみだよ」
「いえ、名雪さんは大会の練習で大変ですから。しっかり体力つけてもらわないと」
名雪には俺のブルーデーがしっかり渡されていたからだ。
しかも、ずっしり二段重ねと思しき弁当が……。
「おい、栞……」
「さ、それでは行きましょうか」
もう一度問いただそうとして、よいしょとばかりに栞が背負った黄色いナップサックに目が止まった。
あれが、栞の弁当か……?
ナップサックの垂れ具合からして、かなり重い物が入っているように見える。
「栞、そのナップサックは一体……?」
「秘密兵器ですっ」
彼女はにこーと微笑みながら、ナップサックの後ろにでかでかと張り付いてる三毛猫のアップリケをこちらに向けた。
秘密兵器……これが秘密兵器、ねえ?
「あ、気に入ってくれたんだ。わたしのお古」
「って、お前のかい!」
かなりどうでもいい秘密が暴露された。
「だうー」
そして迎えた昼休み。
『だるー』と『うがー』を合わせて『だうー』、ふふふ、ナウよね俺。
「相沢、昼休みだぞっ!」
「と、北川が名雪の真似してて気持ち悪いことこの上ないが、今の私にはどうでもいいことなのだった」
「うわ、実に傷つくスルーしやがるな、こいつは」
うるさい、うるさい。
お前に俺の気持ちが分かってたまるものか。
俺の弁当は水筒だぞ。水筒!
「で、どうしたんだ? せっかく授業が早く終わったというのに、一人だけ浮かない顔して」
「おお、聞いてくれるか我が友よ」
「お前、さっきは無視しようとしておいて……」
「まあ、そんなことより聞いてくれよ。北川、お前は晩飯に針金を食うか?」
「何がハリガネなのか知らんが、答えは当然ノーだ」
「そうか、俺は筋金入りの男になりたくて、文鎮をかじって奥歯を砕いたことがあるぞ。これがなかなか抜けない乳歯で、俺は痛いやらザマアミロやら、複雑に喜ばしい心情だった」
「なるほど。ピーマンでも食うか? 鉄分豊富だぞ」
「ピーマンか。奴は嫌いじゃなかった。だが、やきそばパンにピーマンだけは許せない。食えないワケじゃないんだ。ただ、やきそばがな……」
「美味いぞ、やきそばパン。これも石橋が授業を早く切り上げてくれたからだな」
「ああ、俺も食堂ダッシュできれば、今頃はワッフルワッフルと叫んでいただろう。人気一位はやきそばパン、二位はワッフル。俺が転校生でも、もうそれくらい知ってるさ……」
「そんなに欲しければやるぞ、ワッフル。ほれ」
「ありがとう。だが、断る」
投げつけられた施しのワッフル、だが俺は誇りでそれをはねのけた。
甘いの嫌いなんだよ、そろそろ覚えろ。転校生だからって馬鹿にしやがって。。
「で、愛妻弁当はどうした?」
「それを聞くなあああっ!」
ぐすん。そんなに転校生いじめて楽しいか。
結局あの後も、のらりくらりかわされて、栞に弁当のこと聞きそびれたんだよ。
「だが、最後にヤツは言った。昼、そちらに向かう……と」
「さっぱりワケが分からんのだが。ゴジラでも来るのか?」
「えっとね、多分栞ちゃんがお昼休みこっちにくるから、授業が早く終わっても意味がないんだよ……って言いたいんだと思うよ」
「そゆこと」
サンクス名雪。
お前の三行半説明、確かに受け取ったぜ……。
去来する侘しさと共に。
ああ、水筒。どうしてお前が昼飯なんだ。
「つまり、この落ち込みようはアレか。弁当もらえなかったのか?」
「ふ、ふふふ、もらったさ。このぶっとく鈍く光る固い筒をな!」
どんっ、と机に水筒を叩きつけてやる。
いくらでも見やがれ、ちくしょうが。
いつも『愛妻弁当』見せつけてて反感買ってるのは、こっちも先刻承知だよ。
「……視線だけでも、溢れんばかりの被害妄想をひしひし感じるな」
「ほんとは優しくして欲しいんだよ。でも、祐一って意地っ張りだから……」
「仕方ないヤツだな。よしよし、いい子だボーヤ。ワッフル食うか?」
名雪には憐れまれ、北川には頭をくしゃくしゃと撫でられた。
ひどい屈辱だ。
それもこれも、栞がこんなもの(水筒)なんかを弁当に渡すからだ。
ええい、もう知るか。飲んじゃれ。
「あ、祐一ダメだよ。栞ちゃん来るまで待ってなきゃ」
「止めるな、名雪。俺は今から水呑百姓300年の思いを堪能するんだ」
「ワケの分からないこと言ってないで、栞ちゃん待とうよ」
「食うものなし、水を飲むだけの生活、だから水呑百姓……ああ、水呑百姓の家系に生まれてよかった。今、俺のDNAが沸騰する!」
かぱっ、と水筒の外蓋を開け、さらにきゅぽんと内蓋を開く。
ヤケ飲みに行儀はいらない。こいつをぐびっと喇叭飲みすれば、あとはぐっすり夢の中さ……。
「よっぽど妹に弁当もらえなかったのがショックだったんだな」
「祐一って、よくわからないことに真剣になるよね。それも悪い方向に」
外野二人が何か言ってるが聞こえない。
見さらせ、これが俺の一気飲みだ。相沢祐一、今世界を飲む!
ごきゅっごきゅっ――。
「ぶふぅっ! ゲホゲホゲホッ! な、何じゃあこりゃあ!?」
しかし、飲み干せなかった。
というか、とても茶とは思えぬ塩っ気にむせた。
そして、その結果……。
「よう、ワカメ王子」
「よう、相沢。まあ、なんだ……一発殴らせろ」
俺の目の前に、頭からハイドロポンプ(ワカメの味噌汁)を被った北川が出現していた。
そして……怒りに震える拳にワッフル握りしめ、彼のハンマーブローが俺のドタマに落とされる。
痛みとともに、ぐちゃぐちゃに潰れたワッフルがぱらぱらと頭から落ちてきた。
わーい、ワッフルワッフル!
……甘い匂いがそこらかしこに染み付いて、すんごい悪夢だこと!
「遅れてすみません。授業が長引いちゃって……って、何かあったんですか? ワカメ王子とワッフル臭怪人が目の前にいるんですが」
しかも、そのタイミングで栞来るし!
誰がワッフル臭怪人だ。せめて俺もワッフル王子にしろ。
「見て分からないか?」
「……ふむ」
ワカメを頭に乗せた男と、ワッフルをまぶされた男。
栞は腕を組みながら首を傾げ、然る後にぽんと手を叩いた。
「分かりました!」
そうだろ、そうだろ。さすが俺の妹、理解が早い。
「かなり特殊なローションプレ……」
「違うっ!」
「違うっ!」
いきなり物騒な回答が飛び出したので、慌てて北川と同時に否定。
ワカメとワッフルで男同士って、どんな変態だ俺達は。
性欲の奴隷か? 70年代の恥部なのか?
ワカメとワッフルのまま海に沈められる運命か?
冗談じゃない。
「名雪、お前も何か言ってくれよ」
「食べ物を粗末にしないの」
しかし、返ってきた返事は冷たいものだった。
思わずたじろぐ男二人、ワカメ王子とワッフル臭。
「返事は……?」
ヤバい、こっちは本気で怒ってる。
当然と言えば当然だ。
その額に張り付いたワカメと、その上に張り付いたワッフルの破片が全てを物語っている。
つまり、流れ弾を食ったのだ。
「スイマセン」
男二人、即座に謝った。
怖ぇ、普段ぽけぽけしてても、さすが秋子さんの娘だよ。
正当ギレさせるととマジ怖い。
とりあえず、トイレの流しでワカメとワッフル頭に別れを告げて教室帰還。
帰ってみると、そこには三席寄せたTの字の食卓が出来上がっていた。
座って待ってるのは、もちろん栞と名雪だ。
俺達の姿を確認して、名雪が手を振る。
「おかえりー。頭、取れた?」
「ああ、なんとか」
頭が取れたら困るがな。
と、幼稚なツッコミは控える。ふっ、俺も大人になったもんだ。
「塩素で髪が荒れた」
「北川君、あとでリンス貸すよ? シャワー室に置いてるから」
「頼むわ。サンキュー」
うげ、この男、リンスなんかしてるのか。
地味に嫌だ。一瞬シャワーシーン想像して、寒気がしたぞ。
「それにしても、お兄ちゃんには困ったものです。勝手に水筒開けないでくださいよ」
「だって、中身訊いてなかったし」
「お昼に行くって言ったじゃないですか」
ぷんぷんと、そんな音が聞こえてきそうなくらい頬を膨らませながら、栞は水筒を上下にシャカシャカ振っていた。
どこのバーテンだ、お前。
「祐一が悪い」
「藪から棒になんだ、名雪」
いきなり悪いとはご挨拶だ。
「レディを待てないなんて最低だよ」
うぐっ……。
いきなり痛いところつきやがる。
「そうだな、俺が悪かったよ。これでいいか?」
「駄目だよ」
「何でだよ」
「栞ちゃんにあんな重い物振らせておいて、何とも思わないの?」
「……へ?」
栞の方を見る。
なるほど、大きくて重い水筒だ。
栞の小さな体では、振ろうにも持て余しているのがよく分かる。
「借りるぞ」
「あ、はい」
「これでいいか?」
「はい。お味噌と具が混ざるようによく振ってください」
なるほど、こんな重いもん振ってたのはそういうわけか。
確かに、栞にやらせることじゃないな。
「……鈍感」
名雪のヤツ、ワカメとワッフルの怒りで小姑モードになってやがる。
刺すような視線が怖いって。
何かで話題逸らそう……あ、そうだ。
「栞、そのナップサックって何なんだ?」
朝に背負っていた黄色っぽいサブマリンこと、イエローサック。
秘密兵器と名付けられたそいつは、やはりこの場にも持ち込まれていた。
「よくぞ聞いてくれました。実はここ最近、お兄ちゃんたちの昼食を預かるようになってから思ったことがあるのです」
「量が多い」
「それは、残飯処理と練習のためということで置いておくとしまして――」
「待て。今、何か残飯とか聞き捨てならない発言があったような」
「でも、残さないでください、って私は一度も言ってませんよ」
「食わずにはいられないんだ。貧乏性で悪いか!?」
世の中には、食べたくても食べられない人がゴマンといるんだ。
だから、俺は量が多いと分かっていてもだな……。
「だったら、部活で体動かせばいいのに。運動してたら適量だよ?」
「ぐむぅっ!」
思わぬところから手痛い反撃。
今日の名雪は手ごわすぎる……。
「そんなことより、もっと深刻なことです。学校に通うようになって、毎日お弁当で過ごすようになってから、私は我慢のならないことに気付いてしまったのです」
握り拳をふるふる震わせ、ぷーっと栞が頬を膨らませる。
何の動物だ、お前。
まあ、我慢ならん、ってトコはその態度でよく分かった。
「で、何が我慢ならないんだ?」
「ええ……」
周りの声がしんと静まる。
敢えて説明するまでもないが、下級生とか義妹とかお兄ちゃんとかT字テーブルとかブルーデーとか、色々な事情あって俺達は注目されている。
むしろ、俺が見せびらかしてる!
いや、それは今はどうでもいいや。
とまあ、そんなわけで周りは自然を装いつつも、こちらを意識しているわけだ。
ほんと、どいつもこいつもゴシップ好きだね、やれやれ。
栞さん、焦らすのはもういいから、そろそろその不満とやらをぶちまけてやりなさい。
「私の不満、それはですね……」
まったくお主も演出家よのう。
まだ焦らすか。もういいから言えっての。
「お弁当が、ものすごく不味いんです」
そうか、そうか。なるほどなあ……。
って!
「お前の作った弁当だろうがっ!」
「あ、そうでした」
指をちょんと口に当て、にこー。
「いや、そこ笑いどころじゃないだろ」
「冗談です」
真顔で冗談言うな、こら。
しかし、栞の弁当ってそんなに不味かっただろうか?
少なくとも、不味いモンを『愛妻弁当』と称するほど俺に奇特な趣味はない。
謹んで『殺人弁当』の称号を送ってやる。
栞の弁当は『愛妻弁当』だ。つまり、味は一応オッケイ。
「はじめは珍しかったお弁当も、毎日食べていると、おかしいって思うようになりました」
「え……? でも、栞ちゃんのお弁当ってそんなにまずくはなかったよ?」
「そんなに……まずく……?」
「あ……。い、今の嘘だよ! 言い間違いだから、そんなに落ち込まないで!」
「いいですよーだ。どーせ、名雪さんほど美味く出来ないのは分かってますよ、ふんだ」
お前は子供か、栞。
名雪も名雪で、フォローする前に言葉を選べよ。
何はなくとも。とにかく不味いを否定してやりたかった気持ちはわかるけど。
「栞ちゃん、言い間違えただけだから。お弁当美味しいよ」
「ほんとですか?」
「うん、ほんと。ほんとにほんとだよ。全部食べちゃうもん」
目をうるうるさせる栞に、名雪はたじたじだ。
と、そこで栞が捨て犬のような目をしてこちらを向く。
「お兄ちゃん……」
が、そこで栞の顔が素に戻る。
ていうか、これはむしろ良からぬことを言う悪い顔。
「あんなに不味いのに、名雪さんは美味しいと言います」
「はうっ!」
いや、かわいそうだから、もうそれ以上名雪をいじめるな。
名雪が、またびくって体震わせて怯えてるじゃないか。
「まあまあ、それでどこが不味いんだ? 俺も不味いと思ったことはないぞ」
「問題なのは、お弁当の構造です。お弁当を作っているときは、美味しく出来たと思っているおかずが、お昼になると美味しくない」
「それは、気のせいじゃないのか?」
「いいえ、違います。朝にはパリっとおいしかった唐揚も、昼にはヌメヌメのパサパサ。ご飯はご飯で、魚の匂いがついたり固くなってたり、最悪です」
「……ああ」
なるほど。
確かに、作りたての料理に比べて弁当は不味い。
それは真理だ。
「しかし、それが弁当じゃないのか?」
「そんなことありません。食事を預かる者として、お兄ちゃん達には美味しいお弁当を出したいんです。妥協のパサパサと臭気なんて嫌です」
嬉しいこと言ってくれるなあ。
でも、弁当の存在を根本から否定してやるなよ。
そんなこと言ったら、全国の弁当箱が泣くぞ。
パサパサと臭気、とはヒドイ。別のモノ想像するだろうが。
わざとだろうけど!
「それに、私も食べるんですよ!」
「……あ、そう」
胸キュン度マイナス30点。
「あっ、今何かひどいこと考えましたね!?」
「って、何で分かるんだよ!?」
「顔を見ていれば分かります!」
鋭すぎるわっ!
それとも、俺が分かりやすいのか!?
「自分で食べないのをいいことに殺人料理を食べさせる義妹と、情けは人のためならずな義妹とどっちがいいですか?」
「そりゃ後者かな」
「だったら、正当な評価をしてください。もうっ」
ぷんすかぷん。
敢えて言わないけど……今の二択、後者が聞こえよくなるように装飾されてたよな?
「まあ、そんなワケでですね、この秘密兵器を思いついたのです」
そう言って、栞はナップサックから取り出した丸い木箱を、どすんと机に置いた。
えーっと? どっかで見たことあるな、確か……。
「生首入れ?」
「さらっと怖いこと言うなっ!」
せめて漬け物桶と言ってくれ、名雪。
一瞬、生首が収まってる様子を思い浮かべてしまったじゃないか。うう、怖。
「これはですね、保温櫃と言って、ごはんを入れておくものです。数時間くらいなら、あったかふわふわを保てるというシロモノなのですよ」
パカっと開くと、そこは一面の湯気立つ銀シャリ世界。
周りで見ていたクラスの一同からも、『ほぉ』とかいった感嘆の声が上がる。
そうか、どこかで見たことあると思ったら、寿司屋とかにあったな、こんなの。
「あ、わかったよ」
と、今度は名雪がぽんと手を叩き、やおら朝に渡された青い包みを解いた。
そこに入っていたのは、竹で編まれた二つの箱。
中を開くと、そこには天麩羅と白身魚の焼き物が入っていた。
もちろん、三人分。
「匂いがつかないようにするために、ごはんと分けておかずを入れるようにしたんだね」
「はい」
「うん、すごいよ。冷めても大丈夫なおかずを選んでるし、これならごはんの熱で痛んだりもしないよ」
「おかずは真っ先に温めて、湯気を切ってから入れました。おせちを参考にしています」
「あ、そっか。おせちって年末に作ってお正月に食べる保存食だもんね」
こくこくと頷き合う乙女達。
実によい眺めだ。
が、料理の話などさっぱり分からない俺には、何を話してるのか……まったく分からん。
一つだけ確かなのは、味の『劣化』『変質』という弁当の逃れられない宿命に栞が必死に抗って見せたということだろう。
周りが涎を飲み込んでる様子で、目の前のモノがいかに羨ましい弁当なのかがよく分かる。
だが、栞の秘密兵器はまだ終わってなかった!
さらに、ナップサックから何かを取り出し、机に並べる。
漆塗りのその器は、まさしくお椀。
「まさか、味噌汁はここに?」
「それ以外に何に使うんですか、お兄ちゃんは」
……そりゃそーだ。
しかし、学校でこんな色鮮やかなお椀が出てくるなんてなあ。
なんて、思うも束の間。今度は、白い陶器が並べられる。
お椀とくれば、セットで出てきて然るべきもの……その名はお茶碗。
まあ、ごはんがあるんだから持ってきて当然だろう。
だけど、その時俺達は忘れていたんだ。
この展開ならば有って当然なのに、この場(教室)にあまりに馴染みのない存在のことを。
お櫃、お椀、お茶碗と取り出して、もうスカスカになった抜け殻のような黄色っぽいナップサック。
「そして、これが本当の――」
栞は今一度そこに手を突っ込み……。
「秘密兵器ですっ」
神をその手に高らかと掲げた。
にわかに教室がざわめく。
誰もが彼の姿に息を飲んだ。
それは普段なら取るに足らないモノのはずだ。
家にあったところで、これといった感慨が湧くものではない。
しかし、学校という空間、教室という教育空間において……しかも、妹という存在がそれを持つことで……それは神の輝きを放ち始める。
「お兄ちゃん、どうぞ」
にっこりと妹が微笑みを浮かべ、トンと小気味のいい音を響かせる。
お茶碗に盛られた、あったかいご飯。混じり気のない米の香りが鼻腔をくすぐる。
そんな俺を、『しゃもじ』を持った妹が嬉しそうに見つめてたら、どうだろうか?
学校で妹がしゃもじでごはん。
俺達はそこに神の姿を見た。
アットホームが輝いて見えるのは、ここが教育空間だからこそ。
これぞ対照美!
「栞」
「はい」
「最高の昼飯だ!」
「ありがとうございますー」
しゃもじを手にしたままの妹の頭を思い切り撫でてやった。
栞が彼女か妹かなんてどうでもいいことだったんだ。
いつだって栞は俺のために一生懸命になってくれる女の子だ。
そんな彼女と出会えた俺は、きっとこれからも幸せに違いない。
余談だが、この後は大変だった。
しゃもじ IN Z.O.E(ZONE OF EDUCATION)の効果は凄まじく、外野の生徒達が残ったごはんに集中。
栞にご飯を盛ってもらおうと、じゃんけん大会にまで発展する騒ぎになった。
まあ、気持ちは分かるけどな。
最低家族三人が同じ学校にいなければ、このアットホームは味わえない。
まさに、三位一体の弁当奥義(?)なのだ。
条件からして既に脱落する生徒にしてみれば、さぞあのしゃもじが眩しいことだろう。
しっかし、男も女も一人っ子はみんな妹欲しいんだねえ。
呆れるやら感心するやら、騒ぎを横目に持てる者の余裕を噛みしめ俺・名雪・北川はご飯をもくもくと食べていた。
「オイ、待て。なんでお前までごはん食ってるんだよ、北川。お前もじゃんけんして来い」
「誰かさんにワッフル一つを駄目にされたんでな。これは栞ちゃんからの厚意だ」
「あ、そう」
これ以上突っ込むと、クリーニング代とか言われそうなのでヤメ。
――その頃。
「隣、何だか騒がしいわね」
流刑になった隣の教室で、しゃもじの姉はチャーハンを突いていた。
美坂香里、TV番組『チャーハン作るよ!』が最近のマイブーム。
『頑張れカオリー。そのチャーハンで妹の命を救う日まで!』
あ、これ現在の彼女の脳内妄想みたいです。
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【後書】
∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒) チャーハン作るよ!!
/ o━ヽニニフ))
しー-J
祐一の変な言葉を真面目に聞いてる名雪が、なんか好きです。
名雪にとって今の状況は、祐一が二人に増えたようなものなのかも。
実に大変そうです。
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