『偽善者死ね』
『何で生きてるのよ』
『あんたみたいのがいるから』
『しねしねしねしねしねし……』
届けられた手紙を見て栞は溜息をついた。
ドラマ好きとはいえ、その世界がテレビで見る煌びやかなものだけではないことを彼女は知らないわけではない。
一枚皮をめくった先には自分の見ている日常と変わらない泥臭さがあるだろう。
つまり、やっかみという感情が。
しかし、一流女優でもない、一時的にちょっと有名になった程度の自分でもこんな類の手紙が届けられるというのはある種の不思議さがあった。
「あれ?」
栞は手紙を見ていて不思議なことに気付いた。
よく見ると呪いの手紙は全て同一人物からの物ではないか。
決して多くは無い今まで溜めておいた手紙の束をもう一度漁ってみる。
それらは闘病生活を支えた医師経由で栞に送られてきた手紙である。
いや、彼がその記録を世間に公開したからこそファンレターなるものが届いたりするわけだが。
剃刀レターなるありがたくない物も。
そして、探してみると確かにあった。
栞に暴言を書いてよこした人物からの手紙が何通も。
栞はその手紙を真剣な顔で読んでいき、全て読み終えると日付順に並べて鞄の中に入れた。
solidus
――翌日。
「栞がいなくなったぁ!?」
「ええ、朝起きたらこんな置き手紙が机の上に乗っていたのよ」
美坂家に呼ばれた祐一を待っていたのは疲れた様子の香里だった。
朝から妹の行方を捜して一家中で大騒ぎになっていたのだろう。
祐一は香里の差し出した一枚の紙を黙って見つめる。
そこには……。
『ちょっとした傷心旅行に行ってきます』
とかわいらしい文字が躍っていた。
「相沢君……あなた栞に何をしたのかしら?」
手紙を見て沈黙した祐一に香里が静かな怒りを表す。
傷心旅行ということは栞の彼氏をやってる祐一が何かをしたに違いない。
姉の香里でなくともこの状況では誰もがそう思うだろう。
「知らん。俺だって昨日の夜デートの約束したばっかりなんだぞ。何がなんだか……」
香里に凄まれたところで、祐一も心当たりの無いものは無い。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている祐一を見て香里は溜息をつく。
多分相沢祐一はシロだ、と思ったのだろう。
大方自分と祐一をからかって遊ぶために紛らわしい置き手紙を残していったに違いない。
本当は何か別の目的で家を出て行ったのだろう。
そう推察した香里はもう一度溜息をつく。
「まったく……あの子どこに行ったのかしら」
少女は余命幾ばくも無い病に冒されていた。
一人病室で鈍痛のする頭を押さえながら筆を執る。
家族が見舞いにやってきてもヒステリックに叫んで追い返した。
しかし、弱った体はそれすら許してくれない。
叫んだままそのままベッドに突っ伏し、ナースコールを押されることもしばしばだ。
それもこれも全部アイツのせいだ。
意識を失いかける寸前にいつも彼女はそう思うのだった。
ベッドから半身を起こし、その怒りを目の前の紙にぶつける。
「……ううっ」
突然息苦しくなり咳き込む。
少女の一日の大半は苦痛が占めるようになっていた。
ひとしきり咳をしたところで息苦しさは止まった。
頭に振動が伝わったせいか頭痛は激しくなる一方だったが。
「大丈夫ですか?」
頭を押さえていた彼女に横から声がかかる。
澄んだ、発音のいいきれいな日本語だった。
「なんで生きてるのよ! さっさと死んじゃいなさいよ!」
「なっ!?」
何の悪意も感じられない声だが、残酷極まりない言葉が彼女に向けられる。
彼女は思わずカッとなって顔を上げ、声の主を睨みつけた。
「あなたの手紙ですよ」
チェック模様のストールを羽織った少女がにこにこ微笑みながら、今彼女がしたためていた手紙を眺めている。
「誰よ……あんた?」
ノックもしないで人の病室に入ってきた不埒者に不躾な視線をぶつけるベッドの少女。
が、ストールの少女は別に威圧された様子も無く、さらに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「つれないですねえ、憎んでる相手の顔くらい知っていて下さいよー」
その一言でベッドの少女は青ざめる。
目の前で笑みを浮かべている者の正体に気付いたからだ。
「あなた……美坂栞なの?」
幾度となく怒りの手紙を送った相手が突然目の前にいる。
あんな悪質な手紙など届いたところで無視されるに決まってるとタカを括っていただけに、少女は怖気づいてベッドからずり落ちそうになるほど後ずさった。
が、次の瞬間考えが変わったのか、攻撃的に目を光らせて身を乗り出す。
「お父さんかお母さんね。それともここの先生? 誰があんたを呼んだのかしら?」
美坂栞に剃刀レターを送ったのが父か母、もしくは病院の医師にばれたのだと少女は思った。
そして、気付いた誰かが美坂栞に謝罪し、涙ながらに自分のことを語り彼女自らの慰問を依頼したに違いない。
少女の脳裏にはそんなヘドの出そうなシナリオが思い浮かんだ。
そして少女は頭の中で毒付く。
いちいちカンに触る真似を……と。
「いえいえ、私から勝手にやってきただけですよ」
余裕の笑顔を崩さず、栞が他人の関与を否定する。
「美談作りのうまさは大したものね。そう言うようにマネージャーさんにでも教えられたの?」
唾を吐くかのごとく少女は栞から顔を背けて吐き捨てた。
死の病から奇跡の回復を遂げて一躍有名となった美坂栞。
人の絆と彼女の努力が実を結ぶというその奇跡のシナリオは一般人の涙をことごとくちょうだいした。
中には彼女の話を聞いて手術の勇気が湧いたというおめでたい馬鹿もいたらしい。
少女の両親と医師は何をトチ狂ったか少女に美坂栞の話を勇み喜んで聞かせた。
少女は不愉快だった。
自分に美坂栞を立たせるために頑張れとでもいうんだろうか?
自分の死を美坂栞に類する美談の末席に加えていただこうとでもいうことなのだろうか?
だったら私がそのシナリオを滅茶苦茶にしてやる。
そう思って彼女は美坂栞宛ての剃刀レターを人知れずしたため続けたのだった。
病気の苦痛が激しくなるのと、彼女の心が鬱屈していくのは同時だった。
「マネージャーさん……ですか」
敵意剥き出しの少女に対し、栞は視線を上にやり何かを思案する。
右の人差し指をちょこんと口に当てながら。
「じゃあ、そういう人がいることにしちゃいます」
嫌味も意に介せず栞が話を進めるのに少女は閉口した。
どうやら本当に一人で勝手に来ただけらしい思ったからだ。
ご丁寧に自宅の住所まで書いて手紙を送りつけたのだ。
来ようと思えば来れないこともない。
じゃあ、一人で一体何をしにきたのか?
少女の次の疑問はそれだった。
「えっと、じゃあ今からのことはオフレコですよ? こんなことがマスコミにばれちゃったら事ですから」
自分を励ましに来たのだろうか?
それはそれでヘドの出る話だ。想像通りの偽善者だったというわけである。
と思ったところで少女はあることに気付く。
自分は美坂栞への手紙でごく普通の一般人を装っていたはずだ。
何故自分が入院していることが分かったのだろう?
家に行ってもこの時間両親は出払っている筈だ。
それともやっぱり両親の差し金か?
栞の予想外な態度の連続に少女はいささか混乱していた。
「ちょっと待って、あなたはどうして私がここにいるって知ったの?」
気づいた時には少女は疑問を口にしていた。
すると栞は何がおかしいのかまた微笑みながら答える。
「あー、大変だったんですよ。手紙に書かれていた住所に押しかけても誰もいなくって、イチかバチか近くの総合病院で尋ねてみたんです。そしたら……」
「……ドンピシャだったわけね」
「ええ」
一人で来たということは間違いない、じゃあどうして美坂栞は自分が病院にいると考えたのか?
栞がほとんど確信してここに向かってきたことを少女は不思議に思う。
「どうして私が病院にいると思ったの?」
「分かりますよ。だってあなたの手紙、日を追うごとに字が汚くなっていたんですから」
「……あ」
言われて少女は気付いた。
両親にも医師にも見られないように書いて封をし、病院前のポストに入れた手紙。
しかし、体の苦痛が激しくなるにつれ文面がどんどん雑になっていたのだ。
最後に送った手紙は考えるのも億劫になり、『しね』を紙の一面に一気に書き殴った。
『死ね』と漢字で書くのも面倒になっていたのだろう。
しかし、だからといって少女は美坂栞に感心する気はなかった。
いや、少しでも感心するということ自体、栞を否定するという少女の最後の意地を曲げることにつながる。
「で、何しに来たのよ? まさか励ましに来たって言うんじゃないでしょうね?」
ここで情けをかけられるなど少女にとっては屈辱だった。
が、栞は微笑みながら横に首を振る。
「大丈夫です。そのつもりは全くないです」
そしてきっぱりとそう答えた。
「はい?」
さすがにこれには少女も面食らう。
お世辞で言葉を濁すとかなら少女にも理解できる。
しかし、栞は本気でそう言ったのだ。
そもそも何が大丈夫というのやら、少女は既に頭痛を忘れていた。
「こんなふざけた手紙をよこしたお馬鹿さんがどんな顔をしてるのか気になって仕方なかったんですよー」
「なんですって!?」
慰めの言葉どころかとんでもないことを言ってのける栞。
悪意そのもののような言葉を嬉しそうに語る栞に少女は正真正銘の殺意を抱いた。
「と、まあそれは半分本気、半分冗談ですが」
「半分でも本気が混ざっていれば十分な暴言よ」
少女は顔をしかめながら栞を睨みつける。
が、その心にはさほど不快感はなかった。
美坂栞をとりまく雰囲気は嫌いではあったが、美坂栞という人物は嫌いではなかったということだろう。
もともとひねくれ癖のある少女には、型破りな栞の行動が魅力的に映ったからだ。
と、そこで終始笑顔の栞が一転、初めて物悲しい顔をする。
「あと、謝りに来ました。私のせいであなたは特別嫌な思いをさせられたんじゃないかと思って」
「別に……あんたに謝ってもらっても嬉しくないわよ」
少女は腕を組んで栞から目を背ける。
栞の言うとおりだった。
美坂栞だからこそ自分はこんなにも不快な気持ちになったのだ。
それに栞が気付いてくれていたことは嬉しかったが、喜ぶのは少女の意地が許さない。
「ええ、ですから勝手に来ただけです」
栞もそれを分かってか笑顔で頷く。
そして口に指を当てて、内緒ですよと言わんばかりに顔を近づけて少女に囁く。
「あと、先輩からの助言です。どうせ死んじゃうなら我儘はやりたい放題のほうがいいですよ。家族は病人には甘いですから。もう、バニラアイス以上に」
「あんた……想像以上に黒いわね」
「そんなことないですよー。これでも私は、あの時はああやってればよかったなとか日々後悔してるんですから」
少女はそれを聞いて呆れた。
こいつは黒いを通り越して最低だ……と。
美談の一つや二つなければ社会でまともに生きていける奴じゃないと。
だから神様は彼女に奇跡を与えたのだろう、少女はそう思って溜息をついた。
と、そこで突然病室の扉が開く。
入ってきたのは少女もよく知っている病院の受付のおばさんだ。
そして、驚いたように栞を指差す。
「あなたは一体誰ですか!?」
「は?」
少女はベッドに座ったままハニワ顔になる。
目の前のデタラメ奇跡少女がまた何かシナリオ外のことをやったのだろうか?
栞はてへっとばかりに舌を出す。
「あー、バレちゃいましたか」
「あんた……何やったのよ?」
「あなたのお姉さんだと嘘をついて病室に案内してもらったんですよ」
少女はその言葉に思わず絶句する。
どこをどうしたらこの背も胸も小さい栞が自分の姉に見えるのか?
そもそも少女は栞より二歳も年上だった。
受付のおばさんの目は腐ってんじゃないだろうか?
少女は呆れ果てて物も言えなかった。
「ちょっと、事情を聞かせてもらうわよ」
不審人物を取り押さえようとおばさんが手を伸ばす。
「それは困ります。えいっ!」
「な、何? 前が見え……うっ!」
とっさに栞は羽織っていたストールをおばさんに投げつけ、目くらましをするや否や、足をかけて地面にひっくり返した。
そして、おばさんがストールに絡まってもがいているのを尻目に栞は病室の外まで逃げる。
栞は一旦、病室を抜け出したかと思うと、首だけ戻して少女に笑いかけた。
にっこり、そんな音が聞こえてきそうなくらいのイタズラな笑顔で。
「それじゃ、あとのことはよろしくお願いします。それではー」
そのまま脱兎のように逃げ去る栞。
残された少女と、ようやく絡まったストールを振りほどいた受付のおばさんは何も言えずに栞の開けっ放しにしていった扉を見つめるばかりだった。
彼女達の胸にある気持ちは一つ。
嵐が去った……それだけである。
翌日。
夕刻の商店街を栞はすまし顔で歩いていた。
「なあ、栞……俺、何かまずいことしたか?」
その後ろを祐一が気まずそうにご機嫌を伺いながらついて歩く。
胸を張ってつーんとすました顔で歩く少女と、おどおどしながらへっぴり腰で後ろをついて歩く少年。
人が見れば、少年が少女に振られて泣きついている図にしか見えないだろう。
「傷心旅行だって言ったじゃないですか」
祐一と姉の香里をさんざん心配させておいて、栞は二日後に家に帰ってきた。
まるで出て行ったときのように、ひょっこりとである。
「傷心って……俺、全然心当たりないんだが」
祐一は本当に困っていた。
そもそも栞にここまでつむじを曲げられるのははじめてのことだったから。
「浮気なんて最低です!」
「わあっ、待て、声がでかい」
周りに聞こえるよう大声で叫ぶ栞。
周囲の目が一気に集中するのを感じて更に祐一は萎縮する。
聞く人が聞けば、栞の声が愉快そうに弾んでいるのが分かっただろうに、混乱している祐一にはそれがわからない。
「う、浮気って……誰と?」
「はあ、あんなおうちに住んでいてしらばっくれますか?」
あんなおうち、とは祐一が居候している水瀬家のことである。
祐一はそこで従姉妹の名雪、叔母の秋子と共に生活している。
「ちょっと待て、俺と名雪はそんな関係じゃ……」
祐一と従姉妹の名雪は同い年で同級生。
しかも名雪は美人ときている。
客観的に見て祐一が名雪に心を奪われるのは誰もが疑うことだ。
「違いますよ」
「は?」
やれやれと言わんばかりに溜息をついて首を横に振る栞。
そして……。
「秋子さんに手をかけるなんて最低です」
と言ってにっこり微笑んだ。
その笑顔を見て祐一は栞にからかわれていたことに気付く。
そして、がっくりとうなだれながら言った。
「栞……俺だって浮気相手くらいは選びたい」
自分が浮気をしないことを信じてくれているがゆえの冗談であるのか、それとも、釘をさして置かないと自分がそんな背徳行為に及ぶ人間に見えるのか……。
なんだか泣きたい気分になってくる祐一だった。
「それで、本当はどこに行ってたんだ?」
溜息混じりに祐一が傷心旅行のわけを尋ねる。
しかし、栞は人差し指を口に当て……。
「秘密です」
とさも愉快そうに答えるだけだった。
祐一と別れ、家に帰った栞は手紙と小包が届いているのに気付く。
手紙を開いた栞は一瞬顔を歪めたが、次の瞬間笑顔でそれを破り捨てた。
そして決意するのだった。
自分の受け取った奇跡に恥じないよう、胸を張って生きようと。
それが彼女の背負ったキセキの重み……。
美坂栞さん、これが多分わたしの最後の手紙です。
わたしはあなたのことが嫌いでした。
でも今は……
なんて言うと思いましたか?
あなたなんか大嫌いです!
あなたにちやほやする人たちも大っ嫌いです!
みんなまとめてさっさと死んじゃってください!!
(追伸)
会いに来てくれてうれしかったです。
あと、病室に投げ捨てていったゴミはお返しします。
大事にして下さい。
香坂詩織より
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