「なあマルチ、オレの通夜は飲んで騒いで楽しくやってくれよ」
「浩之さん……そ、そんなの無理です」
「ははは、そっか。マルチには分からないか」
「だ、だって、浩之さんとお話できなくなるなんて……わたし、わたし……」
「変わったな、マルチも」
「……え?」
「マルチにならいつか分かるさ」














モダンタイムズ 〜お葬式〜

作者 エルラ
















 マルチが目を開くと、そこは見慣れた高校の図書室だった。
 何度か改修、増設が行われているとはいえ、マルチの生まれる前より存在した蔵書から漂う特有の黴臭さは拭えない。
「あら、すみませんマルチさん。起こしちゃいましたか?」
 マルチの前では図書委員の少女が昼休みの業務の後片付けをしようと、マルチの座っていた隣の椅子を机に入れているところだった。
「はわわわっ、す…ビュ…すみません。わたしがやります」
 マルチはメイドロボ。
 人間が目の前で自分がこなすべき雑用をしているのをただ見ていることは出来ない。
「いいですよ。それに片腕外したままでどうやって椅子の整頓をするんですか?」
 慌てふためいて腕にコードをつけたまま立ち上がろうとしたマルチに少女はクスクスと微笑んだ。
「それに、充電が92%のところで止まってますよ」
 マルチはこの図書室で片腕を外し、そこにあるプラグにコードを差し込んで充電をする。
 充電はロボットのマルチにとって食事と同じ大切なことだ。
 だからその間だけはお仕事もお休みする。
 人間に最大の奉仕をするようにプログラムされ、また人間に奉仕できることに無上の喜びを感じているマルチにとって、この何もできない時間は少し心が痛む時間である。
 プログラムと心と……心を持ったロボットとして実験的に作られたマルチは、いつも多くの矛盾をその小さなボディに抱えていた。
「うう……すみ…ビュ…ません」
 マルチはとても申し訳なさそうにうなだれて、おとなしく席に座った。
 充電中の余計な動作は充電を遅らせる上に、余計な電力を使う。
 学校の備品としては省エネに徹すべきだ、という思いもマルチにはあるのだ。
「それにしても……」
 乱れた椅子を整頓し、投げ出されたままの図書を本棚に戻す作業を終えた少女が、マルチのもとに舞い戻って世間話のように話し掛ける。
「何か寝言を言ってましたけど、いい夢でも見ましたか?」
 少女はメイドロボのマルチに敬語を使う。
 少女はれっきとした人間で、この学校の生徒。
 つまりマルチのご主人様だ。
 いや、この学校の生徒も教師も事務員も、人間は全てマルチのご主人様である。
 しかし、この学校ではマルチに敬語を使い、あまつさえ敬称をつける人間は少なくない。
 というのも、マルチはこの学校の備品となって既に四十余年。
 この学校にいる者にとっては、いわば大先輩なのである。
 いかに物とはいえ、長年お世話になっていれば人間にも感謝の心は湧く。
 あたかもこの学校の校舎や机、椅子といった備品の代弁者としてマルチは敬愛されていた。
 無論、それにはマルチが人間よりも人間らしいと時折思わされる感情を持っていたことが大きく関わっているだろう。
「はいっ、この学校に寄付されるまでわたしのご主人様だった人の…ビュ…夢を見ていました」
 人の心を持つが故か、マルチは休止中に夢を見るという不思議な能力を持つ。
 しかし、ロボット工学の人間からすれば非常に不思議なこの現象も、一般人にとっては些細なことだった。
 というのも、それだけマルチは人間に似た心と外見を持っていたから。
 夢を見るということが自然に思えてしまうのだ。
「えっ? マルチさんって、寄付されたんですか?」
 少女は初耳と言わんばかりに驚いてみせる。
「はい、わたしは長年お勤めしていたご主人様の遺言で、その方…ビュ…の母校であるこの学校に寄付されたんです」
「長年……ってマルチさんこの学校にもう数十年いるって聞きましたけど」
 言外に、何歳ですか? という問いを込めて言葉を止める少女。
 その少女にマルチは穏やかに微笑んで答える。
「浩之さん、あ……これがそのご主人様なんですが、その方を75年…ビュ…お世話させて頂きました」
「へえ、じゃあマルチさんってもう100歳を越えてるんですね」
 ロボットゆえに年は取らないとはいえ、100年といえば一世紀。
 響きだけで十分に貫禄がある。
 少女はそれにただただ感心していた。
 が、ふとそこで少女が首を傾げる。
「あれ? でも100年前ってメイドロボに心はいらないって言われてませんでした?」
 少女の疑問はもっともだった。
 メイドロボがオフィスだけでなく、ごく普通の家庭でも当たり前の光景になったのはほんの半世紀前。
 その中で、家族としてのメイドロボ。
 すなわち心をもったロボットへの需要が高まり、そのようなメイドロボが作られるようになった。
 しかし、マルチの生まれた100年前はロボットといえば無機質の代名詞のような物であったというのが少女の認識であり、一般人の認識である。
「あ、はい。…ビュ…120年前にその実験はわたしで行われていたんです。でも、その頃…ビュ…は商品としては使えないということで」
「実験機のマルチさんを残して凍結されちゃった……ってことですか?」
「そう…ビュ…なんです」
 自分の意を汲み取って説明をまとめてくれた少女に、手を合わせて笑顔で頷くマルチ。
 マルチはロボットだが、極端に口下手である。
 どもる、悩む、言い間違える……製作者が意図したのか、そもそもバグだったのかは100年後の現在では確かめようがないが、そのため人に発言を理解してもらえることが非常に嬉しいのだ。
「うちにもメイドロボがいるんですけど、マルチさんはそのご先祖様だったんですね」
 少女はマルチと同じように胸の前で手を合わせて少し興奮気味に喜んでみせる。
 思いもかけず凄いことを発見してしまった子供が喜ぶように。
 ご先祖様ということは、少女の家のメイドロボも家族志向のタイプなのだろう。
 もっとも、マルチが生まれて100年後の現在ではメイドロボと言えばそのタイプが主流である。
 マルチは時代を先取りしすぎた実験機だったのかもしれない。
 チャイムが図書館に鳴り響く。授業開始の合図だ
「あ……しまった。早く教室に戻らなきゃ」
 少女はぺロっと舌を出して、慌ててマルチに背中を向けて走り出す。
「あのー…ビュ…廊下は…ビュ…走っちゃダメですよー」
 お約束の注意をマルチがたどたどしく告げた時には、少女はとっくに図書室から消えていた。






 図書室での充電を終えたマルチは、いつもどおり学校の清掃作業に行こうと愛用のモップを片手に昇降口に向かう。
 何故昇降口かというと、授業中に教室前廊下を掃除すると迷惑だし、生徒のいない授業中ならば昇降口の掃除がしやすいからである。
 40年も務めていれば少々要領の悪いマルチでも効率のよい掃除方法は掴める。
 100年前の旧式とはいえ、これでも一応学習型ロボットなのだ。
 基本的に気が弱く自分に自信の持てないマルチも、この広い学校を自分だけで清掃できるのには誇りを感じていた。
 それがマルチの生きがいでもあり、存在理由でもあるから。


「マルチさん、ちょっと……」
 雑音交じりの鼻歌を歌いながら、掃除をはじめたマルチだったが、突然声をかけられて手を止めた。
 声をかけたのは背広を着た事務の職員の中年男性。
 この人物もやはりマルチに敬語と敬称をもって話をする。
 いや、備品管理の立場上、彼のマルチに対する感情は常人より深いものがあるのかもしれない。
「はい、なんでしょ…ビュ…うか?」
「うん、校長がキミを呼んでるんだ。授業中に放送を入れるのもなんだから僕が呼びに来たんだけど、すぐに見つかって助かったよ」
 マルチが授業中生徒の邪魔にならないところを掃除していることを、マルチとの付き合いの長い彼はよく知っていた。
「あ、はい。すぐに行…ビュ…きます〜」
 付き合いの長い教師や事務員達とマルチの関係は、もはやこの学校関係者としての同志に近いものがある。
 さすがに一緒に飲みに行ったり……は無理にせよ、職員室で談笑することはそう珍しいことではない。
 その時の彼らには、男、女、人間、ロボット等という意識はなかったことだろう。





「失礼し…ビュ…ます」
 12畳ほどの絨毯の敷かれたやや豪勢な部屋に入室し、扉の前でお辞儀をするマルチ。
 その先には、白い物が混じり、やや薄くなりつつある頭をしたふくよかな初老の男が大きな机を前にどっかり椅子に腰掛けていた。
 一目で貫禄の違いがわかる風体、まさに校長然とでも言うべき人物である。
 いや、見たまんま彼が校長であり、そしてマルチの入った部屋は校長室なのだが。
「やあ、よく来てくれたねマルチ君。まあ、立ち話もなんだし……」
 と儀礼的なことを言おうとしたところで、校長は苦笑いする。
「いや、そのままでいいな」
 マルチはロボット。
 人間向けの気遣いはかえってマルチの抱える矛盾を刺激することになる。
 家族としてのメイドロボが普及して以来、ロボット心理学というような分野が活発になるのも無理はない。
 まだまだ未整備だがそれを元に法も作られつつある。
 人の心を持ったロボットたちは主人のために時に法を逸脱した行動を取ることもありうる。
 また、悪意の人間がロボットに犯罪を教唆することもあった。
 それらを単純に廃棄処分で処理するのは、世論のロボットに対する感情に反するようになっていた。
 プログラムだけでロボットの行動が規定されていた時代にはありえない新たな問題である。
「早速だが、悪い知らせだ」
 校長は申し訳なさそうにため息をつく。
 どうにもならない、という気持ちを表すかのように。
「先日の検査覚えているかい?」
「あ、はい。いつもいつもわたしを気遣ってく…ビュ…ださってありがとうございます」
 マルチは精密機械ゆえに、時々メンテナンスという定期検査をする。
 もちろんその費用は学校が出すわけで、マルチはそのことに感謝をした。
 自分が学校をお掃除できるのはそのおかげと純粋に感謝しているのだ。
「いやいや、君一台で校内美化が済んでいるんだから感謝を言い足りないのはこちらの方だ。君を寄付してくださった藤田浩之さんにも感謝している」
 いかに今現在メイドロボが一般家庭にも流通しているとはいえ、その価格はパソコンやエアコンの比ではない。
 ましてや、校内の掃除など生徒にやらせても問題ない高校において、メイドロボは便利ではあっても必要不可欠なほどのものではなかった。
 さらに言うと、高校のような青春の代名詞とも言える場所においてはそうでなくても心のない、事務的なメイドロボは敬遠された。
 そんな40余年前、ようやく家族タイプのメイドロボが登場し注目を集めはじめた折、こともあろうかその原型のマルチがこの学校に寄付されたのだ。
 当時の校長や教職員、生徒たちが喜んだのは言うまでもない。
 流行の最先端ということもあったが、何よりマルチは藤田浩之と過ごした75年の学習経験で非常に人間らしいメイドロボになっていたからだ。
「そ、そんな……わたしは…ビュ…幸せです。この懐かしい高校で浩之さんがいなくなってからもご奉仕させ…ビュ…てもらえて」
 顔を真っ赤にして俯くマルチ。
 ロボットゆえの定義にそった回答、ではなく、マルチはロボットゆえの喜びを素直に表現する。
 見ている者にはそれがまるでメイドロボという職業をしている人間のように感じられてしまうのだ。
「あの……ところで、悪い知らせ…ビュ…とは何でしょうか?」
 しかし、それがゆえに辛いことがある。
 校長も、いや……今やこの学校の皆がマルチと会話をする度にそれを感じていた。
 マルチが口を開くたびに漏れるおかしな電子音。
 それがマルチがロボットであることをいやがおうにも対峙者に認識させる。
 それが出始めたのはつい数ヶ月前だった。
「君の修理は困難を極めるという結果が返ってきたんだ」
 そう告げて目を伏せる校長。
 マルチはそれを聞いて目を丸くした。
「……ビュ…え?」
 その驚きの言葉にも雑音が混じる。
 ……マルチは長く生きすぎた。
 そもそも元の持ち主の藤田浩之の元で75年稼動していた後もほとんど異常がなかったというから驚きである。
 しかし、目に見えないところで少しずつガタが生じてはいたのだ。
 それが知覚できる形ではっきりしたのが、発声機能の異常である。
 どこまでも人間らしいマルチも、この異常音を前に人間らしいと思える者はいなかった。
 今、マルチのことを知らない新入生や新人教師が入ってこればマルチにどんな印象を抱くであろうか?
 まだ異常のなかった数ヶ月前を知る人々はマルチと言葉を交わすたび、その無機質な雑音に心を痛めずにはいられなかった。
 見かねた全校生、全教員の要望でマルチは精密検査に出されたが、その結果が『修理は困難』というわけである。
「君が作られたのは120年も前。今では規格が違いすぎて修理の部品を調達するのは至難の業だそうだ。ロボット技術は今や日進月歩だからね」
 校長は淡々と説明を続ける。
 マルチが相手の言葉を一言一言噛みしめて理解をしようと努力をするのを知っているからだ。
 だから、酷なことを長々聞かせるのは忍びなかった。
「記憶を残して新しいボディに入れ替えるというのもあるが、君の記憶は膨大すぎる。おまけにその移し変えも規格の壁に阻まれるという始末だ。記憶を破損させずに済ませる保証も出来ないらしい」
 初めて人の心を最大限持たせる形で作られた実験機のメイドロボ、マルチ。
 だが、製作者も意図しなかったその長寿と性格はとんだ結果をもたらしてしまった。
 人間にとっての覚えると忘れるという行為はごく自然の現象である。
 特に意識せずとも覚える時は覚えるし、忘れる時は忘れる。
 そのことは重要ではない。
 重要なのは、人間は自動的に脳の容量の整理を出来ること、つまり忘れることを自然に行えることである。
 しかし、マルチはロボットだ。
 覚えるも忘れるも、すべて自身で意識的に行う作業であり、機能なのである。
 ここでマルチの持つ人の心というのがまた問題になる。
 大切な思い出というものを人間は意識して消せるだろうか?
 頭の容量をパンクすれば人間はそれを自然と忘れうる。
 だが、マルチにはそれが出来ないのだ。
 記憶容量をオーバーするなら、大切な記憶も全て自分の意思で消去しなくてはならない。
 そしてそれは不器用で要領の悪い優しさを持ってしまったマルチにはあまりに残酷な選択だった。
 結局、マルチは出会った人、見た物全てを一切消去することなくこの120年間ずっと記憶し続けてきてしまった。
 校長は敢えて告げなかったが、マルチの電子頭脳はその負荷で既にいつ壊れてもおかしくない状況に来ていたのである。



「さて、そこで君に質問したい」
 しばらくの重苦しい沈黙の後、校長は先ほどまでとはうって変わった人のよさげな笑顔を浮かべた。
「君が望むなら、我々は全校をあげて君を修理するが、どうだね?」
「え、…ビュ…ええっ!?」
 校長のあまりの唐突な提案にマルチは驚きの声を上げた。
 それほどまでに信じられない言葉だった。
 何故そこまでのことを申し出てくれるのか?
 それもあった。
 しかし、何より驚いたのは……
 それを自分が望むかを校長が訊いてきたことだった。
 そんな重大な判断をする権利をロボットの自分に与えてくれるというのである。
「は…ビュ…わわ…ビュ…そんな…ビュ…
「落ち着きたまえ、声が完全に飛んでるぞ」
「はぅ、ず…ビュ…びば…ビュ……ビュ…ん」
 校長は呆れながら机の脇に置いてあったティッシュの箱をマルチに押しやった。
 マルチはそれを受け取って、チーンと鼻をかむ。
 声は乱れていても、動作はいまだ人間らしいマルチだった。
 それを見て校長は思わず苦笑いをする。
「この学校の皆が、そして卒業生達も君を望んでいる。皆出来るところまで君のために尽くしたいとおもっているんだよ」
 この学校にいる全ての者がマルチを望んでいた。
 学校を象徴する物としてのマルチを……
 そして、マルチという人格を……
 この学校を卒業した者も、校門で毎朝明るい挨拶をしてくれたメイドロボのことを忘れられなかった。
「君はどうしたい?」
 校長は今一度笑顔で問い掛けた。
 マルチはその人懐っこい顔で微笑む校長の顔をじっと見つめながらしばらく考え込む。
 考えに考えたが、マルチの答えは変わらなかった。
 そして、マルチは申し訳なさそうに目を閉じて頭を下げる。



「ごめん…ビュ…なさい。やっぱり……わたしは…ビュ…人間の方にそこまでしてもらえません」
 そこまで尽力してもらっても自分の修理はうまくいく保証はない。
 それくらいはマルチもよく分かった。
 人間に奉仕すべきメイドロボの自分のために、そんな徒労を人間にさせるのは申し訳ないことだ。
 そして、なにより……
 この120年間溜めてきた大切な記憶を失うかもしれないということにマルチは耐えられなかった
「そうか、ならば廃棄処分ということで構わないのだね?」
 既にガタがきている、検査にも不合格のロボットを放置するのは、何かが起きた時に責任問題に発展する。
 修理をしないのならば、マルチの行く末は一つ。
 廃棄処分しかない。
「……はい…ビュ…
 マルチにとって、ロボットの死と言える廃棄処分という言葉は怖いものではない。
 ロボットにはもともと本当の心はないし、さびしい気持ちも怖い気持ちもなく、あるのはデータだけだからだ。
 だが、マルチはその返答を少し躊躇った。
 自分のためを思って行動してくれた人たちの気持ちを裏切るようで後ろ髪を引かれる気がしたからだ。
「わかった」
 校長はそう呟き、机の引き出しから一枚の書類を取り出して、判を押す。
「HMX-12マルチを廃棄処分とする。持っていきたまえ」
 そして、事務的な口調でマルチに廃棄処分決定書を押しやった。
 マルチも無表情でそれを受け取り、校長に背を向ける。
 まるで一切の感情が失われたような一瞬。
 マルチ自身も形式番号で呼ばれたのはいったい何年ぶりのことだったろうか?
 何かが世界からすっぽり抜け落ちたような空虚感が漂う。
 そこに全てが戻ってきたのは重く深い沈黙の数秒後。
「……マルチ君」
 校長のその言葉によってだった。
 扉に手をかけ、退室しようとしたマルチが振り返る。
 そこには、いつもの人懐っこい好々爺然とした校長がいた。
「おつかれさま」
 たった一言、それだけ。
 でも、マルチには十分だった。
 それが全てにおいてマルチを満足させる言葉だったから。
「はいっ…ビュ…お世話になりました」
 この時のマルチを見た人は皆こう言うだろう。
 心からの笑顔だった……と。




 死とは何だろうか?
 校長室を出たマルチは廊下を歩きながら考える。
『わたし、ロボットですから。 ロボットだから、平気なんです。ロボットにはもともと本当の心はありませんから。さびしい気持ちも怖い気持ちもなく、あるのはデータだけなんです』
 かつてマルチは一度凍結処分を受けた時にこう言った。
 その時は、思いがけず特例で藤田浩之に引き取られ、そこで再び目覚めることになったのだが、今度は違う。
 本当に自分はいなくなるのだ。
 自分というデータも、その姿形も。
 さびしい気持ちも怖い気持ちもないのなら、藤田浩之の死に涙した自分の気持ちも嘘だったのか?
 所詮作り物だと言う自分と、それは否定したいという自分がマルチの中にははっきり存在した。
 何より、その気持ちの否定は自分の大好きな人間に対して失礼ではないか?
 校長に返事をして以来、マルチはその葛藤の中にあった。




 ややオーバーヒート気味の頭から煙を発しつつ、マルチは職員用の昇降口を抜けて校庭に出る。
…ビュ…えっ?」
 そして、そこに繰り広げられていた光景にマルチは思わず驚嘆の声を漏らした。
 なんと、全校の生徒や教職員が勢揃いして並び、マルチの前に道を作っていたのである。
 先ほどマルチが清掃していた生徒用の昇降口からは、尚もぞくぞくと生徒が飛び出し、校門に続く人の道に加わってゆく。
 その中には図書館で話をした少女も、昇降口で話した事務員もいた。
 並んでいる生徒の中には、マルチをいつも『ポンコツロボ』と馬鹿にしてサッカーボールをぶつけた少年もいる。
 授業中に教室の前で鼻歌を歌いながら掃除をするのは止めなさい、と呆れ顔で注意した教諭もいた。
 いや、並んでいる生徒や教職員、今もどんどん加わりつつある人々をマルチはみんな知っている。
「あの…ビュ…これはいったい?」
 恐る恐る道の最前列の生徒と教師に訊いてみる。
 最前列にいた生徒と教師達は合唱クラブの面々だ。
 活動中に音楽室の前を掃除に行ったマルチのために歌を聴かせてくれたこともある。
 彼らはマルチに小さくお礼をすると、次の瞬間朗らかな声で歌い始めた。
 それを聴いた後列の全員がそれに続く。
 それは誰もが知ってる有名な歌で、そしてこの場に相応しいと誰もが思ったからだ。
 場に流れるのは、マルチへの感謝とお別れを美しく告げる旋律……

       『ありがとう さようなら』

 マルチは何も言わずその大合唱湧き起こる道の中を歩いていく。
 道の先にある校門に向かって。
 そして、マルチが校門を抜けても歌は終わらない。
 何度も何度もリフレインを続け、一巡するごとにその合唱は大きくなっていく。
 いつの間にかブラスバンドのメンバーまで現れて伴奏もついていた。
 マルチは振り返り、しばらくその合唱に聴きほれた後……
 ぺこり、と全員に大きくお辞儀をして歩き始めた。
 その時マルチがあの雑音交じりの声で『ありがとう』と言ったかは誰にも分からない。
 大合唱は青空へ割れんばかりに響き渡った。












 ――浩之さん、あのときの言葉分かった気がします
 ――それと
 ――わたしはメイドロボに生まれて幸せでした











戻る


感想いただけると嬉しいです(完全匿名・全角1000文字まで)