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 学校指定のジャージ上下に身を包んだ北川が緊張の面持ちで茶を淹れていた。
「……粗茶だ。飲め」
 玄米茶がなみなみと注がれた湯飲みが置かれる。寿司屋仕様のごつい代物だ。
 場所は典型的な一戸建てである北川邸。家族は出かけているらしく、ここに居るのは北川と俺のふたりだけだった。
 北川は放課後、真剣な顔で俺を呼び出した。
 用件は恐らくアレの事だろう。
 今日の昼休み、北川との連れションの後、教室に戻る途中で北川のズボンの裾からずり落ちた物体。
 北川は慌てて回収したが、俺ははっきりと見てしまった。
 男には本来縁のない物。
 CMで映像が流れると、男である俺にはきまり悪いものを感じさせる商品。
 いわゆる生理用ナプキン、しかも赤い液体を既に吸収済みの代物だった。
 少なくとも北川には女子トイレの汚物入れを漁るようなマニアックな性癖は無いと信じている。
 その北川のズボンからそれが落ちた。それが意味する事は……
「安心しろ。誰にも言わない」
「……ありがとう、でも、相沢にはきちんと知っておいてほしくてな」
 もう充分に事情は判っている。これ以上俺に言う事があるのだろうか?
 とも思ったが、一人で抱え込むのは辛いのだろう。誰かにぶちまけてしまいたい事もあるのかもしれない。
「判った。俺には何も出来ないけど、話すだけでも楽になることもあると思うからな」
「……ありがとう、で、だ。アレ……見たんだよな?」
「済まん、見てしまった。アレって、もしかして自分で買うのか?」
「ああ、親に頼む訳にもいかなくてな。オレには妹が居る、妹の代理だ……と自分に言い聞かせて買ってる。レジに女が立ってる店でエロ本を買うほうがずっと楽だ」
 買うときの事を思い出したのか赤面して俯いた。
「そりゃそうだろうな。で、アレって辛いのか? やっぱし」
「……どうだろうな。痛みも量もあまりないし、3,4日で終わるから軽い方だと思う」 軽い方って、血が出るんなら充分重い方だと思うのだが。
「何でその若さでなっちまったんだ?」
「その若さって、この歳ならなって当然だろ、その、あの」
 語尾を濁らせる。やはり恥ずかしいのだろう。
 しかし、どう考えても、なって当然の事ではないと思う。
「指とか色々突っ込んで切れたのか?」
「なっ……!」
 北川はボンッ! と一気に赤面する。
「そ、そりゃ、たまには、その……そっちでする事もあって、そっちはそっちで、その、チンコにはない気持ちよさがあって」
「……冗談だったんだが。今のは聞かなかったことにしとく。まあ、人それぞれだ。程々にしとけ」
「あ、いやその、あの、違う! そんなんじゃない!」
「安心しろ、誰にも言わないから。それにしても、誰かに相談とかしたのか? 家族は知ってるのか?」
「……していない。でも潤って名前にするくらいだ、知ってるんじゃないかな? でも特にそういう話はしてこないんだ。やっぱり特殊なケースだからどう接していいか解らないらしい」
 ……名前とどう関係があるんだ?
「病院には行ったのか?」
「行ってない。やっぱり、体を調べられるのは……。まあ……本とかで調べた知識で何とかやっていけてる」
「何とかって、あんなの使うくらいだ。早く治さないとまずいだろ」
「……いや、治るとか治らないってもんじゃない。まあ……そういうものなんだ、と割り切れば普通の健康体ともいえるし」
「普通って、どう考えても普通じゃないだろ。俺にできることがあるなら協力してやる、あんまし詳しくないけどさ。新聞なんかの広告に出てる奴、あれについてる試供品とか試したのか?」
「へ? 協力って、それは嬉しいんだが広告とか試供品って何の事だ?
「あ、済まん。試してないわけないよな。とっくの昔に試してダメだった方法を薦めるなんて無神経だった。ごめん」
 頭を下げる。
「……試すとかダメだったって、何の話だ?」
 北川はしばらくの沈黙の後、そう訊いてきた。
「決まってるだろ、ヒ○ヤ大黒堂、アレでダメなら相当な重症なんだろ?」
「……」
「違うのか?」
 となるとあの血染めのナプキンの出所は一体?
 しばらく呆然としていた北川がようやく口を開く。
「相沢、もしかして、オレの体のこと気付いてなかったのか?」
「いや、だから、出血して生理用ナプキン使うくらい酷い痔なんだろ?」
「……違う。本来の使用目的で使ってる」
「本来って……?」
 しばらくの葛藤の後、北川は真剣な顔で口を開く。
「相沢には川澄先輩と倉田先輩ががいるから迷惑だろうけど、オレのことは知っておいて欲しい」
「え? 舞や佐祐理さんと何の関係が?」
「野暮なこと言うな。とにかく、百聞は一見にしかずだ」
 そう言ってジッパーを下ろしジャージを脱ぐ。
 今になって気付いたが、体育のとき北川がジャージを脱ぐ事はなかった。俺ですら体動かせば熱くなってTシャツ短パンになるというのにだ。
 Tシャツ姿の北川は体つきが全体的に細く、思いのほか華奢な印象を受ける。
 体毛があまり生えていないほっそりとした腕をTシャツの裾に回し、めくり上げた。
 腹は腕と同様に男にしては細く、さほど筋肉があるようにも見えない。それとは対照的に胸板は分厚く見える。
「……まあ、見てくれ」
 わずかなためらいの間を置いてTシャツを一気に引き抜く。
 すると……
「……サラシ!?」
 不自然な分厚さの胸板は包帯のような白い帯状の布に巻かれていた。
 鎖骨の辺りはサラシを押し返そうとするように膨らんでおり、サラシの下が固い筋肉などではない事を物語っている。
「北川、こ、これって……?」
 胸は自由に動かせないためか腹式の深呼吸を繰り返した北川は、意を決してサラシに手をかける。
 シュル……
 巻きが解かれて畳に伸びていくに連れ、ほどけたサラシのすき間から柔らかい膨らみが自己主張を始めていく。
「な、な、な……」
 パサ……
 完全に解かれたサラシが畳に落ちる。
「……こういう、体なんだ」
 耳まで真っ赤に染めて俺から目をそらしながら言う。
 分厚く見えていた胸板には、これまでサラシに抑圧されていたふたつの膨らみが呼吸に合わせて開放感をあらわすかのように上下していた。
 両手は、腹の前で虚空を掴むように位置している。隠したいという思いと、俺に見せねばならないという思いがぶつかり合っているのだろうか。
「……女?」
「とは違う……とも言い切れない、どう言ったらいいか……とにかく、学校で連れションしただろうが」
「……ぜい肉?」
「ではない。体重は61キロだが、この身長なら妥当なものだろ」
「……女性ホルモン?」
「間違いではないが注射も内服もしていない。自前だ」
「……シリコン?」
「ではない、天然だ。……なんだったら触ってみるか?」
 そう言って俺の手を掴み、胸に導く。
「え? んなこと言われても、本物の胸もシリコン胸も触った事ないぞ!」
 ふにっ
 温かい塊はかすかな弾力を示すが俺の掌の形にへこみ、持ち上がる。
「んふっ……」
 北川は目を細め、切なげな息を漏らした。
 柔らかい感触と共に心地よい重みを感じる。
「こ、これって……?」
 初めてのはずだが、懐かしい感触。
 子供の頃、名雪と秋子さんとの3人で風呂入った事がある。秋子さんに無理やり体を洗われるうちに触ってしまった事があった。あの感触と同じだった。
 回すように手を動かしてみる。
「ぁ、おい……相沢……」
 秋子さんのに比べると小さい。いや、あの頃の子供の手の記憶だから、成長を差し引けば同じくらいの大きさだろうか。
 掌の一点に固い感触が走る。
 手を放すと、胸には10円玉くらいのピンク色の円の中に小さな突起があった。どう見ても乳首というべき代物だった。
 つついてみると周りのふにゃりとした弾力とは対照的にこりこりと固くなっていた。
「ぉい……ちょっと待て」
「作り物……なんかじゃないな」
 これが作り物だとしたら、製作者はハリウッドで特殊メイクの技術者になれるだろう。
「おい、いつまで触ってる。もういいだろ」
 我に帰る。
「ご、ごめん!」
「……まぁ、気持ちは判らんでもないが」
 気のせいかもしれないが、俺の手を未練がましく見ながら、頬を上気させ少々息を荒くしながら気まずそうにTシャツを戻す。
 隠す必要がなくなれば窮屈な思いはしたくないのか、サラシは巻かなかった。そのため、先ほどの突起が布地を突き上げていた。
「女……じゃないのか……?」
「ああ、下には……そんな大した物ではないが男のアレもついてるからな。半陰陽って奴らしい。お袋の腹ん中居た頃の染色体やらホルモンやらの作用がおかしくなってたんだろうな」
「半陰陽……話には聞いたことあるが……」
「まあ、元々珍しいケースだし大抵は速攻で手術しちまうらしいからな」
「北川は、そうしなかったのか?」
「最近ではそうらしい、精神的な性が手術で固定した肉体の性と逆になったら困るからな。大人になったとき男と女どっちにするか選ばせるつもりなんだろう」
「なるほど、だから男でも女でも使える潤って名前にしたのか」
「多分な」
 改めて見てみると、柔らかい曲線で構成された北川の顔は中性的に見える。
 先入観を捨てたら、俯きながら俺を見る北川のほっそりとした体は女にしか見えない。胸には見事な二つの膨らみがあり、乳首にこれでもかと自己主張されては男とは到底思えない。
 いかん。なんか、変な気持ちになってきた……。
「北川、これからどうするんだ?」
 このままだと理性を保つ自信がないので話を真面目な方向に軌道修正する。
 北川は親友だ、体育の着替えのとき更衣室の隅っこで素早く着替えてしまう北川を見て妙な気分になる事があったが親友なんだ。
 重い運命を背負った北川を支えてやらねばならない。勇気を出して俺に秘密を打ち明けてくれた北川の信頼に答えねばならない。
「問題はそこなんだ」
 北川も真剣な顔で言う。
「大抵は男か女、より近い方に手術して合わせるらしいが、オレの場合はものの見事に両方とも機能している。それに健康面でも一切問題なし。こんなふうに安定している場合は変にいじらない方がいいって意見もあるんだ」
「お前はWindowsか。それじゃあ精神の性に合わすのか?」
「……そっちも、ものの見事に両方なんだ」
「両方?」
「好きになっちまったんだ。女も、男も、両方」
「……へ?」
「女は……美坂が好きだ。そして男は……」
 北川はそう言って俺の手を掴み、胸へ引っ張る。
「え? え? え?」
 むに
 乳房の間の胸板へと押し当てる。そこは……。
「え? えぇっ!」
 激しく鼓動していた。
「相沢、お前が好きなんだ」
「な、ななな何ぃっ!」
「迷惑だろうけど、気持ち伝えておこうと思ったんだ。舞踏会のとき倉田先輩が教室に迎えに来るの見て、イライラして、焦って……」
「舞踏会? あの頃、佐祐理さんが来たときに『おい、説明しろっ』とか言って肩を掴んだり掃除を放免してくれないなどの態度は、やっかみではなく……?」
「……ああ、ヤキモチだ。でも、本当のことなんか言えなくって……」
「なんとまあ……。でも、北川」
「何だ? やっぱり、迷惑だよな」
「お前、誤解してるぞ。あのふたりとはそんな関係じゃない」
 俺と舞の関係について説明する。
 確かに大切な存在だ。だがそれは親友、そして戦友としてのものだった。魔物との命がけの戦いを続けるうちに培った強固な信頼関係は、世間一般の男女の感情の入りこむ事を許さなかったのだ。
「だから、別に誰かと付き合っているわけではないんだ」
「そう……だったのか」
 安堵の息を吐く。
 あの頃の妙に絡んでくる北川は腹立たしく思っていたが、真相を知った今は微笑ましく感じる。
 ……? 微笑ましく感じる? 嫌だとは感じていない? それが意味することは……!?
「相沢? どうした?」
「あ、その、北川って、女の格好したら案外可愛いんじゃないかと思ってな」
「なっ……!!」
 赤面してうろたえる北川を見ていると、苦し紛れに言ったさっきの発言は間違いではないと感じた。
「さっきのお返しだ」
 そう言って北川の手を掴み、俺の胸板へと引っ張る。
「え? え?」
 北川の手を押し当てた俺の胸もまた、激しく鼓動していた。
「今の北川って、まるっきり女の子だぞ」
「へ?」
「俺も、こうなってしまった。はっきり言って可愛いぞ、北川」
「……」
 しばらく沈黙していた北川はやがて、ボロボロと涙を流し始めた。
「ど、どうした? 女扱いは嫌だったか?」
「違う……相沢ぁ〜!」
 北川が飛びついてきた。
「うわっ! どうしたんだ?」
「オレ……オレ……すっげー不安だったんだ。こんな体だ、気持ち悪がられたって仕方ないって思ってたんだ。それなのに可愛いって言ってくれて、こんなにドキドキしてくれて……」
 そう言って堰を切ったように泣き始めた。
 どうしていいか判らないが、とりあえず両手を北川の背中に回す。
 北川の体の柔らかい感触と鼓動が感じられる。い、いかん。理性が……
 ぐに
 げ、俺の息子は正直だ。
「あ……やべ、オレも……」
 ぐに
 俺の息子に固いものが当たる。
「……本当に、両方あるんだな」
「ああ、こうして、ものの見事に機能してるんだ」
 またも耳まで赤面しながら言った。
「あの、つかぬ事をお尋ねしますけど……入れる方希望ですか? それとも入れられる方?」
 なぜか敬語になった。
「……両方」
 真っ赤になった北川は、そう言って俯いた。
「はぁ……そうですか」
 ……欲張りな奴。