あれは、わたしが小さな頃のことだ。
 父が仕事の用事で、寒い地方に行くことになった。
 わたしは、冬休みだったので父について行った。
 雪やそこに住む人々を見てみたかった。
 それにわくわくするような、楽しいことがあるかもしれないと思ったからだ。
 実際、電車を降りたときから、初めての体験の連続だった。
 荘厳に美しく広がる、白い風景。
 着ているものと話し方が少し違う人々。
 すべてが初めての体験だ。
 そしてわたしは、この街で大切な思い出を作ることになる。


 雪。
 広がる視界のすべてに雪。
 わたしはこっちに来てから、生まれて初めて雪を見た。
 空から舞い降りてくる雪を初めて見たときは、なんだかお砂糖みたいでおいしそうだと思った。
 今、目の前には男の子がいる。
 厚い手袋をした手には、お菓子の袋。
 男の子は、わたしがこの街にやって来てからの友達だ。
 いつの間にか毎日遊ぶようになっていた。
「えい」
 その男の子が雪玉を投げてくる。
 わたしを狙っているらしい。
 だけど、全く違うところに投げている。
「えい、えい、えい」
 今度は、三つ連続で投げてくる。
 やっぱり全部外れる。
 外れた雪玉が木にあたって、こなごなになる。
 その雪の破片が太陽の光を反射して、きらきらと輝く。
「えい、えい、えい、えい」
 なおも投げてくる男の子。
 わたしも手に持っていた雪玉を投げてみる。
「えい」
「ぶっ!」
 見事に顔の真ん中に命中して、雪玉はこなごなになる。
「あの、ごめんなさい」
「今のは痛かった……痛かったぞっ!」
 そんな大声を出して、こっちに向かって走ってくる。
 何か怖かったので、わたしは逃げることにする。
 木々の間を通り抜けて、わたしは走る。
 地面の雪に反射する太陽の光が眩しい。
 追いかけられて怖いけど、なんだかとっても楽しい気分だ。
「まてー」
 男の子が追いついてきた。
 凄い形相だ。
「えい」
 わたしは、木に体当たりする。
 どさどさどさっ。
「どわー!」
 大量の雪が男の子に落ちて、男の子は雪に埋まる。
「大丈夫ですか」
「心配するなら、こんなことするなっ!」
「でも、追いかけられて怖かったし…」
「言い訳なんていいっ! 冷たかったぞ…
 今のは冷たかったぞっ!」
 雪の中から飛び出してくる男の子。
 わたしは再び木々の間を走り出す。
 わたしは笑っていた。
 凄い顔だったけど、本当は男の子も笑っていた。
 男の子と二人で笑いながら走っていた。
 わたしと男の子は走っている。
 雪の中をどこまでも。


 わたしが帰る日。
 男の子は、見送りに来てくれた。
 電車の中から見た男の子は、やっぱり泣いていた。
 窓を開けて、そして約束をした。
 もう一度、この街に来ることを。
 電車は動き出す。
 男の子は、地面の雪から雪玉を作り、
 わたしに向かって投げた。
 初めて、わたしの顔を目掛けて雪玉が飛んできた。
 でも、雪玉はわたしに当たる直前に窓ガラスに当たって、こなごなになる。
 こなごなになっても、少しだけ窓ガラスにくっついていた雪。
 それはわたしにとって、忘れられないものになる。
 元気にいつも笑っている。
 そんな男の子がいた。
 約束は果たせずに、思い出だけが綺麗になりながら、失われていく。
 素敵な冬の思い出。
 この思い出は、わたしの中で消えていく。
 そう思っていた。




 あれから何年たったのだろう。
 あれは確か、高校の入学式の日だ。
 春の気持ち良い光を浴びながら、わたしは初めての土地を歩いていた。
 南国の故郷との気温差が大きく、肌寒さを感じる。
 でも、春だ。
「桜が綺麗…」
 わたしの故郷では、もう桜は散ってしまった。
「また桜の中を歩けるなんて思わなかった」
 独り言を呟いてしまう。
 これからはずっと一人だ。
 この街で一人で勉強に励まなければならない。
 そう思うと少し気分が憂鬱になる。
 さらに気分が憂鬱になることがある。
「チョットイイデスカ」
 我に返ると、目の前には外国の方が立っていた。
「はい」
「ミチ、マヨッテマス」
 そう、道に迷っているのだ。
 わたしも…。
「エキ、バショ、シリマセンカ」
「困りましたね」
 なおも聞いてくる外国の方。
「バス、デモイイデス」
 わたしも知らないことを伝えなければならない。
 と、そこに男性が割り込んできた。
「お嬢さん、任せなさい」
 そう言って外国の方と話し出した。
「は、はろー、あい、きゃん、すぴーく、いんぐりっしゅ。
 あっ あーっ あいらぶゆー」
「大胆ですね」
 外国の方はなんだか戸惑っている。
 無論、言葉が通じているわけではない。
「あ! おまえ、今、英語、全然話せないじゃん、とか思っただろう」
「いえ」
「待て。10分で話せる英語を持ってきたんだ」
 そういって男性はバッグの中から何かを取り出す。
「これさえあれば大丈夫だ」
 ばっと、わたしの前にその本を広げる。
「欧米の方は胸が大きいですね」
「何っ! こっ、これは!
 生き別れの兄がくれた形見なんだ!
 だから俺は仕方無く持っているんだ!」
「そうだったんですか」
「信じるな!」
 ごほん、と咳払いをを一つしてから男性は向き直る。
「まだまだ、これからが本番よ……って、あれ?」
 もう、外国の方はいなくなっていた。
「せっかく、かっこいいとこ見せるチャンスだったのに…」
 男性は心底、残念そうだった。
「恐れをなして逃げたか」
 それは違う、と思った。
「あの、ありがとうございます」
「ああ、大したことしてないよ」
「…」
「今、ほんとに大して何もしてないと思ったろ」
「いえ」
「じゃあ、なんて思ったんだ?」
 何となく微笑んでしまう。
「賑やかな人だなって」
 そう言うと、男性はポカンとした顔でわたしを見つめる。
「あ……ああ、そ、そうか」
なんだか男性の顔が赤い。
「君は、あの、なんだ……誰だ?」
「水瀬秋子です」
「そ、そうか。では水瀬秋子さん、こうして出会ったのも何かの縁だ。
 えーっと、あの、またどこかで会えたら嬉しいなあ…なんて思ったりして。
 あははー」
 なんだか笑ってしまう。
「良いですよ」
「あははー、ってほんと?」
「ええ」
「俺とデートするんだぞ?」
「ええ」
「約束だぞ」
「ええ」
「よ… や! よ! や!」
 やったー、と言いたいのだろうか。
 男性は道路の真ん中で大喜びしている。
「こんな可愛い娘がOKしてくれるなんて。
 ああ、人生のなかで、今日が一番運がイイ」
 なんだか、見ているこっちまで嬉しくなってくるような喜び様だ。
 小躍りしながらステップを踏み、喜びを表現している。
「そう言えば、まだ俺の名前、教えてなかったな。
 俺は、ユキだ」
 知っていた。
 さっき、割り込んで来たときに気付いていた。
 冬の思い出。
 元気な男の子。
 男の子だけど、ユキという名前。
 わたしは感謝する。
 あのときとは、違う街で起きた奇跡に。
 いくつもの積み重ねられた偶然に。
 ユキは昔と変わらずに元気だ。
「ユキ」
「おう」
 道路の真ん中で話しているのは危ない。
 そう言おうとしたところ。

 キキイー!

 車にひかれてしまった。
















「それが、わたしとユキの出会いです」
「最後がインパクトあり過ぎて他のこと忘れそうなんですけど…」
「わたしも驚いたのですけど」
「でも、そのあと一緒に病院に行ったところ、軽い打撲ということでした。
 当人は、とても痛がってましたが」
「はあ」
「お茶、飲みますか」
「頂きます」








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