トントントン…
机を指の先で叩く少年が一人。時刻はもうすぐ昼休みになろうという頃、要するに四時限
目の終わりである。少年は最近の日々にイライラしていた。
外に目を向ければ紅葉の広がる秋。うだる様な暑い夏の日も過ぎ去り、過ごしやすい秋
に季節は変わったというのに、その少年は胸の腹正しさを抑える事が出来なかった。
その原因はわかっている、隣でぼけーっと窓の外を見ているこの男だ。夏休みが終わっ
てからこいつの生活は一変していた。いやこうなる要素はあった、ただ己が不覚にも気づ
けなかったというだけだ。
岡崎朋也、少年と同じく進学校であるこの学校の中でも変り種、平たく言えば不良とい
うカテゴリーに位置する。そしてさっきから不満そうに机を叩いている少年は春原陽平、
彼と同じく一応不良。
要するに陽平は、同じカテゴリーに属しながらこの差はなんなのかと今更ながらという
かようやくと言うか気づいたというわけである。
その原因とは、
きーんこーんかーんこーん
自習だった四時限目が終わる。ああ、来るぞ来るぞと陽平はうんざりしながらドアを見
た。
「朋也ー、ご飯食べよー」
肩まで届くセミロング、二人分の弁当箱を下げて隣のクラスから朋也の彼女の藤林杏が
入ってきた。
付き合うまでに紆余曲折あり、複雑になった関係だった二人だったが時間が経った今、
校内でも周知のカップルだった。ここまでおおっぴらな関係に成ったのは杏の双子の妹で
ある藤林椋に彼氏が出来た事もあるのだろう。
それまではまだぎこちない関係の二人だったが、ようやく素直になれる様になったとい
う訳である。
「岡崎君〜、ご飯食べよ〜」
陽平はそんな日々に終止符を打つべく想像もつかないような猫なで声を出した。
ガスッ! ゴスッ! とほぼ同時に頭部が砕けるような生々しい音がした。見れば陽平
の後頭部には国語辞典が突き刺さり、顔面には朋也の足が綺麗にクリーンヒットしている。
それもつま先ではなく靴の底が綺麗に顔面と平行してくっついている。
「陽平…あんた馬鹿?」
「杏、そいつは確認するまでもない馬鹿だ」
心底呆れたように床に這いつくばる陽平に蔑んだような視線を投げかける似た者夫婦。
「って確定ですか!? 僕、馬鹿確定ッすか!?」
突然、飛び起きて叫ぶ陽平。見事な生命力である、生命力だけは。
「………」
「………」
そんな陽平に全く同じ意味の視線を投げかける二人。見事なまでに息が合っている。
「うわっなんすか! その『うわっこいつわかってなかったの…?』って顔は!」
「だって…なあ」
「ねえ」
顔を見合わせて頷きあう二人。その表情は目の前にいる人物に対して心底哀れみに見て
いた。ちなみにこのやり取りに周りは傍観を決め込んでいる。何故ならこの二人の夫婦漫
才はいつもの事だから。
「うわああーーーん!! ラブラブバカップルなんてキライだあああああああ!!」
叫びながら廊下を飛び出していく陽平。背中に哀愁が漂っている、いつもの事なのだが。
「いてっ! テメエどこみて走ってやがる!!」
「あっ…その…スンマセン…」
「あー? 春原じゃねえか…相変わらずだなテメエ」
「いえ、そんな滅相もない…」
「丁度いい、テメエには学校生活のルールって奴を一度教えた方がよさそうだな」
「う…うわあああああああああぁぁぁぁぁーーーー……」
かすかに廊下の方からそんなやり取りが教室に届く。だがそれすらも日常茶飯事になっ
ている現状では誰の耳にも入らない。そして次にはどこかで悲鳴が響き渡るが誰も足を止め
ない。それが彼の日常だったから。そして朋也と杏の二人も当然無関心である。
「中庭行く?」
「そうだな、天気いいし」
二人は連れ立って廊下に出た。それはすっかり習慣になった日常。遠回りを繰り返して
二人が得た二人だけの時間だった。
一方連れ去られた陽平は校舎の裏で洗礼もとい懲罰…もといとりあえず仕置きを受けて
いた。すでにボロボロもはや立ち上がる気力もない。
だが、薄れゆく意識の中で陽平は思った。このままではいけない…と。そして何かを決
めたかのように立ち上がる。
「僕は…僕はやるぜぇぇぇぇ!」
「ほう、まだやる気があるのか?」
「え?」
とりあえずこの場で彼の命が終わらない事を祈ろう。そうでないと物語が始まらない。
「うぎゃあああああああああ!!」
無理かもしれない。
春原、ストーカーになる
「やべえっ……!!」
とにかく走る。俺はがむしゃらに走る。腕時計を見る、何度見ても時刻の針は無常な時
を告げる。10時45分、待ち合わせの時間は10時。盛大な遅刻である。
どうして俺はデートの時にくらい時間を守れないんだ!? そもそも目覚まし時計を使
って起きれないってどういうことだよ!? 最近は朝ちゃんと起きれてんのに何でこんな
日に限って寝坊なんだよっ!!
心の中で愚痴ったところでどうにもならない。ああ、たどり着くまでに言い訳を考えた
方がいいんだろうか。いや、杏の事だ下手な言い訳なら聞き終った後に問答無用で殴りそ
うな気がする。商店街の入り口、駅の入り口の前にぽつんと立っているのは…杏だ。
姿が見えた途端、俄然体に力がみなぎる。今の俺ならフルマラソンだって出来る!
「はあ…はあ……は…はあ」
「朋也…遅れてきたから急いでたのはわかるけど…飛ばしすぎじゃない?」
杏は遅れてきた俺を怒鳴るのも忘れて俺を見下ろしている。いや、この疲れっぷりを見
れば無理もないか。
「すまん、杏。俺にフルマラソンは無理だ」
「はぁ?」
「せめて1500を全力疾走くらいで許してくれ」
「何言いたいのかわからないんだけど…」
杏が困ったように表情を変えてしまう。あれ? 何か違うな。俺何を言ってんだろ?
「で? 遅れた理由は何?」
先ほどの俺の奇行で多少戸惑ってはいたみたいだが、今はいつもの杏だった。ああ、い
よいよ杏裁判の始まりですか。
「…………寝坊しました」
「ふうん…随分と正直に答えるのねえ…」
うう、突き刺さるような視線が痛い。杏とのデートに遅れるのは今に始まった事じゃな
いんだが、言い訳するたびに怒られてたから素直に謝るのが身についてしまったのだろう。
情けないな俺。
「ね、朋也。今日は何日?」
「え? えーと6日。9月の6日だけど」
ふふーん、と嬉しそうに笑みを見せる杏。ん? なんだなんだ?
「来週の日曜、何の日かわかる?」
「来週? 来週って14日だろ…えっと…」
あ、そうか。俺は唐突に思い出した。
「お前…っていうかお前らの誕生日か」
「正解〜。って何であんた知ってんの?」
「いや前に椋に誕生日聞いた事あるし」
双子なんだから一緒に決まってるだろうが。ヘンなとこで抜けてる奴だな。
「あっ、そっか。あはは、あたしとしたことが…」
「で? それがどうかしたのか?」
「今日の遅刻のお詫びは、来週の日曜に期待するってことよ」
「あー…善処します」
夏休み中のバイト代もあるし何とかなるだろ。むしろ今日のデートで何か欲しい物の探
りを入れておくって手もあるな。
「あ、あたしあのダイヤの指輪欲しい〜」
「もっと高校生らしいものをねだれよっ!!」
さりげなく移動したジュエリーショップのウィンドウを見て言う杏に突っ込みを入れつ
つ俺たちはいつものようにデートを始めた。
「移動したな…」
膝まですっぽり隠れるトレンチコートに深く被った帽子。あまつさえサングラスまでか
けて二人の後をつける怪しげなっていうか怪しさ爆発の男が一人。
「お前ら二人のデートはいつもここで待ち合わせってのは調査済みなんだよ」
右手にはカメラ、左手には双眼鏡。はっきり言ってすぐにでも警察を呼ばれそうな状態
である。誰かこの男に鏡を見せてやって欲しい。
口元に笑みを浮かべ、二人とつかず離れずの位置をキープする春原陽平。そう、この何
かが間違った服装は本人は変装のつもりらしい。
「くくく…ここで学校では知られていないような二人の恥ずかしいくらいのラブラブ振り
を示すような写真で杏の奴を脅せば…」
どうやらそんな考えで二人の後をつけているらしい。哀れさが自然と涙を誘う。
「僕の平和な昼休みを取り戻すんだ!!」
くわっ!! という感じで目を血走らせ意気込む陽平。そんな事はつゆ知らず、二人は
仲良く腕を組みながらウィンドウショッピングとしゃれ込んでいる。
「………」
そんな二人をジーッと眺める陽平。
「う、う、うらやましくなんかないぞっ!!」
目から血の涙を流しながら角を曲がった二人の後をつける陽平だった…。
「それでさー、これが椋の彼氏ってのがまた可愛い顔した男でさー」
「中性的ってやつか?」
「そうそう、最初見たとき椋が危ない道に走ったのかと本気で心配しちゃったわよ」
「それは発想が突飛過ぎなだけだろ…」
俺はこの時々暴走しすぎる杏の思考に呆れながらコーヒーをすすった。オープンテラス
のカフェ。高校生でも利用できるようなリーズナブルな値段のうえ入りやすい雰囲気なの
で、俺たちのデートコースにはいつも含まれている。
ふと見ると杏が肩を抑えながらブルブルっと震えた。
「おい、どうした寒いのか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど…何か寒気したのよねー。何か視線感じない?」
「うーん俺は気にならないけどな…お前が可愛いから通行人が足止めてるだけじゃないの
?」
「え? そう? やっぱり?」
「そこは控えめに謙遜して欲しいところなんだがな、彼氏としては」
努めて冷静を装いつつ俺はコーヒーを飲んだ。正直な話、かなり照れくさかった。こう
いう軽口がつい出ちまうのは俺の悪い癖だな…。
「ふふーん、その程度で恥ずかしがってていいのかな〜?」
にまーと何かを思いついたときの顔で杏がこちらを見ている。っていうか見抜いてたの
か、俺が照れてたの。
「朋也、あたしが頼んだのなんだかわかる?」
「え? あれ、そういや…」
一緒に注文したはずの杏のオーダーがまだだった。俺はメニューも見ずにコーヒーを頼
んだし、その後に杏がメニューを返したから何を頼んだかは知らない。
「お待たせしました、トゥインクルマリンになります」
ウェイトレスさんがコト、とテーブルの上に大き目の入れ物の飲み物を置く。それは、
ちょっと飾りつけとかが変わった容器に飲み物が入ってるだけで別段変わりはない。
……ストローが二本刺さっていることを除けば。
「……杏?」
「カップル限定で今週までのサービスなのよ。一度試してみたかったのよね〜」
両肘を突いて俺の顔を覗き込む杏。ああやばい、その表情はやばいよ。周りの視線を一
心に集めている気がする。ここで俺の取るべき選択肢ってやっぱ一つしかないんだよな…。
「朋也〜?」
「……俺はこっち側から飲めばいいのか?」
「うん♪」
ああ、こいつのこの笑顔に弱い…。俺は覚悟を決めてストローに口を近づけるべく顔を
グラスに近づける。クラスメイトに見られてたりしたら…ハズイな、かなり。
(キタキタキタキタッ!!)
陽平はオープンテラスの木陰からこっそりと二人を監視していた。木陰というか二人の
テーブルの近くの木の上だが。双眼鏡で確認しつつ後はタイミングを見計らって降りて、
二人の姿を激写するだけである。
(さあ…さあ…僕に最強の切り札をくれぇぇぇっ!!)
双眼鏡で二人の姿を捉える陽平。二人の口がストローに触れるまでもう少し。それまで
の時間がやけにスローモーに感じられる陽平。胸に何かが沸き起こる。
訳のわからないこの怒り。この感じをなんと呼ぼう。ああ、そうかこの怒りがなんなの
かやっとわかった。わかったから彼は素直に行動に出た。そう、彼は感情のまま本能のま
ま動く男だから。
「てめえら何ラブラブってんだよぉ!」
突然木の上から降りてきた男が俺たちを指差してそんなことを叫んでいた。人差し指を
高らかに突きつけ、手にはカメラを持って。その男はそのままぴくりとも動かなかったが、
何かを思い出したように帽子を深く被りなおし、後ろを振り返る。そして振り向きざまに、
「青春…してるねえ…」
しーん…と。その辺りだけまるで水を打ったように静かだった。誰もが固まったまま動
かない。そんな中、ぴくりと足が動いたその男の動きにいち早く体が動いたのは杏だった。
「ってあんた誰よっ!!」
「し、知らないっ!!」
背中をみせ一目散に逃げ出す男。その声、その後ろ姿に俺はある確信があった。ってい
うかこんな馬鹿は一人しかいない。
「おいっ春原! 財布落としてるぞ!!」
「えっマジ!?」
男、もとい春原はぴたりと足を止めて先ほど逃げてきた方向を振り返った。今決まった、
こいつは正真正銘の馬鹿だ。
「ってそもそも僕は今日は財布を持ってきてないんだったぁぁぁ!!」
違った、大馬鹿だ。キング・オブ・ザ・大馬鹿だった。
「そう…それは災難だったわねえ…」
憤怒の表情をしているであろう杏の背中を見ながら俺は傍観に撤することにした。コー
ヒーをすする俺の後ろで、へぐっ! とか ぼぐはっ!! などの声が聞こえるが全然聞
こえない。やがて一段楽したのか杏が前の席に戻ってきた。
「アレはどうなった?」
「うん? そこらの茂みに捨てておいたけど?」
「ゴミは持ち帰んなきゃダメだろう」
「そうだけど、大きいから無理だし。だから邪魔にならないところに捨ててきた」
「邪魔にならないならいいや、それよりさ」
せっかくの所に邪魔が入った。これでも杏は結構勇気を振り絞ったと思う。だから、仕
切りなおしは男の俺がリードすべきだろう。
「せっかくだから飲もうぜ」
「あ、う、うん」
その日二人で飲んだそのジュースは何か味がよくわからなかった。甘酸っぱいような気
もしたんだけど…嬉しそうに微笑む杏の顔を見てたら余計にわからなくなっちまった。
風が伸び始めている杏の髪を撫でる。ああ、また伸びてきたな。もうすぐかな、またあ
の綺麗な髪が見られるのは…。
その日の夜中、ゴミ捨て場から薄ら笑いを浮かべる浮浪者がいたらしいという噂を聞い
たが、俺は気にも留めなかった。
FIN
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