病院から飛び出したあゆを探して駆け回ったが、夕方になっても見つからなくて病院に舞い戻った。
 そこには父さんとあゆが居た。
 結局は自分で戻っていたのだ。
 父さんは何やら神妙な顔であゆに話しかけていた。
「月宮あゆ」
「……はい」
「君は、私の親友、月宮歩(あゆむ)の娘だ」

「あの人たちの言うことなんて関係ない。君は胸を張って、お父さんの『月宮』という名字を名乗りなさい」
「……」
「はいっ!」

 ささやかな葬儀が済んだ翌日の夕方……
 あゆが隣町に行きたいと言った。
 あゆのお母さんが最期を迎えた病院があり、母子で暮らしていたアパートがある街。
 あゆは、このまま僕の家で暮らすことになると思う。だからあのアパートは引き払うことになるだろう。
 あゆは、そこに行きたいのだろうか?

 僕と一緒に電車に乗るあゆの横顔は、暗い感情を感じさせない。
 僕や僕の両親がいる我が家よりも、待ってる人なんて誰もいない独りぼっちのアパートの方が居心地がいいのだろうか?
 そんなのって、悲しすぎる。
 僕には居場所を作ってあげられないんだろうか?

「……約束だから」
 あゆはそう言って駅前のベンチに座った。
 昨日出会って、たい焼きを食べさせてくれたという男の子と会うのだろうか?
 あゆに笑顔を取り戻させたのが何者なのか気になるが、僕は邪魔者のような気がしたのでしばらく本屋で時間をつぶす事にした。

 あれからも、あゆは毎日隣町へ向かった。
 だけど決して僕の家が居心地悪いのではなく『祐一君』に会いに行くためらしい。
 帰宅したあゆは、それなりに明るい表情ができていた。
 ここが居心地悪いなら、そんな表情は無理だと思う。

 ただ、妙に遠慮しているところがあった。
 それこそ赤ちゃんの頃からうちによく預けられていたから、あゆのお母さんが言っていたように兄妹みたいな感覚だったけど、改めて正式にうちの子になる事で変に意識してしまうようだ。
 そのうち慣れてきて昔のように自然に振舞う事ができるようになるといいんだけど。

 ごそごそ…
「あれ〜?」
「あゆちゃん、あった?」
「ないよ…どこにしまったんだろう?」
 今日、僕は朝からあゆのアパートで探し物を手伝っている。

 料理ノート。
 あゆのお母さんが秘伝のレシピで作るクッキーは僕も大好きだった。
 あゆは、祐一君にそれを作ってあげたいらしい。
 何だか悔しいけど、手伝って、と僕を頼ってくれたのは嬉しかった。
 母親が倒れた時からあゆは僕の家で暮らしている。
 だから食料品はほとんど片付けられていた。
 もっとも、なまもの以外の調味料や小麦粉は残っている。
 足りないものはお小遣いで買えばいいだろう。

「あゆちゃん、これかな?」
 角が丸くなり、表紙も少し波打ったノート。
「うんっ、お母さんそれ読んでた」
 そう言って頷く。
 だけど開いてみると……
「うぐぅ、読めない……」

 野菜や魚の絵や矢印等があるからこれが料理のノートである事は間違いない。
 だが……
 文字はミミズがのたうち回ったような…いや、それはあゆのお母さん、正確には、それを残したあゆの母方のおばあさんに失礼だろう。
 その文字は中学で習うアルファベットの筆記体だったのだ。
 残念ながら早期教育で英語を習っていたわけではないので僕たちには読めなかった。
 そもそも、お互い学校の家庭科でちょっと包丁を握ったぐらいなのに僕たちだけで作ろうってのが無謀だったのだ。

 それなのに、おぼろげな記憶の中の調理風景を頼りにして作り始めていた。
 思い出せない部分はテレビ…それも、よりにもよってCMの中で見た光景で補っていた。
 僕は苦し紛れにそう提案した事を激しく後悔していた。
 そして……

 あゆは、どこかから引っ張り出した赤いリボンで綺麗に包装した紙包みを持っていた。
「それじゃあボク、行ってくるね」
 あゆは満面の笑顔でそう言い、アパートから走り出した。
 どうにか完成した『クッキー』を持って行ったのだ。
 テーブルの上の皿に盛られた僕の分として少し残された『クッキー』を見る。

 ……オセロの駒?
 恐る恐る口に入れるが……
 ごきっ。
 抜けかかっていた乳歯が折れた。
「ごめん、祐一君……」
 まだ見ぬ少年に謝罪の後、振り向く。
 台所は粉やらバターやらが散乱した戦場と化していた。

        まもるべきもの        二章 それぞれのやり方

        作者 OLSON

        原作 Key            清水マリコ

相変わらず、戦闘や飲食の痕跡を発見しては僕が片付ける日々が続く。

コンクリートの壁に刺さった竹串。

ジュースか何かを大量にこぼしたと思われるベタ付き。

天井の剣の痕跡。

かぐわしき芳香を放つ納豆のネバネバ。

そして、本当にごまかしようの無い戦闘が勃発した。

       1月 20日 水曜日

今日は生徒会主催の舞踏会。

カーペットやテーブルや料理等の手配に苦労させられただけに、感慨もひとしおだった。

講堂に隣接した更衣室にタキシードを預けておく。

できれば、あゆと参加したかったが……。

でも、あゆが元気だったらどうなっていただろう?

僕とあゆが、兄妹として育つとしたら……

年頃の女の子が兄(誕生日は僕のほうが先)である僕と参加しようとするだろうか?

僕も、あゆも、それぞれの大事な存在を見つけ、その人と参加することになったんだろうか?

あゆは、例えば……祐一と。

では僕は? ……うーむ。

はっ! な、ななな、何で川澄さんが脳裏に浮かぶんだ! 彼女はそんなんじゃない、そんなんじゃ! でも、気にならないと言ったら嘘になる。あ、いやそんなんじゃなくて彼女とはただの知り合いであり目的を共にする同士であり先輩であり恩人であり…って、誰に言い訳してるんだ僕は!

はぁ……何考えてるんだろうな。

タキシード、か。

舞踏会に参加する気は無かった。

誘う相手もいない。

だが、受付その他もろもろに任命されてしまったのだ。

こうして、父さんのお古を仕立て直した年代物のタキシードの出番となった。

 父さんは新品を買ってやろうかと言っていたのだが、むしろ新品よりこのお古の方が誇らしく思えた。
 他ならぬ父さんがそう話していたのだから。
 父さんがここの生徒だった頃、当時の生徒会長の……
 『経済的な事情で盛装を用意できない人が可哀想だ』
 という独善的な哀れみで、舞踏会は廃止になりかけたらしい。
 実際にそんなことされて『用意できない人』がどんな気持ちになるか、ちっとも理解していないのだった。
 大半の生徒の反対にあってどうにか舞踏会は存続という運びになったが、盛装禁止などと言い出して制服での参加が条件付けられた。

 そんな馬鹿げた通達などあっさり無視して、ある者 (代表例は父さん)はバイトで資金を調達して購入。
 またある者は家にある古い物を仕立て直した。
 知人に借りたり譲ってもらった者がいた。
 親や手芸部員が手作りしたりもした。
 こうして人と人との繋がりによってもたらされた盛装が、参加を望む全ての者に行き渡った。
 お世辞にも上等とは言えない物がほとんどだったが、生徒達はむしろ誇らしげに袖を通して優雅な時を過ごしたらしい。
(縫合が不完全で破れて、あられもない姿を御開帳してしまうハプニングもあったそうだ)
 廃止になったり制服で参加するよりずっとずっと素敵な思い出になったことだろう。
 父さんは恥ずかしがって詳しく教えてくれなかったが、あゆの両親と僕の両親という二組の夫婦の馴れ初めは、そこにルーツがあるらしい。

そう言えば、生徒会には貸し出し用の盛装が備品として数着用意されていた。

父さんの時代の盛装騒ぎはいい意味で伝統となり……

卒業生が自分が着た盛装を(あくまでも、本人の自由意志で)備品として寄贈していく事があるのだ。

しかし……今年は何故か貸し出し希望者があまりいないそうだ。

確かに上等とは言えない物がほとんどではあったが、そんなにひどい物でもないのだが。

おととい、告知のポスターが何者かに剥がされていたせいだろうか?

……!? しまった!

そもそも、ポスターに盛装の貸出しの事を書き忘れていた!

慌てて生徒会室に駆け込む。

大き目の紙を引っ張り出して、人目を引くように超極太の油性ペンで……

字がかすれる。インク切れ? くそ、こんな時に!

紙を手に生徒会室を飛び出し……

書道部の部室に駆け込む。

朝早くからいた部員に事情を話し、道具を借りた。

硯と墨が摩擦熱で水分を蒸発させるだけでは飽き足らず、発火しそうな勢いで墨をする。

そして、一気に書き上げた。

『盛装の貸し出し有り! 飛び入り熱烈大歓迎!』

……ふぅ。我ながら達筆である。

ふと我に返ると、部員の女の子はあっけにとられて硬直していた。

とりあえず僕の力作が印象的だったのか貸し出し希望者が数名現れ、備品の盛装は全て活用されたのだった。

そして放課後……

ふぅ、どうにか準備完了。

講堂の正面出入り口に設営された受け付けに数名で分担して立つと、様々な人が並ぶ。

生徒だけではなくOBや生徒の父兄、教師も盛装で並んでいた。

その中に……

川澄さん!?

……う、美しい……。

薔薇色のドレスは彼女の漆黒の髪によく映えていた。

僕の前に立った彼女はじっと僕を見つめた。

心臓が跳ね上がる。

 薔薇…春に発生した彼女との奇妙な邂逅を思い出す。
 鯉のぼりが風に泳ぐ子供の日、母さんから駅前にある老舗の和菓子屋で柏餅を買ってくるように言われた。
 さて、とアパートを出ると…。
 歩いていた。
 超巨大な花束が、少々危うげながらも立派に自律2足歩行を成し遂げていた。
 そして、僕に接近してくる。
 僕の前を横切った2脚花束は…

 川澄さん!?
 彼女はそのままふらふらと歩き続け…
 電柱に激突した。

「ちょ、ちょっと、大丈夫ですか?」
「…痛い」
 既に何回も激突していたのか鼻が赤くなっていた。
「こんな大きな花束、ひとりで運ぶの無理ですよ。僕が手伝います」
 そう言って、多種多様な花がセンス良くまとめられた花束を僕が持とうとするが…。

「…いや。私が佐祐理に届ける」
 そう言って歩き出し……
 再び電柱に激突した。

「…痛い」
 僕も頭痛がしてきた。
 佐祐理さんの家なら知っているので、右、左、と方向を指示しながらそこまで誘導する。
 強情な二脚花束は僕の誘導には素直に従って、無事に倉田邸に到着した。
 じゃ、そういうことで、と立ち去ろうとしたら…
「……お礼」
 彼女はそう言って花束の中から一輪の薔薇を抜き取り、差し出してきたのだった。

川澄「……どうすればいいの」

我に返る。

僕のフリーズにより受付は滞っていた。

どうすれば? どうすればって、ここは舞踏会の会場なわけだから誰か連れ合いと踊るわけで、できればその相手は僕がいいなあ…って、そういうわけではなく、誰か連れ合いはいないのだろうか?やっぱり祐一なのか? いないんなら是非とも僕が……あ、僕は生徒会の仕事があるから駄目か…

……って。

和弥「……帳簿に所属と氏名を記載して下さい」、

川澄「……そう」

少々癖がある字で帳簿に書き込んだ川澄さんは、会場へと入っていった。

彼女を目で追った先に、佐祐理さんもいた。

仲がいいから一緒に参加したのか。

お、栞さんと、前に彼女と話していた褐色の髪の男子生徒か。

参加できる体調になったか。これを機会に学校に溶け込めるといいな。

…って、彼女のドレスは少々露出が激しいような気がする。

傍にいる彼は目のやり所に困っていた。

変に恥ずかしがって胸を抱え込んだりすると……かえっていやらしく見えてしまう事を彼女は理解していないようだ。

 当校の歴史において、舞踏会ではウケを狙って物凄い格好で参加する者がいたそうだ。
 例えば、某歌手が大晦日に着るような、全身に電球を仕込んだドレスで参加した女傑がいた。
 電源となるトラック用大型バッテリーは、連れ合い…と言うか、当時は彼女の哀れな下僕であった体育会系の大男に担がせていたそうである。
 もっとも、彼女が当時思いを寄せていた男と踊ってるうちにねじれたコードがショートして発火し、火傷しかける大騒ぎになったらしい。
 焼け焦げた電飾ドレスは危機管理の甘さに対する戒めのために生徒会室に保存されていた。

 ちなみに何故そんなに詳しいかと言うと、その女傑が僕の母さんであり、下僕が父さんだったりする。
 体を張って火を消しとめたのがきっかけで強固な愛が芽生えたらしい。
 赤面する父さんを尻目に母さんは笑いながらそう話していた。
 他にも、女子がタキシード、逆に男子がドレスを着用したり、
 映画みたいにロープを伝って天井から颯爽と現れて、パートナーをかっさらっていった猛者もいたそうだ。
 今年、もしそんな奴が現れたら……楽しそうだが大変だろうな。

おや? 受付の行列の中に見覚えのある顔が……

祐一も参加するのか。

誰とだろう? まさか川澄さんとか?

……。

って、だから! 何でそれで僕が焦燥感に駆られなければならないんだ!

いや、それより問題は僕との事だ。

僕の顔を見てあの事を思い出すだろうか?

7年前の冬から連絡が無いのは、記憶を封印してしまったからではないだろうか。

あの日の絶望に満ちた彼の顔、どれほどショックだったのかは冷静に考えれば想像に難くない。

だけど、頭に血がのぼった僕が追い討ちをかけてしまったのだ。

祐一は……自分の心を守るために記憶を封印してしまったのだろうか?

少なくとも、僕には彼を責める資格は無かった。

僕の顔を見て思い出したなら……舞踏会を楽しむどころではなくなるだろう。

さて、どうしたものか…と、思っていたら祐一はあっさりと署名を済ませて会場に入っていった。

僕を見ても思い出せないくらいに、記憶の封印は強固なのだろうか?

それとも…僕の顔はあの頃と比べたら成長と共にすっかり変わってしまっているからだろうか?

はたまた……川澄さんの事で頭が一杯だからなんだろうか?

実際に踊る時間になるまでの歓談の時間。

盛装に身を包んだ人たちをなんとなく見渡す。

自分はどうも場違いな感じがする。

和弥「エロ本を川原や空き地に捨てるのは、ちり紙交換に出すよりも勇気がいるとは思いませんか」

なんて話を振ろうものなら即刻叩き出されそうである。

何やらどよめきが聞こえた。

何だろう? と、目線を向けると…。

祐一と川澄さん!?

…やっぱり祐一と踊るのか…。

って、だから何で僕が落ち込まにゃならんのだ!?

……やっぱり僕は川澄さんのことが……?

って、祐一とモンキーダンスを踊ってひんしゅく買ってる川澄さんにときめいてどうする…。

モンキーダンスが妙に印象的だったのか、彼女に話しかける者が数名いた。

これをきっかけに彼女への醜聞が無くなるといいのだが。

……って、彼女は飲み食いに夢中で意に介さないし……。

おっと、音楽音楽。

むやみやたらとでかいコンポに向かう。

莫大な出力を誇るが一般家庭で使うには明らかにオーバースペックで、騒音の問題から当校に寄贈された代物だった。

レコードのデッキを開き『少女の檻』と書かれた円盤を乗せる。

ボツッ! と針が落ちた衝撃をアンプが拾った後、シャー…というかすかなノイズが走る。

レコードってのはこの間がいいんだよなぁ。

数名のカップル(中には女同士もあったが)が手を取り合い、中央へと歩み出る。

お、栞さんと褐色の髪の彼氏か。

彼は格式ばった仕草で彼女の手を取った。

あまりに芝居がかっていたせいか互いに苦笑した後、周りの見よう見まねでステップを踏み出した。

と、思ったら……。

乱捕り稽古!?

慣れていないせいか、柔道の足技を繰り出してはたたらを踏んで持ち堪えていた。何やってんだか。

お、祐一と川澄さんも踊り出した。

……周りにぶつかりまくってる。

しかし楽しそうだな。

……くそ、何で祐一が羨ましく感じるんだ。

お? 川澄さんがくるくる回転してる。しかも…もう30秒は回っている。運動神経はさすがだな。

…今度は佐祐理さんと踊るのか。羨ましい。

そうだ、羨ましくて当然だ。あんな綺麗な人ふたり、両手に花ではないか。男として羨んで不思議はない。

あれから、川澄さんと佐祐理さんを誘う男が相次いだが振られ続けた。

川澄さんに話しかける男がいる……。

醜聞を払う事ができたのは喜ぶべきなのに、それなのに、この胸のモヤモヤは何なんだ……。

         「きゃ!」

小さな悲鳴に我に返る。

見ると……、

栞さんと褐色の髪の彼氏が、きわどいバランスで抱き合っていた。

先輩の中に、パートナーが転びそうになって支えようとした結果抱き合って、そのまま勢いに任せて大胆にキスをしたカップルがいたそうだ。

あのふたりもそうなるのか、互いの顔が近づいていく。

思わず固唾を呑んで見守っていた。

         カシャン!

グラスが割れる音。

そしてふたりは硬直した。

……誰だ、無粋な茶々を入れる奴は。

ふたりは気まずそうに離れた

   ガシャアアアアアーーーーーンッ!!

そのとき2階の窓ガラスが割れ、破片が僕の脇のコンポに降り注いだ。

          ガガッ!

断末魔の雄叫びを上げ、コンポは煙を吹いた。

真空管式だから音が柔らかかったのに……。いや、そんな事を言ってる場合じゃない!


2話
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