アパートに着いてまず行ったことは電話だった。
 この番号にかけることになるとは思わなかった。
 発信音が止まり、受話器を取る音…
 ガゴゴガゴッ! ゴンガゴン!
 轟音が耳に突き刺さる。一体何だ!?
『…失礼しました。倉田衣装店です』
 自宅と店舗の回線は共通なのか。
「こんばんわ、久瀬と申します。佐祐理さんはおられますか?」
『久瀬……? 何だ、かしこまって…って、もしかして……和弥…君、か?』
「はい。お久しぶりです、おじさん」
『ああ、久しぶり。あいつそっくりな声になったな』
 倉田のおじさんはそう言って笑った。

 彼も父さんやあゆの父と同じあの村の出身であり、父さん達と同期生、そもそも、舞踏会の盛装を禁止しようとしたのが他ならぬ彼だったそうだ。
 そんなこんなで父さん達とは奇妙な縁があった。
 件の盛装騒ぎがきっかけなのか卒業後はこの街で貸し衣装店を営んでいる。
 事業は拡大し、衣装だけではなくパーティー用品等のイベント関連のレンタルを手がけるようになった。 (それでも名前は衣装店のまま)
 イベント等の際に貸し出し品の搬入に回ったり衣装の仕立て直しを行う職人になったのだ。
 仕立て直しの腕は一流で、モノがよければ下手に新品作るよりも上等な仕上がりを実現している。
 舞踏会で着た父さんのお下がりのタキシードを仕立て直したのも彼だった。
 その舞踏会を開く当校も、お得意先のひとつだったりする。
 ちなみに、OBゆえにあの学園の名を出すと盛装販売部門を担当する彼の弟さんが値引きしてくれたり、商店街に顔が利くので資金調達に向けたバイトを斡旋してくれたりする。
 そんなレンタルショップ倉田衣装店を営む傍ら、何を血迷ったのか故郷の村の村会議員になってしまった。
 彼は彼なりのやり方で、あの村を何とかしようとしているのだろうか?

『昼に佐祐理から電話があって、知り合いの子で学園の生徒会に入った人がいなかったかと訊いてきたから君の事を話しておいた』
 …なるほど、彼女が僕の元に談判しに現れたのはそのためか。
 父さんから倉田のおじさん経由で、僕が生徒会に入ったと耳に挟んだんだろうな。
『…とりあえず、名字だけで教えておいたがまずかったかな?』
「いえ、それでいいです」
 倉田家において『和弥』の名は禁句になってるようだ。仕方ないか。

『わかった。おーい、佐祐理ー!』
 受話器から口を離したのか声の響きが変わっていた。
『は〜い、お父様……って、は、はぇ〜っ!? お風呂上りは前、隠して下さいーっ』
『…親子なんだから恥ずかしがることなかろう? 第一、おまえの半分はここから出てきたんだぞ?』
『あ、あははーっ、ま、間違いではないですけどーっ』
『そうそう。佐祐理、私のパンツはどこだ』
『あ、取ってきますねーっ』
 電話の向こう側では、ものすごい会話が繰り広げられていた。
 電話に出たときの轟音は、風呂上りで手が濡れていたために受話器を落とした音らしい。

 風呂上りに年頃の娘の前をフリ○ンで闊歩し、
 趣味で奇妙な置物を多数製作し、
 どこかから割と上等な椅子を拾ってきて書斎と称する散らかりまくった自室に据え付け、
 カレーは、ご飯とルーを完全に混ぜた餅にしてからでないと食べず、
 冗談が受けなかったら捨てられた子犬のような切ない瞳で見つめ、
 新型の水虫薬の効き目に一喜一憂し、
『書斎』の本棚の奥にこっそりとエロ本を隠しておいて、父さんに連れられ遊びに行った僕にこっそり見せてくれた。
 本業である倉田衣装店を営むついでに故郷のあの村の村会議員になった男。
 それが倉田佐祐理の父、『倉田のおじさん』だった。
 なお、住所は故郷の村で登録。この街には、ほぼ年中『宿泊』しているだけらしい。
 村会議員だろうが議員は議員で間違いではないのだが…生徒会の連中は、こんなおっさんに何を期待していたのやら。
 そう、残されたカードが『倉田のおじさん』だった。

 学園のOBに『議員』になった者がいる
『議員のお嬢様』である倉田佐祐理が入学したのがきっかけで、そういう話が広まった。
 あらゆる人間が、『議員』という肩書きだけで勝手にあれこれ想像を膨らませ、彼女の父親は絶大な権力を有していると考えていた。
 彼女が役員として舞踏会の準備を行う際、 『子供の頃からそういう場所によく連れて行かれた』という話をしていた事も、『議員のお嬢様』で『いいとこのお嬢様』という幻想を定着させることになった。
 しかし、その実態は……

 夫婦で営む倉田衣装店の仕事は多忙なのだが、彼女は極度のお父さんっ子だったため他所(例えば僕の所)に預けることができなかったらしい。
 そのため、止むを得ずお得意先のパーティー会場まで連れて行くことになり、粗相をしないように礼儀作法は厳しく躾けられていた。
 父の真似でお得意先に『ありがとうございます』と頭を下げてるうちに、彼女は『倉田衣装店』のマスコットガールになっていた。
 そんな微笑ましい親子を勝手に上流階級の人間だと決めつけ四苦八苦してる連中がおかしくて『倉田議員』がただの(?)おっさんであることは黙っていたのだ。
 そして、今も真相は知られていない。

『佐祐理が戻ってくるまで、ちょっと待っててくれな。…和弥…君……。……やっぱり、その、な』
 気まずそうに言葉を濁す。
「……僕の名前、呼び辛いですよね」
『済まない。どうしても息子のことを思い出してしまってね』
 倉田一弥…倉田家長男、年が離れた佐祐理さんの弟。
 倉田のおじさんは父さんから聞いた僕の名が気に入り、うちも男の子が生まれたら『かずや』にしようと言い出したらしい。
 だが、生まれてきた『一弥』君は……

『息子には可哀想な事をしてしまった。佐祐理も私も、優しさと甘さ、厳しさと冷たさを履き違えていたんだ』
『他の子と同様に普通に扱おうと考え、特別学級に入れなかったのも息子にとっては苦痛でしかなかったのかもしれない』
『専門的な知識や技術を持った教師の元で息子のペースに合わせた適切な教育を受けさせて、変に焦らず成長をゆっくりと見守っていればよかったんだ』
 おじさんは深い悔恨と共に語った。
 詳細は聞いてないのだが、一弥君には何らかの障害があって言葉が不自由だったそうだ。
 それ故に苛められたのか、周りから孤立してしまったのか、自分自身に対する劣等感によるものかは不明だが、幼稚園では泣いてばかりだったらしい。

 僕と同じ名を持つ男の子が、声を上げることもできずしゃくりあげる姿を想像するといたたまれなくなった。
『済まない。君にこんなこと言っても仕方なかったな』
「いえ、そんな…」
 とは言ったものの、どう答えていいか言葉がさっぱり思い浮かばない。
『あの頃は君の家族もあの子のことで大変だったのに、我が家だけが不幸であるかのように考えていた』
『そのためか君を息子の代わりであるかのように扱ってしまった。本当に、申し訳なく思っている』
 あゆがあんな事になってからしばらく経った子供の日、父さんの友人の子の誕生会に出席するよう頼まれた。
 こうして佐祐理さんと出会ったのだが……

『お父様ーっ、はい、パンツ…って、は、はえ〜っ!?ま、丸出しのまんま……』
 電話越しに佐祐理さんの気まずそうな声が聞こえて、思考は中断した。
『今更こんな事言えた義理ではないが、君さえよければ、また佐祐理と仲良くしてやってくれ。では代わるぞ』
 受話器から口を離したのか声が遠くなる。
『佐祐理。かず……久瀬君だ』
 それなりに配慮しているのか、やはり『かずや』の名は出さなかった。
『はい、代わりました。佐祐理です』
「こんばんわ、倉田さん」
『こんばんわ、今日は無理言って済みませんでした』
「いえ、こちらこそ力になれなくて済みません。それで、そのことで話があるんです」
『話……ですか?』
「はい、倉田さんに協力してほしいことがあるんです」
『協力…と、言うことは、まだ方法があるんですか?』
 期待に満ちた声。
「あります。でも、周りの人間の川澄さんに対する目は変わらないと思います。場合によっては、益々悪くなるかもしれない」
『それでは……』
「卒業まで時間がありません。川澄さんのことを周りの人間に理解してもらった上で復学させるのは無理です」

 彼女が息を呑む気配を感じるが構わず、力強く続ける。
「でも、要は結果です。卒業までの短い時間、大好きな人と学園の思い出が共有できれば、それでいいではないですか」
 …くそ、何で『大好きな人』という言葉で胸が苦しくなるんだ。
「関係のない人間にまで、無理して理解してもらわなくても構わないでしょう?」
『それは、そうですけど……』
「正攻法でなければ、何とかなります」
『……』
「それと、これは『生徒会の人間』という肩書き抜きの一個人、久瀬和弥としてのお願いです」
『くぜ、かずや……?』
 あ、フルネームで名乗ってしまった。おじさんの配慮を無駄にしてどうする! 思い出してしまったかな?
「…生徒会の人間としては、川澄さんは仕事を増やしてくれる困った人なんですけど、個人的にはそ……『嫌いじゃない』ですから」
 …なぜ、『相当に』を付け加えそうになったんだ?
『かず、や……?』
 あ〜、駄目だったか。仕方ない。
「…そうです、和弥です。僕のこと思い出しましたか?佐祐理姉さん」
『は、はぇ〜っ? か、かずや!?』

 倉田のおじさんも、月宮のおじさんと同様に僕の両親とは高校時代からの腐れ縁であり同年代の子供がいた。
 家もそんなに遠くはないのだから、きっかけさえあれば、娘の佐祐理さんとはあゆと同様に仲良くなっていたかもしれない。
 そして、彼女の誕生会への招待がそのきっかけとなった訳だ。
 友達ができれば弟を失った傷も癒え、明るくなった娘を見れば倉田のおじさんも癒されたのかもしれない。
 僕も、病院のベッドで眠ったままのあゆの事を考えて落ち込むばかりだったから、その陰鬱な気分が癒されるかもしれない。
 双方の両親の思惑はその程度であり、さほど深い考えはなかったのだろう。

 だが、その亡くなった弟と、僕の名が同じだったのが問題だった。
 それなりに整理がつきかけていた佐祐理さんの感情をかき乱し、混乱を招いたのだ。
 誕生会で出会った彼女は、さほど時間をおかず敬語を使わなくなり、僕のことを『かずや』と呼び捨てにするようになった。
 当時の僕は背が低く、実年齢より幼く見られることがよくあった。そのせいなのだろうか……? と、考えていた。
 だが、それは打ち解けたからではなかった。
 ただ単に、弟の『一弥』と僕を重ねて見ていただけだったのだ。

 一緒に水鉄砲で遊んだり駄菓子を食べたりする交流の日々が続いたが、亡くなったばかりである弟、『一弥』の名の由来を倉田のおじさんから聞いた僕はこう言って倉田邸を飛び出した。
    「僕は弟の代わりなんかじゃない!」
 許せなかった。
 優しかった彼女に僕は淡い恋心を抱いていたのだ。
 僕を一人の男として見てほしい。そんなませた思考があった。
 そして、あゆがあんな事になっているのに他の女性にそんな感情を抱いた自分自身に激しい怒りを感じていた。
 そうして連絡を絶ち、かれこれ7年。佐祐理さんは、あの頃の僕との思い出は『一弥』のそれと混同して記憶しているのかもしれない。

『ふぇ〜、全然気づきませんでした……』
「…まあ、仕方ないでしょう。7年ぶりだし、顔つきはすっかり変わってしまっていますから」
『……済みませんでした、あの頃は……』
「…いいんです。お互い子供だったし、色々あって余裕なかったんですから」
 お互い、庇護する対象を求めていたのだ。
 だが僕は年下だし子供だった。変にプライドを持って跳ね除けず、素直に佐祐理さんに甘えて癒されていたらよかったのだ。
 そうする事で佐祐理さんも癒されていたのだと思う。
 僕と『一弥』の区別だって、すぐについていたのかもしれない。

 その上で、無理せず姉弟みたいな感覚で支え合っていればよかったのだ。
 ……今からでも、遅くはないのかもしれない。
「積もる話は後です。今は、川澄さんのことが先決でしょう?」
『はい、そうで……そう、だね。…かずや』
 佐祐理さんは、ぎこちない喋り方だが敬語を使わずにそう答えた。

そして、僕は再び夜の校舎にいる。

和弥「川澄さーん」

返事なし。

和弥「夜食ですよー」

返事なし。

……。

和弥「まーいっ、好物のねぎだく牛丼だぞーっ♪こーい来い来い来い来い来い♪」

そう言って、ちちち……と舌を鳴らしたところで我に返る。

うちの猫の舞を呼ぶわけじゃないんだから……。

第一、先輩をこんな呼び方しちゃ失礼だろう。

……まあ、彼女の不必要に人に媚びようとしないツン、とすましたマイペースな態度は猫のソレを連想させ、それはそれで可愛いと感じるのだが…

…って、そ、そういう問題じゃない!

すたっ。

川澄「………」

階段の下に川澄さんが飛び降りた格好で現れた。

川澄「………」

……しかもこっち来るし。

和弥「あなたは猫ですかっ!」

頭痛を堪えつつ一応突っ込んでおく。

川澄「猫さん……?」

和弥「いや、いーです」

        ぐきゅるるる〜

静寂に満たされた夜の校舎に、彼女の状態を如実に表す切ない音が響き渡った。

和弥「あなたの星の夜の挨拶は腹の虫ですかっ!」

激化した頭痛を堪えつつ一応突っ込んでおく。

川澄「……私は宇宙人ではない」

和弥「…もういいです。約束の夜食、ねぎ多めの玉子付きです。食べますよね?」

こくりっ、と川澄さんは勢いよく頷き、牛丼を受け取った。

昨日同様に割り箸を咥え、ぱんっ、と小気味よい音を立てて片手で割り、牛丼を食べ始める。

僕も、小一時間問い詰められそうな汁多めの牛丼を手に取る。

くそ、僕も真似して割り箸を咥えて割ってみたが、きれいに割り損ねて上部は繋がったままだ。

双方、しばらく無言で食べる。

和弥「……あの」

反応なし。

和弥「退学処分、取り消せそうです」

彼女の箸が止まる。

ただ無言で僕を見る。

和弥「たぶん、明日の昼にはあなたの家に連絡があると思います」

彼女はしばらく沈黙したまま僕を見た後、こくり、と頷いた。

そして再び牛丼に目を向ける。

川澄「……ありが」

          ギシィ

何かがきしむ音。

……この音! またか!

彼女も顔を上げる。

川澄「…牛丼、お願い」

川澄さんが牛丼から手を放す。

僕はそれを慌てて受け止める。

川澄「…頑張って」

川澄「…まだ食べかけだから」

和弥「え? またですか?」

こく、と頷き、駆けていった。

昨日と同じか……。

でも、魔物が来る直前に彼女が言いかけた言葉は……。

2つの牛丼を手に川澄さんとは逆方向へと走る。

なぜか、心は弾んでいた。

ある程度距離を取ったところで壁にもたれて待つ。

静寂。

耳を澄ますと、走る音、そして何かにぶつかる音が遠くから時折聞こえる。

その時、目の前の空間がきしんだ。

川澄さんが戦う音は相変わらず遠くから聞こえる。

……魔物は複数いる!?

音と逆方向に走りだした。

壁に突き当たる。

減速せず、壁を蹴って強引に曲がった。

その直後、さっき蹴った壁が激しくきしむ。

はっ、はっ、はっ、はっ……!

音は追ってくる。そして階段が視界に入った所で追いつかれ、足をすくわれる。

和弥「うわっ……!!」

天地が二転三転する中、漆黒の長髪、それと銀色の輝きが見えた。

そして、激しい衝撃と共に床に叩きつけられる。

同時に、醤油と生姜の効いた肉汁の匂いが漂った。

それと共に静寂が訪れた。

川澄「……逃げられた」

床に突き立てていた剣を抜いた川澄さんは振り向き、歩み寄ってきた。

和弥「済みません。今夜も守りきれませんでした」

川澄「……いや、よく守った」

彼女はそう言って僕の足元にしゃがみ込んだ。

川澄「……こっちは無事」

そう言って一つの丼を持ち上げた。

丼はもう一方の牛丼の汁を被って汚れていたが、確かに中身は食べかけのままの状態だった。

彼女はその場で剣を壁に立てかけ、牛丼に刺さっていた箸に持ち替え、食事を再開した。

なんとまあ、大したマイペースぶりである。

…って、あれ? 確か川澄さんは玉子を入れてたよな? 一個しか買ってなかった玉子。

なのに、玉子と思われる黄色い物体は丼の中ではなく、丼の外側を濡らす汁に混じっていた。

そして、丼の中は妙に汁気が多いように見える。

更に、彼女が持つ箸は割り損ねで上部が繋がったままであった。…って。

和弥「わ、わわわ!」

川澄「……?」

左右の長さが違う割り箸の先を咥えたままの川澄さんが僕の顔を見る。

和弥「その牛丼僕の! ひっくり返ってしまったのが川澄さんのです! 今咥えているその箸も僕が使ってた箸っ!」

か、かかかか間接キス……!

川澄「………」

川澄「…なら、頂戴」

それだけを言って、再び牛丼をつつき始める。

頭痛がしてきた。この人にはそういう概念はないのか?

硬直したままの僕を見た彼女は怪訝な顔をして…

川澄「…これ、食べる」

そう言って丼を差し出してきた。

間接キス返し!?

和弥「…いや、いーです」

やっぱり、そういう概念はないらしい。

川澄「……そう」

再び食べ始める。

この人には年頃の乙女としてあるべきものが色々と欠落している……。

激化した頭痛を堪えながらこぼれた牛丼を片付けている間に彼女は食べ終え、

川澄「…手負いに出来た。もう今夜は来ない」

そう言って去っていった。

戦闘の痕跡を可能な限り隠滅して校舎を後にする。

その時気づいた。

明日の作戦の事を彼女に説明しておくのを忘れていたのだ。

彼女の大胆な行動(本人に自覚はないようだが)に今夜も惑わされて話すべき事を話しそびれてしまった。

……まあいい、むしろ、この方が好都合だ。

川澄さんも、祐一も、作戦は知らない方がうまくいくだろう。

これでいいんだ。これで。

………。

……。

…。


8話
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