冬休みはもう終わり……という頃だった。
 いつもは、夕方ごろに自宅がある隣町まで遊びにいくあゆが、今日は朝から出かけている。
 あゆが時おり口にした『秘密の場所』が妙に気になるので僕も行ってみることにした。

 駅に降り立つ。
 遠くに目をやると大きな森があり、その中にひときわ目立つ大きな木があった。
『秘密の場所』は森にあると言っていたから、おそらくそこだろうと思い、歩いてゆく。
 あの木の上に登ったなら、この街を見渡す事ができるだろう。
 あゆが両親と暮らしていた街。
 隣町にある僕の家に引き取られることで、離れることになる街。

 あの大木を目印に歩くうちに、両端を木々に囲まれた遊歩道のような場所に差し掛かる。
 その時、森に面した木々がガサガサと激しく揺れた。
 熊か!? などと考えていたが、ゆらり、と出てきたのはひとりの少年だった。
 だが、安心はできなかった。
 虚ろな目をした少年は血まみれだったのだ。
「ちょ、ちょっと君、どうしたの!?」
 どさり、と少年はその場に倒れた。
 慌てて駆け寄る。
 少年は、病院……救急車……と呟く。
 確かに子供である僕にできる事なんてないので、一旦その少年を置いて走り出し、最寄りの民家に駆け込んで電話を借りる。

 到着した救急車に便乗してさっきの並木道に着くと、少年はさっきの場所から僕が走っていった方向へと這って少し移動していた。
 救急隊員が担架に載せ、救急車に運びこんだ。その時、少年が口を開く。
「…運ぶの……俺…じゃない…森の…」
 隊員が息を呑む。
「…! もうひとりいるのか?」
 少年は頷く。
 隊員はしばらく少年の体を見まわして……
「君、しばらくこの子についててくれ!」

 僕にそう言った隊員は、もう一人の隊員と共に雪に残された足跡をたどり、少年が出てきた森へと飛び込んでいった。
 少年の怪我は緊急を要するものではないようだ。

 だが、何だか胸騒ぎがした。
 じっとしていられない。
 だけど、ただの子供である僕には何もできない。
 あの隊員が言うとおり、この少年についているだけだ。
 担架に横たわる少年を見る。
 所々擦り傷があるけど、その程度で何で服がこんなに血まみれなのだろう? セーターに覆われた中に、酷い怪我があるのだろうか。
「君、名前は?」
「あ……う……」
 意識が無いらしい。森の中に本当の怪我人がいる事を伝えたことで、気が抜けたのだろうか?
 しばらくして、胸騒ぎの正体に気づいた。

 僕は、あゆと祐一がいると思われる森の大木へと歩いていた。
 そして、この少年は、森から出てきた。
 まさか……!
 そんなはずは……。
 もう一台の救急車が来る。無線で増援を呼んだのだろう。
 救急隊員が無線で何か連絡をしている中、もう一人の隊員が少年の手当てを始める。
 セーターの袖を鋏で切り開くと、右肩の辺りは何かに激しくぶつけたのか酷く腫れていた。
 だけど、セーターを脱がされた上半身のどこを見ても出血は見受けられない。
 なら、彼のセーターを染めた血は……!?

 気が遠くなるほどの時間がたった後、木の枝が折れる音がして僕は救急車から飛び出た。
 担架に載せられていたのは…見覚えのない子供サイズのジャケット。
 その下に見える腕は見覚えがあるセーター。
 でもセーターの色は赤だ。ピンクじゃない。
 だから、あゆじゃない。あゆじゃないんだ!
 顔が見えない。首から頭にかけて枕のような塊で固定されていた。

 救急車に乗せられると共にけたたましいサイレンの音が鳴り始め、エンジンの咆哮が響き渡る。
 見覚えのあるセーターを着た女の子の顔を見る。あゆではない事を知って安心するために。
 だけど、
 その子は、
 あゆだった。

        まもるべきもの        三章 もたらされたもの

        作者 OLSON

        原作 Key            清水マリコ

 川澄さんは一命を取り留めた。
 幸いにして血液型が同じだった僕からの輸血と、元々病院に用意されていた血液で充分に事足りたのだった。
 だが、意識は戻らない。
 佐祐理さんも面会謝絶の重体だった。
 はっきり言って学校に行く気などしない
 だが、ここで僕にできる事など何もない。
 川澄さんたちが戻ってこれるように、生徒会の人間として居場所を守るだけだった。
 ネットの掲示板などを駆使して情報戦を仕掛け、どうにか魔物との戦闘は全て旧校舎に責任転嫁できた。
 川澄さんの剣は彼女の腹に刺さったまま病院に担ぎ込まれたため、そこで真相が発覚する危険があったのだが、そこでも……

『ベランダ剥落の際、中庭に隠されていた旧日本陸軍の軍刀が跳ね上がって女生徒に刺さった』
 などと言って誤魔化した。
 あまり知ってる者はいないのだが、一応存在していた我が校7不思議のひとつに……
 敗戦の際の米軍による武装解除の目をかいくぐって、いつの日か決起するための兵器を軍の将校が旧校舎に隠していた。
 というものがあったのを利用させてもらったのだ。

 あの剣はどう見たって西洋刀なのだが、何しろここは平和ボケ国家大日本。
『兵器』は人殺しの道具なんだからみんな一緒、と思考停止して…
『装甲車』も『自走砲』もひっくるめて『戦車』 『攻撃機』も『爆撃機』もひっくるめて『戦闘機』 『巡洋艦』も『駆逐艦』もひっくるめて『戦艦』 『拳銃』も『対戦車ロケット砲』もひっくるめて『銃』 『大陸間弾道弾』も『対艦ミサイル』もひっくるめて…『ミサイル』
 等と呼称するのが一般的なくらい軍事や兵器に関する知識が乏しいのがこの国の民衆だ。あの剣も『軍刀』だとあっさり信じられてしまった。

 この物語には色々と無理があったのだが……
 あんな危険な建物が、『伝統ある旧校舎を守る会』のエゴで存続されていた、という強烈な事実に比べれば些細なものだった。
 更に、件のスレッドから手抜きの補修やいいかげんな安全確認を行っていた業者からの内部告発が発見された。
 これがきっかけとなり、生徒やマスコミの興味は古い危険な校舎を存続させていた『守る会』の連中や、会と癒着して補修費用を着服していた業者の糾弾へと向かった。
 おまけに『軍刀』の一件から反戦団体の活動まで活発化した。
 しまいには、反戦団体のシュプレヒコールや大音量の反戦ソングという騒音により、夜間の仕事をしている人が寝るべき日中に眠れなくなり、居眠り運転で事故を起こすという洒落にならない事件まで発生した。
 こうして、ふたりの剣士の事は忘れ去られていった。
 自分をこうやって忙しくする事で、入院している少女達のことを頭から追い出していた。

学校で祐一の姿を見る。

戦闘の怪我が残っているものの、生活には支障の無いレベルで済んでいたようだ。

だが、抜け殻のようになっていた。

無理もない、川澄さんはあんな状態なのだ。

あゆが入院する事になったあの日と同じくらいにショックを受けているのだろう。

むしろ、彼も重症を負っていたほうが救われていたのかもしれない。

自分だけが無事でいる。その事が激しく自分を責め、苛むのだ。

北川君も同様だった。

この頃は栞さんの姿を見ない。また体調が悪くなって登校できない状態になったのだろうか。

………。

……。

…。

ある日の昼休み、ふと中庭に目を向けると……。

そこには3つの人影。

私服姿の祐一と女生徒、そして……

真琴姉さんそっくりの少女がいた。

祐一が見守る中、ふたりの少女が雪だるまを作り始めた。

やがて女生徒が校舎に戻り、祐一と真琴姉さんそっくりの少女は校門から去っていく。

一体何だったのだろう?

学食に行こうとすると、昇降口から出て行く人影。後姿は褐色の髪の……北川君だった。

早引け……?

その日の夜、北川君は帰宅しておらず、学校に問い合わせの電話がかかってきたらしい。

謎は深まるばかりだった。

 見舞いに通う日々が続く。
 だが、みんな病状は相変わらずであり会話もできない状態が続く。
 祐一も見舞いに現れて、鉢合わせするが口を開く事もなく、ただ病室の前にたたずむだけだった。
 そもそも、僕が視界に入ったとしても認識できる余裕すら無いようだった。
 あゆの事を話そうとも思ったが、今の祐一に話すのはあまりにも酷ではないかと思い、思いとどまる。

 病院の玄関先に北川君が立っていた。
 なぜここに? と思ってあることに気づく。
 この頃は栞さんの顔を見ない。
 もしかして、ここに入院しているのだろうか?
 我がライバルであり、栞さんの姉である美坂香里が彼に話しかけている。
 やはりここにいるのだろう。
 色々と腑に落ちないものもあるが、僕が介入する事ではないと思い、そっとしておく。

         数日後……

この頃はあゆの脳波が覚醒時のソレになる時間が少なくなっていた。

そして、おとといの夜を最後に脳波は睡眠状態のままになっている。

……もう、駄目なのだろうか。

陰鬱な気持ちのまま病院を後にする。

そのとき、北川君と美坂香里のふたりとすれ違う。

ふたりは珍しく笑顔だった。

それが、なおのこと僕を落ち込ませた。

八つ当たりだ。そんな事は判っていた。それでも、それでも……。

………。

……。

…。

         更に数日後。

僕はいたって健康だった。したがって学校を休む理由などなく、普通に登校する日々が続く。

だから今日もいつもどおりの学校生活を営んでいる。

そして廊下を歩いていたときだった。

    「久瀬君、ちょっといいかしら?」

話しかけてきたのは……我がライバル、美坂香里だった。

和弥「…なんだい?」

明るい笑顔。彼女にこれをもたらしたのは……?

美坂「春に生徒会が開催した応急処置の講習会、そのお礼を言いたかったの」

美坂「提案したの、あなたなんでしょう?」

和弥「……そうだけど、それで何で君が礼を?」

美坂「すっとぼけちゃって、あたしの妹は体が弱いって聞いたから、あの子のために開いてくれたんでしょ?」

なぜ知っている? 当事者の美坂姉妹には、何も言っていないはずなのだが。

美坂「もし、学校で妹に何かあったら、そう考えたら適切な知識を持った人が学校にいるのは本当に心強いのよ」

美坂「例え善意の行動だったとしても、手当てのつもりで適当なことされて止め刺されちゃ堪らないわ」

……シビアな考え方だな。

美坂「結局は留年する事になっちゃったんだけど、今度こそ、気休めなんかじゃなくて本当に学校に通えるめどがついたのよ」

美坂「だから、講習会のおかげで安心して通わせられるわ」

そうか。僕の行為は只の自己満足なんかじゃなくそれなりに成果があったのか。

だが、彼女の発言は何かが引っかかった。

……気休めなんかじゃなくて本当に学校に通える?

……!

そうか。栞さんは、僕が想像していたより遥かに過酷な試練に身を置いていたんだな。

和弥「留年は残念だけどこの場合は、おめでとう、と言うべきかな。でも礼を言われる筋合いなんて無いよ」

美坂「どうして?」

和弥「役員選挙のイメージ戦略に妹さんを大いに利用させてもらった。僕の今の地位はその賜物なんだ」

美坂「あら、そうなの?」

和弥「そう。だから、礼を言うのはむしろこっちの方なんだ」

美坂「ふーん…」

和弥「何だ…そのふーんって言うのは。とにかく、君が恩を感じる必要は無いよ」

憮然として言い放つ。

美坂「なるほど、あなたは出世のためなら何でも利用する偽善者だったのね」

和弥「…そういうこと」

はっきり言われるとムッとするが、そういうことなのだ。

美坂「はいはい、そういう事にしておいてあげるわ。ありがとうね、久瀬君」

和弥「しておいてあげるって、本当にそうなんだって」

…頭痛がしてきた。

彼女は何やら勝手に変な美談を想像しているようだ。

美坂「でも、あんたに妹は渡さないわよ?」

…頭痛は激しさを増した。

短絡的だ。男が女に何かしてやるのは全て下心に基づくのか?

和弥「別にそんなつもりは無い…」

美坂「ちょっと、それどういう意味? あたしの妹には魅力が無いって言うの!?」

…頭は割れるように痛む。我がライバルの正体は単なるシスコンだったのか?

美坂「そりゃあ、確かに妹の胸は小さいけど……」

和弥「……あの、もしもし? さりげなく自分の妹にひどいこと言ってないか?」

僕は頭痛を堪えつつ誤解を解こうと弁解しながら、彼女の『止め刺されちゃ堪らないわ』という言葉に昔の事を思い出していた。

あの日、僕は祐一に止めを刺した。

そんな僕に人助けをする資格などあるのだろうか?

        7年前のあの日……
 両親と一緒に夜の病院の廊下にあるベンチに座る。
 遠くのロビーでは、三角巾とギプスで腕を固定された祐一と思われるさっきの少年が、人形のような無表情で座っていた。

 傍には同年代の三つ編みの女の子。
 そして、公衆電話で何かを話している母親らしき女性がいた。
 手術室のランプが消える。だが、僕はあゆに会わされなかった。
 医者の部屋に両親が入り、説明を受けている。
 その間、僕はさっきの廊下のベンチで待たされていた。
 ドア越しに説明を聞くが、内容が難しくて理解できない。
 だが、部分的に聞こえたある話だけは理解できた。
 「雪の上に横たえられていた事で体温が低下し…」
 それが意味する事、それは……。
 あゆは、凍死した。

 何かがこみ上げてくる。
 うまく言葉で表せない、自分の頭の中を激しくかき回す何かが。
 喉の奥に何かが詰まったかのように苦しい。目の奥がチリチリする。胸が痛む。体中を凶暴な何かが駆け回って、それをぶつける対象が欲しくなる。
 その時目に入ったもの。
 祐一だった。
 何かを叫びながら駆け出す。
 そして、祐一を殴り飛ばしていた。
「君が! 君が殺したんだ!」
 倒れた祐一にのしかかり、殴り続けた。

 その時、ドアが開く音が聞こえた。
 それと足音。
「和弥! やめろ!」
 太い腕……父さんの腕で羽交い絞めにされる。
 だが、僕の感情は収まらない。
 身を起こすものの呆然としていて立ち上がらない祐一に更なる言葉を浴びせる。
「君が止め刺したんだ! あんな寒い所に置いていったから凍え死んじゃったんだ!」

「あ……」
 人形のようだった祐一の顔は絶望に満ちた蒼白な表情に変わる。
 僕も少し罪悪感を感じた。だが、僕の中の激情はそれを上回っていた。
 その瞬間、衝撃、それと共に天地が入れ替わる。
 横倒しになった視界に病院の外へと駆け出す祐一の姿が見えた。
 それと共に頬に熱い感覚。それは徐々に痛みへと変化していく。
 父さんに殴られたのは、これが最初で最後だった。
「馬鹿! あゆは生きてる! あの男の子が助けたんだ!」
 父さんはそう言って、祐一を追っていった。

 祐一の傍に居た三つ編みの少女も母親と共に走り出し、夜の病院のロビーに僕ひとり取り残された。
「……」
 僕も、一歩足を踏み出すたびに頬が振動を拾って痛みが走るのを堪えながら雪の街を走る。
 人通りが多いため足跡は判らない。
 祐一に対する怒りはどうしても収まらないのだが、それでも探し続けた。
 謝る、というよりは、むしろ殴り足りなかったのかもしれない。一旦芽生えた激情は、ちょっとやそっとではしぼまなかった。
 相当時間が経っているのか、人通りはほとんどなくなっていた。

 そんな時……
「祐一、祐一っ! しっかりしてよっ!」
 少女の声、その方向を見ると……
 駅前のベンチの上でぐったりとしている祐一を、三つ編みの少女が一所懸命に運ぼうとしていた。

 駆け寄った僕を見た少女は激しく睨み付けてくる。
 だが、僕が祐一の左肩を支えてどうにか立ち上がると、少女も右肩を支えようとする。
 だけど、そっちは怪我でギプスをはめられているため支える事ができず、悲痛な顔をした。
 祐一への怒りはまだあった。だが、この状況ではこうするべきだと判断する道徳は機能していた。
 だけど子供の力では二、三歩も歩けず、僕達を見つけた父さんが祐一を運んだ。
 あの時、祐一の足元に砕けた雪の塊があった。2枚の葉っぱと赤い木の実が印象に残っていた。

 祐一は発熱しており、入院する事になった。
 上着を羽織らず屋外にいたためか、怪我で雑菌に感染したためか、それとも…今日の出来事で精神的に激しいショックを受けたからだろうか?
 つまり、僕が責めたせいなのだろうか?

 我がライバル美坂香里との対話により、祐一に止めを刺した時の事を思い出した同日。
 職員室に行く。
 決戦の夜、献血を募る為に持ち出していた名簿の返却をすっかり忘れていたのだ。
 今頃になってあゆの病室でソレを見つけるとは、僕も相当に参っているようだ。
 そんな事を考えながら、いつぞやの川澄さんのように説教を馬耳東風で聞き流していたら……
   「お母さんが…交通事故!? 嘘…」
 声の方向を見ると、蒼白になった女生徒を祐一が支えていた。
 教師の一人が、ハンガーからコートを取りながら祐一に話しかける。
「すぐ病院に行きなさい。私が車を出す」
 女生徒は呆然としたままだった。
「相沢は、水瀬の親戚で家族だろう? お前がしっかりして水瀬を支えてくれ」
 その教師は祐一の肩をポンと叩き、走って行った。
『相沢は水瀬の親戚で家族だろう?』
 あの女生徒は水瀬という名字で祐一の親戚で家族……
 ……!
 7年前のあの夜、祐一と一緒にいたいとこ、三つ編みの女の子だったのか。
 彼女は、あのときの事をどう受け止めているのだろう?


最終話
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