日本は実に気候に富んだ国です。
 北は亜寒帯、中に温帯を挟んで南は亜熱帯。
 当然、そこに棲む生き物も風土も多種多様であります。
 これはそんな日本の、寒い地方のお話。
 冬には雪がどっかり積もる地のお話です。
 その雪国のどこかに、木の生えることのない丘があるのをご存知ですか?
 その丘はどんな大雪の日も雪が積もらないそうです。
 もし、その丘に心当たりがあると言う方は僕にご一報願います。
 え? そんなおかしな丘が存在するわけないって?
 僕も初めはそう思いました。
 でも、この話を聴けばあなたも信じられると思いますよ。
 これはそんな丘が生まれた理由を伝えるお話です。















About 500 years ago from the 20th century.
Side story of "Kanon"


蹂躙されし不浄の地、ものみの丘


















     1.モノミの見つけたもの

 時は戦国。
 物の怪や神といったものが確かに存在していた頃。
 変遷し、喪失し……。
 そして、人の心から失われつつあった。
 無秩序な時代を人々は嘆き悲しむ。
 だが一方で、それは人々が最も自由だった時代なのかもしれない。
 誰もが、己のためだけに生きていた。


 心地の良いぬくもりを感じ、男は意識の水面へと浮かんでゆく。
 浮かび上がり目を開けると、自分を覗き込んでいる顔があるのに気付いた。
 少し薄い色の長い髪をした娘。
 服装は村娘の質素なものだったが、その割にはあまり泥臭い印象がない。
 どこか、不思議な香りの漂う娘だった。
「あ、生きてる」
「お主は……? 某はここで何を?」
 男は体を起こし、辺りの様子を伺う。
 そして、自分が木の下で倒れていたということを認識した。
 その理由は……。
「はい、これ。いきなり食べると毒だから、アタシと半分こだよ」
「あ、いや。これはかたじけない」
 娘から差し出されたのは、握り飯を油揚げで包んだ奇妙なもの。
 すなわち、今で言ういなり寿司であった。
 男は一つ礼をすると、ゆっくりと無言でそれを口の中へとおさめる。
 未知の食べ合わせに少し不安を感じた男だったが、予想外にそれは美味であった。
 最後に娘から竹筒を受け取り、中の水を一口あおる。
「すまぬ。助かったぞ」
 改めて、うやうやしく礼をする男。
 娘はそれをみて、ころころと笑うと自分の為に取っておいたいなり寿司をぽんと口の中に放り込んだ。
「気にしない気にしない。助けられる人なら助けてやりたいじゃないか。それで、ソレガシさんは何でこんなところに倒れていたんだい?」
「そ……それがしさん。某はソレガシなどと言う名ではない。ちゃんと名がある」
「あ、そうなんだ。じゃあ、ソレガシってのは何?」
「某というのはだな、自分を指して言う言葉だ。そして某の名前は『蜩』という」
「ヒグラシ……? よく似たものだし、ソレガシでいいじゃん。ヒグラシもソレガシなんだろ?」
 姉御肌の口調でサバサバと喋るその娘は、蜩の言った言葉の意味を全く理解していなかった。
 思わず頭を押さえて唸る蜩。
「もうよい。そなたは某の恩人だ。好きに呼んでくれ」
「あ、うん。それでさ、ソレガシさんは何で倒れてたんだい? 刀持ってるところ見ると、山賊に遭ったってことはないだろ?」
 娘の言う通り、蜩は腰に黒い鞘の太刀を一振り携えていた。
 上等のものとは言えないが、それでも賊に襲われたのなら真っ先に奪われて然るべきものである。
「まことに情けない話であるが……」
「うんうん」
「路銀が尽きて食うものがなくなったのだ」
「うわぁ……」
「そんな顔をしてくれるな。情けないのは某自身、一番よく分かっておる」
 空腹で倒れ、自分より年端も行かぬ村娘に助けられたのだ。
 それは男として、大の大人として情けないことこの上ないことだった。
 蜩はこの時、齢にして三十過ぎ。
 当時の年齢で言えば既に初老とも言える年齢である。
「ソレガシさんってやっぱり侍なのかい? 随分強そうだけど」
「いや、よく間違われるが、某は退魔士だ」
「んぐっ、たいま……」
「どうしたのだ? あまりに物珍しくて驚いたのか?」
「え、あ、うん。ま、まあそんなところ」
 一瞬、目に見えて慌てた素振りを見せた娘だが、はにかんで頷いてみせる。
 蜩は娘のおかしな態度に首を傾げながらも言葉を続けた。
「この地には狐の物の怪が棲んでおると聞いてな。もしや仕事にありつけるかもしれぬと踏んで参ったわけだ」
「そ、そうかい。こんな遠くまで大変だったよね?」
「うむ。だが、どうやら見当違いだったようだ。こんなのんびりした村だったとはな」
「あはは、そりゃそうだよ。こんな何も無い村に悪さする狐なんているわけないじゃないか」
「やはりそうか」
 木陰の周りに広がる田畑。
 今日もどこかで国と国が戦をしているかもしれないというのに、それを忘れるほどにのんびりとした情景であった。
 赤く染まり始めた空の下、木陰に座る彼と同じ名を持つ蝉の鳴き声が通り抜けてゆく。
「ねえ、ソレガシさん」
「む?」
「これからどうするんだい?」
 左手を腰に当て、右手を外へと広げてみせる娘。
 ここで、これからどうするのか?
 そんなことを聞かれても、蜩には答えようがない。
 やっとのことで辿り着いた目的地に彼の仕事はなかったのだから。
 彼が困惑していると、娘はその手を取って引っぱりあげた。
「うちにおいでよ。まだろくに動けないんだろ?」
「む、だがしかし」
「大丈夫大丈夫。アンタにはそんなこと出来る体力はないだろ?」
 きしししっ、と拳を口に当てておかしそうに笑う娘。
 どうやらかなりのじゃじゃ馬らしい、蜩はそう思った。
「かたじけない。この礼はいつか必ず」
「ちょっと、やめてくれよ。アタシが好きでやってることさ」
「そういうわけにも行くまい。それでは某は盗人と変わらぬではないか」
「んー、それじゃあアンタがアタシと同じ立場にいる時に、その人を助けてあげてよ。それがアタシへの一番の礼さ」
「それは礼とは言えぬと思うが……」
「そんなことないさ。アンタが助けた人がそのうちアタシを助けてくれるかもしれないだろ」
「この世の中、そんな奇特な者はおらぬと思うが。まあ、そなたがそう言うのなら某はそうしてみよう」
「あっはっは」
 蜩の真面目くさい顔を見て娘がさもおかしそうに笑う。
 むっとした様子で蜩は彼女を睨みつけた。
「何がおかしい」
「あ、ごめんよ。でもさ、アタシの目の前にその奇特な人がいるかと思うとさ。あははは……く、苦しい」
 確かに。蜩は娘への礼として他人に尽くすことを考えていた。
 それはたった今、蜩自身が奇特と称したことだったはずだ。
 存外、困っている誰かに少し手を差し伸べる程度は誰にでも出来ることなのかもしれない。
 ひとしきり笑ったあと、娘は左手を腰に当て、胸を張って言った。
 まったく躊躇いのない口調で。
「少しだけ他人の幸せを願う。それだけで世の中は良くなるってアタシは信じてるよ」
 本当に不思議な娘だと蜩は思った。
 この戦国の世の中、権力者も、名も無き者も皆が自分やその一族のために生きている。
 現に、蜩も手にした太刀で退魔士から山賊へと鞍替えしようと何度も考えたことがあった。
 彼が娘に助けられることなく、ここで野垂れ死んでいたら、着物と太刀を剥ぎ取られて彼の屍骸は野晒しとされていただろう。
 そんな世の中で、彼の目の前の娘は純粋な他人への思いやりを口にした。
 古の高名な聖でもなければ出来ないようなものでもなく、誰にでも出来るたわいも無いことを。
 娘の言ったことは、蜩もその気になれば難しいことでもないはずだ。
「ああ、そうそう。アタシの名前、まだ言ってなかったね」
 蜩の手を引きながら娘がふり返る。
 夕日を背にした彼女は、長い髪が金色に輝いて、豊饒の時を思わせた。
「モノミって言うんだ。あ、変だって思っただろ」
「いや、そんなことはない。変わっているが、良い名だ」
 蜩は表情を変えずにそう言った。
 取り繕う様子も無い、それが彼の本心からの言葉だと分かってモノミは顔を赤らめた。
 何故なら……。
「うん。アタシもこの名前、大好きだ」
 自分の名前が好きだと言えること。
 それは、彼女が自分とその生き方を愛している証であったから。






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