3.モノミの願い

 翌日、蜩はモノミの家の裏にある畑で農作業を手伝っていた。
 眼下にはいくつも水田が広がっており、幾人か畦道を歩く村人の姿も見られる。
「モノミ殿。ふと思ったのだが、お主は一人なのか?」
 雑草を引き抜き、脇へと放り投げながら蜩が訊ねる。
 すると、モノミはきょとんとした面持ちで振り返った。
「そりゃ、アタシは一人さ。二人目がいるなら会ってみたいけどね」
「いや、そうではない。家族はおらぬのかと訊いておるのだ」
「え? ああ、家族……ねえ」
「……すまぬ。気が利かなかった」
 気まずげな反応に、慌てて質問を取り下げる蜩。
 それに対して、モノミは苦笑して土まみれの手を眼前で振ってみせた。
「あ、そんなんじゃないよ。うん、家族はいるんだ。ただ一緒に暮らしてないだけで」
「そうなのか。では家族はどこに?」
「向こうに住んでる。時々会いにいってるよ」
 向こう、と山をモノミが指し示す。
 蜩はそれを山の向こうという意味に取った。
 おそらくは、土地が痩せてモノミだけが別の村に移ったのだろう、と。
 モノミの家と田畑は村の外れ、それもさほど遠くない過去に開墾されたばかりのものだった。
 畑の端には中途半端に残されたままの切り株があり、その先は林となっている。
「そういうソレガシさんには家族はいるのかい? あんまり、そんな感じには見えないけど」
「確かに某は天涯孤独の身ではあるが、何故そう思った?」
 蜩ほど無表情という言葉が似合う男はいない。
 そんな男がさも驚いたような顔を見せたのだからモノミはおかしそうに笑う。
「そりゃ、家族がいるならこんな村の外れで行き倒れたりはしてないだろ?」
「……それも道理だな」
 家族か縁者がいるのなら、名前さえ知らぬ村の外れで倒れることもなかっただろう。
 仕事も行き先のあてもない人間であるという分かりやすい証拠だった。
「あんまり悲しそうに見えないとこ見ると、孤児かい?」
「うむ。応仁の大乱で親を亡くしていたところを修験者に拾われたのだ」
「そっか。戦で親を失ってる人はこの村でもたくさんいるよ」
「都から離れたこんな北の地までか。……一体、こんな時代がいつまで続くのだろうな」


 人の暦にして応仁元年(西暦1467年)、時の足利将軍家と有力守護大名畠山家の両家で後継ぎを巡る争いが起きた。
 事はそれだけに留まらず、それぞれの後継者候補に全国の大名が後見としてついたために争いは未曾有の戦へと発展する。
 戦火は京の都から全国へと燃え広がり、長きに渡る騒乱は秩序を崩壊させた。
 混沌とする世の中において頼れるものは己の力のみ。
 いつしかこの国は明けることのない戦乱の嵐に包まれていった。


「いつか終わるさ。戦のない世の中はきっと来る」
「何故、そう言いきれるのだ?」
 終わることを祈ることなら誰でも出来る。
 だが、モノミは強い意志のこもった瞳で、そう言い切った。
 モノミとはこの世界ではないどこかの理想郷から遣わされた者なのだろうか?
 蜩は一瞬そんなことを思ってしまった。
「みんな余裕がないだけさ。誰かの幸せを少しだけ願うだけで戦なんてしなくて済むだろ?」
「それは確かにそうだが、何百年かかることやら」
 蜩の悲観的な言葉に、一つ溜息をつくとモノミはどかっとその場に座り、空を仰ぎ見る。
「何百年かかってもいい。そのためにアタシ達は命を繋いでるんだ」
「命を繋ぐ? それは、子を成すということか?」
「そうさ。少なくともアタシは、その意味をそうだと考えているよ」
「命を繋ぐ……か」
 ふむ、と腕を組んで考え込む蜩。
 そんな考えも、そんな考えを持った人間にも初めて出会った。
 まるで観念論の理想論なのに、何故か不思議な説得力がある。
 信じて疑わぬ、そんな瞳がそう思わせるのかもしれない。
 少なくとも、武装して己の欲得に溺れている今生の坊主の説法よりは遥かに説得力がある。
「ああ、そうだ。それとさっきのことだけどさ……」
「む?」
「アタシも本当は両親がいないんだ。本当の家族もね」
「何? それでは、お主の家族というのは……」
「そう、孤児の集まりみたいなもんさ。だから親はいなくて兄弟姉妹だけ。皆で里を作って住んでる」
「里だと?」
 そこまで聞いて蜩は不審に思った。
 孤児が集まって里を作っているなどという話は聞いたことがない。
 そもそも里を作るほどの数の孤児が、こんな都から離れた地にいるのものだろうか?
「モノミ殿、そなたは一体……」
「黙っていてもそのうちバレるからね」
 そう言って蜩と顔を合わせるモノミ。
「アタシはね……」
 だが、モノミの言葉はかき消される。
 突如起こった叫び声によって。


「モノミ様! 大変じゃー!」
 血相を変えて一人の男が畑へと駆け寄ってくる。
 背中には一人の男を背負っていた。
「川沿いのとこに住んでる次郎さんじゃないか。どうしたんだい?」
「へ、へえ。それが……」
 次郎と呼ばれた男はモノミの前に来ると、その傍に見知らぬ男の姿があるのに気付いた。
 汚れて破れてはいるものの、明らかに村人より高価な衣を身に纏っている。
「モノミ様、このお人は誰なんで?」
「ああ、その人はソレガシ……」
「某は蜩と申す旅の者でござる。昨日、行き倒れておったところをモノミ殿に助けられたのだ」
 誤まった名前で呼ばれるのはかなわないので、モノミの言葉を遮って自ら自己紹介をする蜩。
 しかも、その言葉には無駄がなく、非常に適確である。
 出番を逃して悔しかったのか、モノミは頬を膨らまして蜩を横目で睨んでいた。
「そうでしたか。あなたもモノミ様のやさしさがよくお分かりになったでしょう」
「それは分かったが、背中の怪我人を放っておいてよいのか?」
 次郎の背中には苦痛に顔を歪めている中年の姿があった。
 蜩にそれを指摘されて、次郎は飛び上がるように驚く。
 どうやら完全に忘れていたらしい。
「い、いけねえ! モノミ様、弥助の奴が蝮(マムシ)に噛まれたんでさ」
「お馬鹿! そんな大変なことを忘れるんじゃないよ。早くそこに寝かせて」
「へ、へえ、すいやせん」
 モノミに一喝され、頭に手を当てながら頭を下げる次郎。
 次郎の年はひょっとしたら蜩以上かもしれない。
 にも関わらず、そんな男がモノミを様付けで呼び、しかも腰を低くしている。
 蜩が二人の関係を図りかねて首を傾げるのも無理のないことだった。
「噛まれた所はどこだい?」
「へえ、それが……」
 呻き声を上げる背中の弥助を地面に下ろし、次郎がごそごそとやる。
 取り出されたモノを見て、モノミは思わず顔をしかめて溜息をついた。
「……こりゃ、また随分大きな蝮だね」
「あっしと並んで茂みに向かって用を足していたら、そこに……」
「ああ、もういいよ。十分状況は分かったから」
「へ、へえ」
「それより、ソレ仕舞っておくれよ。アタシの方がそっちの蝮の毒気に当てられそうだ」
「しかし……」
「服の上からでもいいんだよ。それとも、アタシにソレを触れって言うのかい?」
「へい、分かりやした」
 次郎が慌てて、弥助のモノを出した時のようにごそごそとやって仕舞ってやる。
 モノがひとまず見えなくなってほっと胸を撫で下ろすモノミ。
 そして、呻いている弥助の傍にしゃがみこむと、ゆっくりその手を弥助にかざした。
「それじゃ行くよ」
「お願えします」
 ぼうっと、モノミの手から奇妙な揺らめきが起こる。
 それが弥助の毒に犯された部位を柔らかく包み込むと同時に、弥助の呻き声は収まっていった。
 しばらくの時間を置いてモノミがすっと立ち上がる。
「多分、それで痛みも傷口も治ったはずだよ。何かおかしなところはあるかい?」
「……も」
「……も?」
 苦悶の表情から解放された弥助の発した言葉に、居合わせた一同が首を傾げる。
 だが、次の瞬間、弥助は立ち上がって、あっという間にその場を走り去っていった。
「漏れそうじゃー!」
 という叫び声を残して。
 その様子を見て、次郎が乾いた笑い声を上げる。
「ははは、そういやまだ途中でした、弥助の奴」
「あれだけ元気があればもう大丈夫だね。次郎さんも仕事の途中なんだろ、早く帰りなよ」
「へえ、ありがとうございやした。あっしもそろそろ戻らねえとカカアに怒られやす。弥助の奴には後で礼に行かせますんで」
「礼なんて別にいいよ、アタシが好きでやってることさ」
 次郎はまだ何か言いたそうだったが、彼の妻は村でもかなりの恐妻として通っている。
 事情はどうあれ、仕事をすっぽかしていると思われたら後が怖い。
 次郎はもう一度、深く頭を下げてから元来た道を慌しく駆けていった。


 弥助と次郎が去るのを見届けて、モノミはんーっと大きく伸びをして蜩に振り返った。
「さてと、何から話すべきかな」
「実に大きな蝮だったな」
「ああ、うん。そうだね……じゃ、ないよ! なんてモノ思い出させてくれるんだい!」
 うんうん、と同意して頷きかけたモノミだったが、顔を真っ赤にして首を振ると蜩に怒鳴った。
 覆い隠すように胸元を手で押さえながら。
 その様子を見て蜩の口元に笑みが漏れた。
「ほう、なかなか女子(おなご)らしい恥じらいもあるではないか」
「な、ななな、何言ってるんだい。アタシが言いたかったのは……」
「そなたが物の怪の類であることか?」
「へっ!?」
 今度は胸元を両手で押さえて後ずさるモノミ。
 何かを見透かされるというのが彼女にとって一番心に触れるものらしい。
「なんで分かっちゃったんだい?」
「これでも某は退魔士だぞ。先ほどの力が妖術であるのはすぐに分かった。モノミ殿の好みから察するに、そなたは狐だな?」
「そこまでバレてるのかい。はぁ、退魔士の目ってのはホンモノなんだね」
 溜息をついて、モノミは家に取って返す。
 そして、すぐに戻ってきたその手には蜩の太刀があった。
 モノミは何か悟ったような表情でそれを蜩に差し出す。
 何を意味する行動か分からず、蜩は顔をしかめた。
「それは、何だ?」
「逃げも隠れもしないからバッサリやっておくれよ。それがソレガシさんの仕事なんだろ?」
 小刻みに揺れるモノミの手に握られた黒鞘の太刀。
 真剣な顔をして必死に隠してはいるが、モノミが怯えているのはあからさまである。
 大きな勘違いと隠された感情に気付いた蜩は声を上げて大笑いした。
「はっはっは、モノミ殿は退魔士というものを何か勘違いをされているようだ」
 予想だにしなかった蜩の反応に、呆然とするモノミ。
 そのモノミの手から、蜩は太刀だけを引き抜き天に掲げてみせた。
 光沢のある刀身は陽の光を浴びて、眩いばかりの光を放つ。
 それを見ていると、何故か恐怖も消え失せ、素直に綺麗だと思う自分がいるのにモノミは気付いた。
「この太刀はなモノミ殿、誰彼構わず斬る物ではないのだ。それとも、某が血に飢えた獣に見えるか?」
 ふるふると首を振ってその問いかけを否定するモノミ。
 蜩もそれにゆっくりと頷いてみせる。
「某が斬るのは人に害を為す物の怪だけだ。ただ平穏の中に生きているモノミ殿をどうして斬れよう」
 そこまで言ってから、光を受ける刀身を見つめて蜩は少し物思いに耽る。
 そして、首を軽く振ってから、太刀を下ろしてモノミの瞳を直視した。
「いや。むしろ、そなたのような小さき幸せを願う者の為に振りたいものだ」
「ソレガシさん、アンタは……」
 言葉にならぬ思いがモノミの胸の中を駆け巡る。
 蜩は彼女が触れた中で、最も素朴な、それでいて温かいものをもっていると感じられる人間だった。


 モノミから鞘を受け取り、太刀を収めて路傍の石に立てかける蜩。
「さて、早くこれを終わらせよう。体力が戻るまで、しばらく旅は出来ぬ。この村を少しずつ案内してもらいたいのだ」
 そう言って、また畑にしゃがみこみ雑草と虫取りを再開する。
 無言で黙々と。
 その姿を見ていると、自分を討ちに来た恐ろしい相手などという勘違いがモノミにはとても滑稽に思えた。
「ああ。狭い村だけど、いいところはいっぱいあるんだよ」






進む

戻る




感想いただけると嬉しいです(完全匿名・全角1000文字まで)