4.モノミのとっておき

 囲炉裏を囲みながら、二人は油揚げの握り飯で夕餉を終えた。
 赤く燻る囲炉裏の残り火が二人の顔を朱に染める。
 外は虫や蛙の鳴き声に満ちていた。
 だが、それ以外には何も聞こえない。
 この国のどこかで行われている戦の喧騒も、逃げ惑う人々の悲鳴も。
 静かな、とても静かな夜だった。
「モノミ殿、寝る前に訊きたいことがある」
「何だい?」
「村の者は、そなたが狐であることを知っているのか?」
「知ってるさ。だから皆アタシのことをモノミ様って呼んでるんだ」
「ふむ、この村は稲荷信仰(狐を田の神とする信仰のこと)が盛んであるのか。してみると、モノミ殿はまさに生き神というわけだ」
「まあ、そんなところになるね」
 昼間の次郎とモノミのやり取りを見れば、モノミが村でどのような扱いをされているのか蜩は容易に想像できた。
 神である狐の化身にして、人を救う現世利益も施す。
 少々、品がないかもしれないが、紛れもなく村人達にとっては神だろう。
「しかし、何故に進んで人々に功徳を与えているのだ? 某、そなたのような物の怪に出会ったことはない。能ある鷹は爪を隠すとも言うしな」
「なんか、アタシは能足りんの馬鹿狐って言われてるみたいだけど気のせいかい?」
「いや、すまぬ。言葉が悪かった。某が知る物の怪は、人に害を為すか、さもなくば無関心であるかのどちらかしかいなかったのでな」
 からん、と囲炉裏に薪を一本投げ込むモノミ。
 もうしばらく話が続くことを見越して明かりを絶やさぬようにしたのだ。
「別に、これといった考えがあるわけじゃないんだ。助けられる者が目の前にいるのに、それを見てみぬ振りなんてアタシには出来ないだけさ」
「モノミ殿は相当なお人よしだな。強欲な人間がそなたの力を目当てにやってくるやもしれぬぞ?」
「あはは、それは心配ないさ。アタシに出来るのは小さな怪我の治療とちょっとした解毒くらいだ。強欲な人間がそんな程度で満足できると思うかい?」
 無言で顔を見合わせるモノミとヒグラシ。
 だが、次の瞬間どちらともなく噴き出した。
「それは、確かに無理難題であるな。せめて死人を生き返らせるくらい出来なくては」
「まったくだよ。アタシは不出来な神様だ」
「だが、この小さな村にはそれで十分なのだろう。皆そなたを好いておる」
「ああ、だからアタシはこの村の人たちが好きなんだよ」
「それで、モノミ殿は一人この村に住んでおるのだな」
「うん。まあ、そんなところさ」
 ふむふむと、そんな感じで蜩が相槌を打つ。
 村を案内してもらった時、モノミとすれ違った人々は皆明るい顔をして挨拶を交わしていた。
 それは人と神の関係と言うよりは、頼りになる知恵者への尊敬に似たものだったかもしれない。
「おお、そうだ。一つ頼みたい事があるのだが」
「頼みたい事? アタシに出来る事だったら頑張ってみるよ」
「うむ、それはありがたい。そんなに大した事ではないのだが……」
「うん」
 真剣な顔の蜩につられて、モノミはごくりと息を飲む。
 だが、次に蜩の口から出た言葉にモノミはがくっと肩を落とした。
「狐の姿になってくれぬか? ぬ、何か失礼なことを申したか?」
「真剣な顔してるから何事かと思ったらそんなことかい」
「いや、モノミ殿なら狐の姿も美しかろうと思ってな」
「わぁっ、今度はこっ恥ずかしいことを真顔で言わないでおくれよ」
 呆れ果てたかと思うと、今度は顔を真っ赤にしたり。
 そんなモノミの様子を蜩は微笑ましく見つめていた。
 この男、素朴に見えて意外に意地の悪いところがあったようだ。
「狐の姿になるのは堪忍だ。ここは人里だし、それに……」
「ん? それに、何だ?」
「……人に戻った時に裸になるのが恥ずかしい」
 顔を背けて、もじもじとそう呟いたモノミの姿に蜩は笑いを禁じ得なかった。
 考えてみれば当然である。
 狐の姿になったら今着ている物が体に合わない。
 故に、人間の姿に戻れば一糸纏わぬ状況になる。
 男である蜩を前にそれを恥ずかしがるのは至極尤もなことだった。
「ならば、一部だけでも見せてもらえぬか?」
「一部。うーん、場所によるけど一部なら。でもちょっとだけだよ?」
「うむ、少しで構わぬ。一度この目でモノミ殿が狐である証を見ないことには、俄かに信じられぬのだ」
「分かった。それで、どこを出せばいいんだい?」
「そうだな……」
 少しの思案をおいて、蜩は口を開く。
「尻尾などは駄目か?」
「し、尻尾!? いきなりそんなことを言われてもアタシの心の準備が……」
「何かまずいことを言ったか?」
 異様なまでのモノミの狼狽ぶりに呆然とする蜩。
 蜩がモノミの狼狽ぶりを全く理解できないのも無理はない。
 狐たちの世界においては、尻尾の美しさが外面の美としてもっとも評価される。
 『あなたの尻尾をよく見たい』と言えばそれが婚約の暗示ともなるほどだ。
 しかし、蜩は人間である。
 そのような狐の美的感覚や慣習など知るよしもない。
「ほ、本当に……その、尻尾でいいのかい?」
「いや、尻に近い部位であるからな。些か不躾であったかもしれぬ」
「そんなことないよ。うん、見てくれ。アタシは尻尾には自信があるんだ」
「ふむ、ならばよいが」


 この夜、さっさと眠りに落ちた蜩に対して、モノミが寝付けたのは夜も大分更けてからだった。
 価値観の違いというものは恐ろしくもあり滑稽でもある。
 興奮収まらぬモノミとは裏腹に、蜩はと言えば、これといって目立つ感慨を抱いていなかったのだから。






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