5.モノミの一日

 翌日、モノミと蜩は家の中で藁から縄を綯っていた。
 外の畑仕事は昨日の礼だと言って弥助がやっている。
「あのようなことは、いつものことなのか?」
 一息ついて、外を指差す蜩。
 あのような、とは外で作業をしている弥助のことだろう。
 それに対してモノミは小さく頷いた。
「ああ。手伝いだけじゃなくて、米とか油揚げとか色々」
「なるほど、それで油揚げがあったのか」
「まあね。お供え物からも取ってきてるけど」
「それは……よいのか。お主が供え先の狐であったな」
「そうそう」
 愉快そうに相槌を打って手の動きを早くするモノミだったが、蜩はどうにも釈然としないものを感じていた。
 間違ってはいないにしても、傍から見ればほとんど供物泥棒ではないか、と。
「モノミ様はいらっしゃるか?」
 などと蜩が思っているところに、そんな声と戸を叩く音が聞こえた。
「いるよ。入っておいで」
「御免」
 がらり、と戸を開けて入ってきたのは見るからに屈強そうな男だった。
 刀は差していないものの一目で武士と分かる。


 当時の武士と言えば、今で考えられているような紋付き袴に刀というものではなかった。
 彼らと農民の区別はなく、武士をやるも農民をやるも本人の意思次第。
 無論ある程度財産のある農民でなくては自由にはならないが、それも平和の時代においてのこと。
 戦国の世においては、刀一本を持ち戦場に飛び込んで敵将の首を上げればいつでも成り上がれた。
 武士と農民がはっきり分けられたのは、豊臣秀吉による刀狩と検地という兵農分離政策によるところが大きい。
 もっとも、農民ではない、戦の為だけの武士というものを作ったのは秀吉の主君であった織田信長の功績である。
 武士の専門職化、兵農分離、これらが後の徳川の世で職業選択の自由を奪うことに繋がるわけであるが、それだけに戦国時代は自由のあった時代とも言えるわけである。
 無論、戦乱と隣り合わせの自由は大手を振って謳歌できるものであったかは疑わしいが。


「ええと、確か足軽大将の……」
「郷一郎(ごういちろう)でござる」
「ああ、そうだ。郷一郎さんだ。どうしたんだい?」
 ちらりとモノミの傍にいる蜩の姿を見た後、郷一郎は上着をはだけ、右肩を晒した。
 思わず息を飲むモノミと蜩。
 彼の右肩は大きく、そして青黒く変色していたのだ。
「どうしたんだい、それ?」
「御館様から戴いた馬より落ちたのだ。酷く痛む。モノミ様ならどうにかならぬかと思って足を運んだ次第」
「うーん、これはちょっと難しいよ。治せなくても堪忍してくれるかい?」
「自らの不注意を他人の責任にする気は毛頭ござらん」
「分かった。それじゃやってみるよ」
「かたじけない」
 郷一郎は頭を軽く下げると、どかっとその場に胡座(あぐら)をかいた。
 足軽大将とは分かりやすく言えば、小隊長のことである。
 地位ゆえかどことなく態度が大きいが、然るべき礼儀はちゃんと通している。
 いやむしろ、人を従える立場の人間がおどおどしていたのでは示しがつくまい。
 無頼の輩であれば、身を呈してもモノミを守ろうと考えた蜩だったが、郷一郎がどのような人間かある程度見極めがつき、肩の力を抜いた。


「どうだい? 効いてるかい?」
「わずかに痛むが、かなり楽でござる」
「そうかい。じゃあ、このままもう少し続けるよ。楽になっているならそのうち治るさ」
「それはありがたいお言葉。して、モノミ様。お会いするのは一年ぶりほどだが、夫を迎えられたのか?」
 不審の眼差しで蜩を郷一郎が見つめる。
 脇に置かれた太刀。汚れて所々破れた衣服。
 何より、戦を潜り抜けてきた郷一郎すら背筋が震えそうになる鋭い眼光。
 いや、そんな彼だからこそわかる威圧感なのかもしれない。
「某は蜩と申す旅の者。行き倒れているところをモノミ殿に助けられたのだ」
「左様であったか。蜩殿は流れの剣豪か何かだろうか? よもや山賊などということはないだろうが」
「いや、某は退魔士だ。人を斬ったことはない」
「では、何を斬った?」
「大蛇を三匹、赤鬼と青鬼を一匹ずつ。雑妖までは数えておらぬ」
「鬼と大蛇を……どうりで拙者が及ばぬわけだ」
 深々と溜息をつく郷一郎。
 相手の物腰、鋭い眼光がそれらは嘘ではない真実であることを雄弁に語っていた。
「へえ、ソレガシさんって強いんだね。大蛇はよく知らないけど、鬼ってのはとても恐ろしいんだろ?」
「モノミ様、鬼はそんな軽く語れるものではない。大蛇や鬼を相手にするくらいなら、熊に素手で立ち向かう方がまだマシでござる」
 軽い口調で『鬼』を語ったモノミを郷一郎がたしなめる。
 彼の言う通り、金棒を持った鬼にかかれば熊も瞬殺されることだろう。
 この時代、山の奥に足を踏み入れれば鬼は確かに存在していた。
 妄りに彼らの領域に踏み込んで、命からがら逃げ帰った者の噂は後を断たない。
 人里に降りて暴れた鬼に立ち向かった者は、名の通った強者ですら瞬く間に殺されたとも言われる。
 噂で伝えられるものとはいえ、まだこの時代において鬼は現実に恐怖を覚える妖怪であった。
「確かに鬼は恐ろしい。大蛇もだ。だが……」
「だが?」
「某の斬った大蛇や青鬼赤鬼は、皆泣いておった」
「泣いていた? 鬼がか?」
「いかにも。今の世の中、泣くのは人ばかりではないのかもしれぬ」
 重い蜩の呟きに、その場の空気も重くなる。
 その中で、次に口を開いたのはモノミだった。
「あ、郷一郎さん。やるだけやってみたけど、調子はどうだい?」
「どれ……」
 まだ青みの残る右腕を上げたり下げたりして郷一郎は肩の具合を確認する。
 そして、最後に腕を一回転させてからモノミに頭を垂れた。
「だいぶ楽になったようだ。明日、また頼めるか?」
「ああ。でも、アンタはそのままの方がいいかもしれない」
「む、何故だ?」
「元気になったら、郷一郎さんは戦にも行くんだろ? 死ぬかもしれないし、それにアタシが治したせいでアンタは人を斬る」
「モノミ様、それが拙者の選んだ道であるゆえ……」
 辛い表情を見せて、モノミに何かを言おうとする郷一郎。
 しかし、モノミは首を振ってそれを遮った。
「分かってる。いいんだ、忘れてくれ。ただの愚痴さ」
「すまぬ。明日、モノミ様の好物と聞く油揚げを持参する。それで機嫌を直していただけぬか?」
「別に、怒ってないさ。悲しいだけだよ、この世の中がね」
「失礼した」
 俯いて呟いたモノミから気まずそうに視線を外し、郷一郎は立ち上がる。
 そして、家を出る前に蜩に話し掛けた。
「蜩殿。お主、拙者の部下として御館様に仕えてみる気はござらんか? お主ほどの猛者なら次の戦で御館様の目にも止まるだろう」
「遠慮しておこう。郷一郎殿に仕えるのは吝かではないが、某は人の斬り方を知らぬのでな」
「左様か。だが、お主にはそれが一番よいのかもしれぬ」
 ふふふ、と自嘲するかのように含み笑いをして郷一郎はモノミの家を出て行った。
 それは誘いを断られたことを恥じたものか、人斬りで身を立てる己の生業を恥じたものか、いずれであったのだろう?


 郷一郎と入れ違いに、また別の者がモノミの家へと入ってくる。
 今度は娘と、それに支えられた中年女性の二人組だった。
 娘はモノミと外見の年齢は同じくらいであろうか?
 中年女性の方はしきりに咳き込んでいる。
「紅葉(もみじ)に福おばさんじゃないか。どうしたんだい?」
「あー、モノミ。うちのお母さんがこの調子なんだけどどうにかならない?」
 ごほごほと激しく咳き込み続ける母親の背中をさする紅葉と呼ばれた娘。
 呼び捨てで呼び合っているところは、同い年の娘ゆえだろうか。
 モノミと紅葉は気安く話せる仲らしい。
「言ってるだろ。アタシにどうにか出来るのは怪我と毒くらいだ。悪いけど病気はどうしようもないよ」
「分かってるんだけどね。お母さんがモノミのとこに連れてけっていうもんだから」
「けほっ、けほっ、モノミ様と、けほっ、呼びなさい紅葉、けほっ、けほっ」
 口を尖らせるモノミと、溜息をつく紅葉。
 母親はそんな娘の無礼な口の利き方を叱りつける。
 が、娘は全くそれを意に介してなかった。
「なんでよ。モノミはモノミじゃないか。そんな偉そうなモノミなんて私は嫌だよ」
「この罰あたり! けほっ、けほっ!」
「もうっ。苦しいくせに喋らないでよ、お母さん」
 激しく咳き込んだ母親の背中を紅葉は慌ててさすってやる。
 少々粗野な口調だが、その実なかなかの孝行娘らしい。
「紅葉、お母さんは大事にしてあげなよ。お母さんっていいものなんだろ?」
「あー、はいはい。では、モノミ様、お母さんをどうにかしてくれませんか?」
 改めて、モノミに丁寧な口調で頼み込む紅葉。
 しかし、その口調は完全に棒読みで敬意というものが全然こもってない。
 もっとも、モノミもまったく気にしてない様子だったが。
「もう一度言うけど、アタシには無理だ」
「だったらこんな真似させるなーっ。馬鹿モノミ!」
 柄にもないことをさせられて、怒った紅葉がモノミの頭に軽く手刀を叩き込む。
 叱った母親の方はというと、もはや怒る気力もないのかぐったりしている。
「悪い悪い。でも、もう少しくらいアタシを敬ってくれてもいいじゃないか。これでも神様だよ、アタシは」
「拝んで欲しいの? ああ、私のモノミさまー、とか」
「ごめん、冗談だ。想像して背中が痒くなった」
 母親を忘れてふざけ合っているようだが、二人ともそのことを忘れているわけではない。
 ただ、年頃の娘同士、黙って考え込むというのが性に合ってないだけである。
「ミワナなら何か薬を作れるかもしれないけど、あいつは人間嫌いだしねえ」
「ミワナさんって、モノミのとこの偉い人だっけ?」
「偉いっていうか、うるさいっていうか、アタシも頭が上がらない相手なのは確かだ」
「はあ、それじゃ仕方ないね。うちでゆっくり寝かせとくよ」
「それがいいよ。というか、初めからそうしなよ。アタシは病人は治せないって知ってるだろ」
「でも、お母さんが……」
「それを止めるのもアンタの役目だ。違うかい?」
 厳しい口調でびしっと切って捨てるモノミに何も言えず、紅葉は口をつぐむ。
 だが、次の瞬間、あっけらかんとした様子で、
「まったくだ。モノミの言う通りだよ。邪魔したね」
 と言って、家を出て行こうとした。
 が、戸の前で慌てて後ずさる。
 入ってきたのは、いつの間にか家を抜け出していた蜩だった。
 そして、蜩はいつも通りの無表情で手にした植物を紅葉に差し出した。
「煎じて飲ませてやるとよい、咳止めに効果のある薬草だ」
「へ? ああ、どうも……」
 きょとんとした様子で薬草を受け取る紅葉。
 蜩はそれ以上何も言わずに、もといた家の奥へと戻っていった。
「誰なんだい、あの人? 来た時にもいたような気がするけど」
「ああ。ソレガシさんって言って、この前うちの近くで倒れているのを介抱したんだ」
「へえ、ソレガシさんっていうのか。変わった名前だね」
「蜩だ」
 ひそひそと顔を寄せ合って話す娘二人に、蜩の武骨な声が飛ぶ。
 だが、モノミはもとより、この紅葉という娘も一筋縄ではいかない娘だった。
「ヒグラシ? よく似たもんだしソレガシでいいじゃん。うん、ソレガシさんに決定」
「あ、紅葉もそう呼んでくれるのかい? アタシ以外みんなして、ソレガシさんのことをヒグラシヒグラシって呼ぶから不安になってたんだ」
「ヒグラシは夕方に鳴く蝉の名前に決まってるだろ? だからあの人はソレガシだ」
「ああ、そうか。なるほど。紅葉はやっぱり頭がいいね」
 ……モノミが二人に増えた。
 家の奥で再び縄を綯いはじめた蜩は頭痛を感じずにはいられない。
 女三人寄ればかしましいと言うが、年頃の娘は二人でも十分にかしましいものだ。


「そう言えばさ、今年はモノミの季節だね」
 ふと、紅葉が言った言葉に、モノミの顔がみるみる明るくなる。
「ほんとかい? 去年に続いて、ミワナ達も喜ぶよ」
「あ、今年も里の人達呼ぶんだ」
「そりゃそうさ。皆、お祭りみたいに楽しくて賑やかなの大好きだからね」
「へえ。私はモノミの踊りを楽しみにしてるよ」
 きゃいきゃいはしゃいでいる娘二人に、再び武骨な声が飛ぶ。
「紅葉殿と言ったな。母を連れて帰らなくてよいのか?」
「えっ? あっ……」
 慌てて肩を貸している母親の様子を覗き見る紅葉。
 だが、その時既に母親はだらりとその体を娘に預けて……すやすやと眠っていた。
 一瞬、最悪の事態を想像して怯えた表情を見せた紅葉だったが、母親が眠っているだけだと気付くと、照れ笑いを浮かべてぺしっと自分の頭を叩いた。
「あちゃあ、昨日の晩からずっと咳してて寝てなかったから、疲れて眠っちゃったみたいだよ」
「早く家で休ませてあげな。ソレガシさんの薬草を飲ませてからね」
「ああ、色々ありがとうね。モノミ、それとソレガシさん。ほら、お母さん行くよ」
 ううーん、むにゃむにゃと足元の覚束ない母親に肩を貸して、紅葉とその母親が二人に背を向ける。
 だが、その時、何かに気付いた蜩が紅葉を呼び止めた。
「紅葉殿、少し待たれよ」
「へっ?」
 紅葉がふり返るのと、太刀を抜いた蜩が紅葉に斬りかかるのは同時だった。
 驚いたモノミが叫び声を上げようとするも、その声より蜩の動作は早い。
 一瞬、まさに一瞬の内に銀の残光が紅葉めがけて走った。
「祓い料はいらぬ。母を大事にな」
 カチリ、と太刀を鞘に納め元いた場所へと戻っていく蜩。
 何が起こったのか、全く理解できない他の者の時間が戻ったのは、蜩が腰を下ろしてからだった。
「紅葉、大丈夫かい? ソレガシさん、アンタいったい何を!?」
 モノミが紅葉の体を揺さぶると同時に、家の奥隅に座っている蜩に怒鳴りつける。
 いきなり友人に斬りかかるとは、俄かには現実であると信じられない行動だった。
 だが、揺さぶられた当の紅葉はというと、斬られた背中ではなく、腹をさすってしきりに首をかしげている。
 そして、ポツリと呟いた。
「あれ? この前から続いてた腹痛がなくなったよ」
「え?」
「餓鬼が憑いておったのだ。居座られると厄介なので、早いうちに斬っておいた」
 餓鬼とは一種の悪霊であり、これに取り憑かれると体に変調をきたす。
 飢えて死んだ者の霊とも言われ、憑かれた者は激しい空腹に襲われて、最悪の場合には餓死する恐れもあるという。
 鬼や大蛇と比べると、取るに足らない雑妖ではあるが、飢えと隣り合わせの農村では十分に恐ろしい妖怪であった。
 ちなみに、モノミに見えなかった理由は、よっぽど人間の生活に慣れすぎていたか、精神鍛錬が足りていなかったかのどちらかだろう。
 そもそも一言で妖怪と言っても、ただの人間にでも見える鬼や狐をはじめ、修行を積んだ退魔師ですら気配を感じられない小さな雑妖までと幅が広い。
 今、蜩が斬った餓鬼も、彼がなんとか存在を知覚できる程度の小さなものだった。
「ありがとう、ソレガシさん。おかげで気分がよくなったよ。それにしても、アンタは何者なんだい?」
「某の本業は退魔士だ。旅の傍ら、薬草の知識もいくらか持ち合わせておるがな」
「た、退魔士!? モノミ、アンタ早く逃げ……」
「早まるでない。某が斬るのは人に害為す物の怪だけだ。世話になったモノミ殿に刃を向けはせぬ」
「そ、そうなんだ。ほっとしたよ。それに、薬草もお祓いも、本当にありがとう」
 早合点を恥じているのか、少し小さくなる紅葉。
 そのままくるりと背を向けて家の外へ……。
 と、思うと、一旦出てから何を思ったのか再び引き返してきた。
「そうだ、モノミ。外で弥助さん見て思い出したんだけど……」
「弥助さん? 弥助さんがどうかしたのかい?」
「ああ。昨日から弥助さんのことを『大蝮の弥助』ってみんな呼んでるんだけど、何か知らないかい?」
 その言葉を聞いた瞬間、モノミの顔があっという間に真っ赤になる。
 家の奥で蜩が僅かに含み笑いを漏らしたのはご愛嬌。
 僅かの間を置いて、モノミの足元に敷かれた藁が一束ほど紅葉に向かって飛んだ。
 それは止まることなく、次から次へと投げつけられる。
「紅葉のバカーーッ!」
「な、何!? いったい何なの!?」
 わけが分からないまま母親を引きずって逃げ出す紅葉。
 大蝮と噂される弥助は、そんなことは露知らず、家から飛び出す母娘の姿を畑から見て何事かと首を傾げるばかりだった。






進む

戻る




感想いただけると嬉しいです(完全匿名・全角1000文字まで)