6.モノミの里

 いつしか、村外れのモノミの家には怪我人だけではなく病の者も足を運ぶようになっていた。
 それというのも、蜩という薬に知識を持った居候がいるからである。
 また、悪霊もその太刀で祓ってくれると村人の蜩に対する思慕は日増しに高まっていった。
 半月ほどで、蜩は蜩様とはいかぬまでも、先生や旦那という名で呼ばれるようになった。
 もっとも、全く態度を変えぬ者もいたのだが。
「あ、ソレガシさんどこに行くんだい?」
 他でもない、彼を拾ったモノミである。
「少し、裏の山道を見てこようと思う。どこにどのような薬草があるか把握しておきたい」
 既に諦めたのか、慣れたのか、蜩はソレガシという呼び名に抵抗を覚えなくなっているようだ。
「蝮に気をつけなよ」
「うむ」
 頷いてそのまま家の裏にある獣道同然の山道に入っていこうとする蜩。
 慌ててモノミがそれを呼び止めた。
 家から持ってきた蜩の太刀を片手で大きく掲げて。
「ちょっとちょっと。これ持ってかないでいいのかい?」
「構わぬ。この身なりでそのような物を持って山道を行くと、隠れ歩いている落ち武者と間違われかねん」
「そういうものなのかい。まあ、とにかく気をつけなよ」
 無言で頷いて、蜩は山道へと消えていった。
 しかし、その選択を後悔する羽目になろうとは、この時の蜩にどうして想像できよう。
 彼の失敗は、相棒である太刀をモノミと二人っきりにしたことだった。


 数刻後、蜩が山道から戻ってくると、畑にいるはずのモノミの姿がない。
 不思議に思って回りを見回すも、やはり見当たらない。
 家の中を覗いてみるが、そこにもいない。
 戸の前で腕を組み、モノミの行方を考えていると、カサリと草の擦れる音が聞こえた気がした。
 家の裏からである。
 迷わず蜩はその音の方へと歩を進めた。
 すると、家の裏にモノミがいたではないか。
「こんなところにおったのか。どうした、何か様子が変だぞ?」
「や、やあ、ソレガシさん。おかえり」
 蜩が歩み寄る。モノミは後ずさる。
 歩み寄る。後ずさる。歩み寄る。後ずさる。
 どこからどう見ても挙動不審、蜩を避けていた。
 何か顔についているのかと思い、蜩は自分の顔を少し手で拭ってみるも、手につくのは汗ばかり。
 体を見回しても特に変わった様子はない。
 となると、原因はモノミ自身にありか?
 そう思ってモノミの様子をしげしげと観察する蜩。
 よく見ると明らかにおかしい。
 両手を後ろに回して、まるで何かを隠しているようではないか。
 何も言わず、その両手が背中に回る部分を凝視する。
 だらだらと、心地よい汗とは真逆のものがモノミの額から流れた。
 そして、時の経つ事、今の時間にして五分ほど。
 先に音を上げたのはモノミだった。
 その場に土下座して、背中に隠していたものを前に並べる。
「……ごめん」
 それは、刃の根元から折れた蜩の太刀とその鞘だった。
「鬼も斬れるっていうから、岩も斬れるのかと思って試してみたんだ。そしたら……」
 蜩の太刀は、名のある太刀でも、名のある名工が打った物でもない。
 戦場跡に落ちていた物を拾っただけである。
 いや、例えどんな名刀であっても、岩を叩けば刃毀れし、折れるのは必定であろう。
 蜩が法力を込めて、初めて鬼をも斬れる太刀となるのである。
 そもそも鬼や悪霊等、魔に属するものに格段の切れ味を持つわけであって、岩を斬るなど蜩にもどだい無理な話だった。
 それをモノミが何の考えもなく試したと言うのだから呆れるより他ない。
 ふう、と一つ溜息をついて蜩は土下座をするモノミの前に膝をついた。
 そして、小刻みに震えているモノミの頬に手を伸ばす。
 指が肌に触れた瞬間、モノミはびくっと大きく震えて思わず顔を上げた。
 だが、怒りに満ちていると思われた蜩の顔はそこにない。
 代わりに、モノミが見たのは、
「怪我はなかったか?」
 彼女を労わる蜩の姿だった。
 咎められるとばかり思っていたモノミは、あまりの意外さに目をぱちくりとさせる。
 だが、蜩の問いかけを理解して、小さく頷いた。
「そうか、ならばよい」
 蜩はそれだけ言うと、折れた太刀を掴んで立ち上がる。
 そして、モノミが呆然と見守る中、蜩は家の裏の誰も通らないであろう場所に穴を掘ってそれを埋めたのだった。
 最後に、今までご苦労だったと弔うかのように、目を閉じ両手を合わせて黙祷を捧げる。
 普通、刀にこのようなことをするのは考えられない話である。
 だが、蜩の太刀は今まで何匹も魔に属するものを斬ってきた太刀。
 然るべき供養をしてやらねば、それ自体が怨念の器となって妖怪変化となる恐れがある。
 退魔士ゆえの気遣いと、慣れ親しんだ物への感謝を示す行動であった。
 ふと、袖に何かが触れるのに気付き、蜩が横を見る。
 すると、そこには蜩の側で同じように黙祷を捧げているモノミの姿があった。
 それは太刀を折った事を、太刀本人に謝罪しているかのように見える。
 視線に気付き、顔を上げたモノミは蜩と見つめあい、お互いに何度か目配せして頷きあった。
 最後に、同意が成立したのか、二人同時に頷き合って蜩が立ち上がる。
 そして、蜩は道端にあった鍋大の石を持ってきて、太刀の埋められた場所の上に乗せたのだった。
 二人、今度は墓石に向かって黙祷を捧げる。
 二人だけの静かな時間が、ゆっくりと流れていった。
 折りしも、秋の訪れを告げる涼風が僅かに吹き始める。
 そんな盆の午後。


 どれだけの時が過ぎたであろうか?
 モノミと蜩はどちらともなく立ち上がった。
 顔を見合わせるも、何から話すべきなのかお互い言葉に窮し話にならない状況。
 それを破ったのはモノミだった。
「ねえ、ソレガシさん。刀、ないと困るんだろ?」
「困る。退魔業を廃業せねばならぬ」
「あ、アタシ的にはその方がありがたい……かな?」
「む、何故だ? 某、モノミ殿を斬る気は毛頭ござらん」
「いや、その……やっぱり、その魔の側にいる者としたらさ、どーも腰が引けちゃうんだよ。退魔って言葉聞くとさ」
 おっかなびっくり、手振り身振り交えて話すモノミの姿に、蜩は思わず含み笑いを漏らした。
 それを見て、少々ムッとした様子のモノミ。
「あっ、何で笑うのさ。なんか、今のはいい感じしなかったよ」
「いや、すまぬ。いつものモノミ殿に戻ったと思うとおかしくてな」
「いったい、アタシはどんな目で見られてるんだか」
 はぁ、と腰に左手を当ててモノミが大仰に呆れてみせる。
 それがおかしくて、蜩はますますもって笑いが止まらないのだった。
「訊きたいか?」
「遠慮しとくよ。世の中知らないほうが幸せってこともあるだろうからね」
 とぼとぼとモノミは蜩が今朝足を踏み入れた山道の前へと歩いて行く。
 蜩もつられて足を運んだ。
「新しい刀のあてならあるよ。いるならついて来てくれ」
「何? そんなところにあると申すのか?」
「ああ、アタシの里、つまり妖狐の里だね。そこにいい刀があるんだ。来るかい?」
 少々腕を組んで考え込む蜩。
 新しい刀はまた戦場跡ででも拾うか、郷一郎にでも頼んで労役と引き換えに古い物を譲ってもらおうかと思っていた。
 しかし、どちらも確実に刀を得る方法とは言い難い。
 そこに来ると、モノミの申し出は渡りに舟ではある。
 だが、モノミはともかく蜩は人間である。
 里に暮らす狐の物の怪、妖狐からしてみれば望まぬ訪問者である可能性も高い。
 人間の領域を侵す者を斬ってきた身としては、それは斬られる側に回ってもおかしくない侵害行為だ。
 とはいえ、誘っているのは他でもないその妖狐のモノミである。
 客人として堂々と入ってもいのかもしれない。
 むしろ、モノミの里がどのようなところなのか、蜩は純粋に興味が湧いた。
「案内に与(あずか)ってもよいか?」
「ああ、もちろんさ。そうでなきゃ、アタシはソレガシさんに顔向けできないよ」
 ちらりと、先ほど作った墓を見てモノミはそう言った。
 替えの刀を渡したいというのは、彼女なりに反省しているということだろう。
「では、案内に与るとしよう」
「うん。是非与ってくれ。ソレガシさんにはそろそろ里を案内したいと思ってたところだったんだ」
 嬉しそうに頷くと、モノミは軽い足取りで山道へと入っていく。
 そこらの道でも歩くかのように無造作に山に分け入る姿は、彼女が狐である故だろうか?
 山道の奥から振り返り、小さく飛び跳ねながら手招きする姿が蜩にはどことなく滑稽に思えて、自然と口元が緩むのだった。


 妖狐の里は蜩が想像していたほど人間離れしたものでもなく、また人里離れたものでもなかった。
 村で見かける藁葺土壁の家ではなく、倒木を組んで建てた小屋、あるいは洞穴が家とされているらしい。
 それらが、ちょっとした広場を中心に周りを囲っている。
 規模からして、里に住む者の数は三十から多くても五十足らずだろう。
 しかし、おかしい。
 妖狐の里に入ってから蜩はそう思わずにはいられなかった。
 モノミから替えの刀をもらうために里に案内されたはずである。
 ならばどうして、二人して里の外周を忍び足で歩いているのか?
 おまけに、里はしんと静まり返っていて人が棲んでいるという形跡はあれど人の気配がない。
 おそらくは住人がどこかに出かけているのだろう。
 そんな人気のない里を忍び足で歩く、その行為が何を意味するか?
 疑うまでもなく盗人である。
「なあ、モノミ殿」
「な、なんだいっ!?」
 抜き足差し足でおっかなびっくり先頭を歩いていたモノミが、びくぅっとそれはもう分かりやすいくらいに飛び跳ねる。
「先ほど、山道を抜けた先に館を見かけたのだが」
「あ、ああ。坪内様のお城だね。郷一郎さんの主人でこのあたりの領主様さ」
「ふむ、あれがそうであったか。モノミ殿の家は丁度山を挟んで城の反対側にあるのだな」
「うん。そういうことになるね。そしてこの里が山道から脇に入ったところにあるってわけさ」
 現在で城というと、石垣天守閣の豪勢なものを想像する人が多いだろう。
 しかし、当時の城は今でいうところの砦という表現が近いもので、見張り台等がついた防備に特化した館という様相のものがほとんどであった。
 当然、攻めにくく守りやすい場所を立地条件とすることが多く、坪内なる領主も小山の中腹に山城を構えていたようだ。
 もっとも、蜩がそんなことに気付かないほど浮世離れした人間であるわけがない。
 あくまで今の問いかけは次の質問のための布石に過ぎなかった。
「して、そのご領主殿の罪人に対する仕置きはいかほどなのだろうか?」
 ぴくくっ、と狐の耳まで出してモノミが激しい狼狽を見せる。
 顔は平然を装っているが、よく見るとだらだらと脂汗が浮かんでるではないか。
「それはおっかないお方さ。坪内鬼六、またの名を鬼坪。名前だけで分かるだろ?」
「ふむ、それはさぞかし盗人には厳しいだろうな」
「あはははは……アタシが盗人なわけないじゃないか」
「そんなことは誰も申しておらぬが?」
 完全に棒読み、しかも自分が盗人であると自白までしている。
 見事に蜩の誘導尋問に引っかかっていた。
「あっ、モノミさまだ」
「ほんとだ、モノミさまー」
 なにやら可愛らしい声が聞こえたかと思うと、ててててっと二つの小さな影が洞穴から飛び出してきた。
 小さな二匹の子狐である。
「サナ、ウル……アンタたちいたのかい」
 元気の良い二匹に対して、モノミはというと、ますますばつの悪そうな表情をしていた。
 盗みに入って第三者に見つかれば気まずいのは当たり前だろう。
「帰ってきたんだ。ねえねえ、おみやげの油揚げは?」
「あっ、ウルにも!」
「ごめんよ、今日は持ってきてないんだ」
「ざんねん……」
「あれ? この人はだれ?」
 元気いっぱいの二匹は、物珍しそうに様子を伺いながら蜩の周りを歩き回る。
 蜩と顔が合うと、怯えるどころか口を開けてぴょんと飛び跳ね、にぱっと微笑むような仕草を見せて愛嬌を振りまいていた。
 蜩としてもそんな二匹に悪い気はしない。
「この二匹は何なのだ?」
 しゃがみこんで、二匹の頭を撫でてやりながらモノミに訊ねる蜩。
 その様子に平静さを取り戻したのか、モノミは落ち着いて答えた。
「左の女の子がサナ。右の男の子がウル。同い年の若い妖狐さ。まだ人の姿にはなれないけどね」
「ほう、妖狐も子供は元気なものだな」
 二匹は姿勢よくお座りをして首を右に左に振りながら蜩とモノミを交互に見ている。
 やはり、その動作は何かと愛くるしい。
 ふと、そこでモノミが何かを思いついたのか、にやっと口元を緩めた。
 それを見た蜩は直感した。
 何か悪知恵を思いついた顔だ、と。
「サナ、ウル。里のみんなはお出かけ中かい?」
「うん、みんな畑と狩りにいってる」
「あ、でも。ミワナさまはおうちにいるよ」
「あちゃあ……ミワナが残ってるのかい。こりゃ、厄介」
「やっかい?」
「ミワナさまが邪魔なの?」
「あ、いやいや。こっちの話だよ。二人とも、ミワナに東から猪が迫ってきてるって大急ぎで伝えてくれないかい」
 きょとんと、お互いの顔を見合わせるサナとウル。
 どうやら、常に二人一組の仲良しらしい。
「東から?」
「いのしし?」
「そう、凶暴な猪さ。急いで西に逃げろって言うんだよ。ミワナにちゃんと伝えたら油揚げをたくさんあげるから」
 油揚げ、と聞いた瞬間、二匹の眼の色が明らかに変わった。
 モノミ以上に油揚げに目がないようだ。
「うん、行ってきまーす」
「ウルもー」
 たたたたっと西に向かって全力で走り去って行く二匹。
 そして、里で一番大きな木組みの家へと入っていった。
 モノミの計算では、二匹から火急の知らせを受けたその家の住人が慌てて更に西へと逃げていくはずだった。
 ところが、家から出てきた人物は大慌てで逃げるどころか、モノミ達のいる東側へと向かってくるではないか。
 しかも、その両手には尻尾を掴まれて宙ぶらりんにされたサナとウルの姿がある。
「げっ、まずい。逃げるよソレガシさん」
 慌ててくるりと背を向けるモノミ。
 だが、蜩にその肩をがっしりと掴まれて逃げることができない。
 恐る恐る蜩の方へとモノミが振り返る。
 蜩の顔からは、まったくもって慈悲というものが読み取れなかった。
 当たり前である。ここで逃げたら彼も盗人の片棒を担ぐ羽目になるのだから。
 必死に逃げようとするモノミだが、蜩の力は強く、肩を掴んだ手は解ける気配が全くない。
 そうしているうちに、後ろからずんずんと明らかに怒りの混じった足音が迫ってくる。
 そして、それはモノミの真後ろまで来て止まった。
「モノミ様、何をしておいでですかな?」
 びくぅっと、またも狐の耳を出してモノミが体を振るわせる。
 ゆっくりと振り返った顔は引きつって、ぴくぴくと小刻みに震えていた。
 が、彼女を呼び止めた老人、真っ白の髪と髭を伸ばしっぱなしにした仙人然の男は、こめかみに血管が浮き出るほどに怒っていた。
「や、やあ、ミワナ。元気そうでなにより。猪から逃げなくていいのかい?」
「まだまだ年はとってないつもりでしてな。猪ごとき私が成敗してくれようと参ったわけです」
「あ、あはははは」
「ふぉふぉふぉ」
 引きつった笑い声を上げるモノミと、何かを押し殺すように低い声で笑うミワナと呼ばれた老人。
 一見、非常に微笑ましい光景だが、蜩は心の中で合掌せずにはいられなかった。
 なぜなら、それはいわゆる嵐の前の静けさというものだから。
「百年早いわ小童ども!」
「ひゃっ!?」「わっ!?」「あいたっ!?」
 ミワナの両手からモノミの顔面目掛けてサナとウルが投げつけられる。
 三者三様の悲鳴が里に響いた。


 ミワナの家に半ば引きずり込まれるような形で連れていたれたモノミと、その後について行った蜩。
 家の中は広く、色々小物が置いてあったが、何より目を引くのは奥の祭壇に飾られている刀である。
 おそらくモノミが盗もうとしていたのはその刀だったことは蜩にも容易に想像できた。
 そして、それがその里の宝のようなものであるということも。
 ミワナと呼ばれた老人は、むすっとした顔でモノミにこれまでの経緯を話させた。
 蜩とモノミの出会い、蜩がどういう人間であるか、そしてどうして今日ここに連れてきたのか。
 終わりまで彼は何も言わず黙って聞いていた。
 何度も足を組み直して落ち着かないモノミとは裏腹に、まったくぴくりとも動かない正座。
 ミワナはまさに、神がかり的な仙人を思わせる男だった。
 そして、モノミの話を最後まで聞き終わると、彼はくわっと目を見開いて言い放った。
「まったく、呆れて物も言えませんわ!」
「言ってるじゃんか。しかも叫んでるし」
 ぶーたれるという言葉がぴったりの、子供のような突っ込みをモノミが入れる。
 だが、その言葉はミワナの何かを切れさせた。
 モノミと並んで座っていた蜩にプツンという音が聞こえたくらいに。
「あれが里長のなさることですか! 仮にも神である者のなさることですか! 堂々と渡せば良いものを、こともあろうか盗人のような真似をして」
「はいはい、分かったよ。反省してる」
「その欠伸がモノミ様の反省ですか! ああもう、嘆かわしい」
「そうは言うけどさミワナ。アタシがアンタに説明して、それでアンタは納得してくれたのかい?」
「話を聞いてから考えます」
「嘘つくんじゃないよ。人間にあの刀をあげるなんてアンタが許すわけないだろ」
「ぐ、むむ。減らず口を……」
 服の裾を掴んで髭と眉毛をピクピクさせるミワナ。
 図星と怒りの両方だろう。
 だが、そこで不真面目な態度で受け流していたモノミが一転、真剣な顔をしてミワナを見つめる。
「悪かったよ。だけど、ソレガシさんだから渡してもいいって思ったんだ。そんな刀、アタシ達には必要ないだろ?」
 お互いしばらく無言のまま時間が過ぎる。
 やがて、外にざわめきが聞こえたところでミワナが口を開いた。
 ゆっくりと、物静かに、彼本来の落ち着いた声で。
「里の者が帰ってきたようですな。モノミ様、せっかくですから顔を見せてやって下さい」
「ああ、それじゃソレガシさん」
「いや、ソレガシ殿とは二人で話したいことがあります。むさ苦しい話でもよろしければモノミ様も同席されて構いませんぞ」
「えっ? いや、いいよ。うん、二人っきりで仲良くやってくれ」
 顔を引きつらせると、モノミは慌ててミワナの家から飛び出していった。
 どうやら、ミワナという人物はモノミの天敵であるらしい。


 モノミが家を出て行き、家の中に静寂が訪れる。
 ミワナは溜息を一つ吐いた後、蜩にその視線を向けた。
「我々のモノミ様がご無礼を働いたようで、まことに申し訳ない」
「いや、無礼などととんでもない。モノミ殿は某の命の恩人でござる」
「それでも……他人に盗人の片棒を担がせるのはいかがなものかと存じます」
「う、む。それもまあ、某を気遣うが故のこと」
「それはそれ。これはこれでございます」
 モノミに怒号を飛ばした時とは打って変わって丁寧な物腰のミワナの態度に蜩は少々拍子抜けする。
 前に紅葉が彼の名前を口に出していた時、モノミは彼のことを『人間嫌い』と言っていた。
 しかし、蜩が今目の前で相対している人物からはまったくそのような気配は感じられない。
「改めて、自己紹介いたしますかな。私はミワナ。モノミ様不在の間、里を任されている老骨でございます」
「某は蜩と申す退魔士でござる」
「ふむ。ソレガシ殿ではなく、蜩殿ですな。どうにもおかしいと思っておりましたが、モノミ様の勘違いですか」
「いや、モノミ殿は本気で某の名をソレガシだと思っておる」
「やれやれ、それはまたとんだご無礼を」
 二人顔を合わせて苦笑いする蜩とミワナ。
 モノミとミワナの関係とは裏腹に、この二人は随分気が合うようだ。
「蜩殿は、モノミ様の人里での生活のこと、どう思われる?」
「そうだな。少々粗野ではあるが、村人もモノミ殿を好いておる。初めは驚いたものだが、あれはあれでよいのではないだろうか」
「左様でございますか」
 深々とミワナが皺だらけの顔で頷く。
 だが、蜩はその顔が明らかな悲しみに満ちていることに気付いた。
 いや、気付かずにはいられなかった。
 それは彼が今まで何度も見てきた顔であったから。
「ミワナ殿、何故そのような悲しい顔をされる?」
「は? 悲しい顔、ですと? この私が」
「いかにも。世を儚んでいるような、そんな悲しい顔だ」
 蜩に言われたことがよほど意外だったのか、自らの目に手を当ててみるミワナ。
 その目には、かすかにではあるが涙が滲んでいた。
 それで彼は自分が悲しんでいたという事実を認識する。
「は、はは。これは見苦しいところをお見せした。年を取ると涙もろくなっていけませんな」
 照れを隠すようにミワナが苦笑いしてみせる。
 だが、蜩はそれに対して首を振った。
「違うのだミワナ殿。お主も物の怪なら、何か心当たりはござらんか?」
「と、申されますと?」
「某、これまで妖怪を何匹も斬ってきたが、この十年ほど某が斬った妖怪は皆ミワナ殿のような顔をしておった」
 それを聞いたミワナが押し黙る。
 そして、真剣な表情をして何かを考え込んだかと思うと、おもむろに立ち上がった。
「それは……消えゆく者の悲しみかもしれませんな」
 格子の側に歩み寄り、ポツリと呟くミワナ。
 その視線の先では、サナとウルが広場を駆け回っていた。
 楽しげな歓声は家の真ん中で胡座をかいている蜩にも聞こえ、それが先ほどの元気な子狐二匹のものだと分かる。
「あの子達を見ていると、とてもそうは信じられませぬが……我々は急速に滅びへと向かっておるのです。おそらく、それは我々妖狐だけでなく他の物の怪もでしょう」
「何故?」
「人が神を崇めなくなったからでしょうな。我々物の怪というものは神、もしくはその眷属でございますから」
「だが、今も神社仏閣ではちゃんと祀られているぞ?」
「あのようなもの。人が手を合わせる先に何が見えているかが問題なのです。今の人間、心から拝むのは神に対してですかな? 己の為ではありませぬか」
「某は……」
「分かっております。だが、蜩殿のようなお人がいまや稀有なのです」
 否定のしようがなかった。
 かつては神の為にと、戦にすら神の影があったという。
 しかし、蜩の生きる戦国の世はどうだ?
 人は神のためでなく、ただ純粋に自分の為だけに戦をする。
 僧ですら、口では信仰を唱えながらその実自分の為に戦をしている。
 一事が万事、この国からは本当の意味での神というものが確かに人の意識の隅へと追いやられていた。
 いや、もはやそんなものを全く信じていない者すらいるだろう。
 覇道に生きる者、世に絶望する者。
 形は違えど確かに神はこの国から姿を消していっていた。
「かつて、神は下らずとも人は神を畏れ敬いました。ですが、今は神の側から人の元に出て直接恩恵を与えるのが正しいのかもしれません。あのモノミ様のように」
「む? 前々から思っていたのだが、モノミ殿は何か特別なのか?」
「おや? ご存知でなかったのですか?」
 これは驚き、と言った様子で窓から離れて振り返るミワナ。
 そして、再び蜩の前へと鎮座した。
「モノミ様はこの地域の神。人の言葉で言うと土地神様であらせられます」
「土地神……あのモノミ殿が……」
 呆然とする蜩の顔を見てミワナが笑い出す。
 それは自嘲と可笑しさ表裏一体の笑いだった。
「ほっほっほ、信じられないのも無理はありませぬ。あそこまで呑気に御姿を晒し、尚且つじゃじゃ馬な土地神など私も聞いたことがありませんからな」


 土地神とは、その地方に生きるものに恵みを与えると信じられる神のことである。
 特に、豊作や商売繁盛を願う農民や商人にとっては最も縁が深い神と言えるだろう。
 地方によって、猫であったり鯉(滝を登って竜になると信じられていた)であったり狐であったりと、伝えられるその姿は様々だが、それはその数だけ土地神がいるということでもある。
 言い換えると、そう信じられるものに土地神としての力が宿ると言うべきだろうか。
 農耕神と稲荷信仰の結びつきから、農村部には狐の神が多く存在したのではないかと考えられる。
 モノミもまた、そのうちの一人だったというわけだ。


「しかし、某は退魔士として長いが、鬼には会っても、神に会ったのは初めてでござる」
 蜩がもう一度口に出した感嘆の言葉に、ミワナは溜息をつく。
「昔は退魔士の方に力を貸して邪を祓った神も多くいたそうです。モノミ様の四代前もそうであったとか」
「待ってくれミワナ殿。四代前などと言われてもよく分からぬ。某は土地神の存在を知っていただけで、その営みに関してはとんと知らぬのだ」
 右手を前に出し、話の停止を求める蜩。
 ミワナはそれを見て、『おっと』と言わんばかりに口を押さえると軽く頭を下げた。
「これは申し訳ない。しかし、この老骨は話をまとめるのが苦手でございましてな。訊きたいことを教えて下さらんか?」
 そう言っていたずらっぽく微笑むミワナの姿に悪い気はしない。
 蜩はやはりこの老人とは気が合うと思った。
 おそらく二人の共通点といえば、真面目である事、モノミに振り回されている事。
 そして何より、二人ともモノミという人物を愛していたということだろう。
「それでは。まずミワナ殿とモノミ殿の関係、それとモノミ殿と妖狐達との関係を」
「ふむ。説明の順序としても分かりやすい質問ですな」
 ミワナは顎鬚をしゃくると、こほんと一つ咳払いをして居ずまいを正した。
 蜩の目にはどこにも粗相はないように見えるが、ミワナにはミワナなりのこだわりがあるらしい。
「まず、私とモノミ様の関係ですが……私は先代の土地神から生まれた最後の妖狐で、モノミ様をお育てした、つまり親代わりということになりますな」
「生まれた? では、外におるあの子供達はモノミ殿が生んだのか?」
「いえ、人の言葉ではいささが語弊がありました。我々妖狐には血の繋がりはございません。というのも、普通の狐から突然生まれますゆえ。その普通の狐と妖狐を分けるのが土地神なのです」
「と、言われると?」
「土地神には創造の力が備わっております。その力で、自分と同種の生き物を僕、すなわち眷属にするのです」
「つまり、土地神に選ばれた者が妖狐になるということだな」
「左様でございます。もっとも、我々は土地神が意識して生むのではなく、土地神の力に応じて自然と生まれるようですが」
「なるほどな、どうりで」
「……は?」
 一人で何かを理解したのか大きく頷く蜩。
 ミワナはその様子を不思議そうに眺めるしかなかった。
 その視線に気付いた蜩は、手を小さく振り苦笑いしてみせる。
「いや、モノミ殿がそんな大層なことを考えて行動しているとはとても思えなかったのでな」
 蜩のその言葉を聞いた瞬間、ミワナも苦笑いした。


「そんな訳で、先代が老いて力が弱まった時に生まれた私は、実に五十年ぶりの子供でした。そして先代が亡くなってから五十年。新しい土地神は生まれず、私を残して仲間は次々と死んでいったのです」
「失礼。ミワナ殿は今おいくつなのだろうか?」
「私でございますか? ふぉふぉふぉ、今年でちょうど八十になります」
 相手は妖怪である。
 今更驚くほどのことではないが、人間五十年と歌われたこの時代の人間である蜩にはそれでも驚きだった。
「そなた達の寿命はどれほどなのだ?」
「そうですな、百から二百といったところでしょうか。何、そんなに長く生きたところで焼かねばならぬ世話と焼かせる世話が増えるだけですわい」
「某、長く生きたわけではないので分からぬが、そういうものでござるか」
「そういうものでございます。これでも私、最近足腰が悪くなりましてな。若い者に面倒をかけっぱなしです」
 なるほど、とばかりに頷く蜩。
 『焼かねばならぬ世話』の方は何のことか訊くまでもないので黙っていた。
 間違いなくモノミのことだろう。
「まあ、話を戻しますと……我々妖狐は土地神を親のように慕う感情があります。元々普通の狐と同じ生活など出来ませんからな。生まれて間もなく親元を離れ、妖気の匂いを辿ってモノミ様の元に集まってくるのです」
 そこで一息ついたミワナは、思い出したように言葉を付け足す。
「もっとも、モノミ様も生まれは我々と同じく普通の狐からです。ゆえに我々眷属を側において寂しさを紛らわしているのでしょう。土地神として生まれるか、その眷族として生まれるか、我々とモノミ様の違いはそれだけでございます」
「……そういえば、モノミ殿が言っていたな。孤児の集まりのようなところで住んでいると」
「概ね間違ってはいませんな。我々、狐に同族意識はあっても家族と思うことは出来ませぬ。実際、あまりに異質な為に実の親から捨てられた子もおります」
「そうか……存外辛いのだな。妖狐という者達も」
「辛い、かは分かりませぬ。しかし、私に関しては先代もですが、我々がモノミ様をお慕いするのは、親や家族のぬくもりを欲しているからかもしれませんな」
 ふむ、と一つ頷き蜩は立ち上がった。
 そして、先ほどミワナが覗いた格子へと歩み寄る。
 夕飯時なのだろう。
 広場にはサナとウル、それと人の姿をした者が十人ほどたむろしていた。
 その歳は小さい者で五つ、大きい者で十五といったところだろうか?
「モノミ殿は、何歳なのだ?」
 蜩が格子から振り返り、静かに座っていたミワナに訊ねる。
「そうですな、今年で十七になっておいでです」
「なるほど。では、ミワナ殿を除いて、この里ではモノミ殿が一番の年長ということになるな」
「左様でございます」
 土地神のいる間しか、その眷属は生まれない。
 ということは、先代の下で生まれたミワナ以外は皆モノミの年下ということになる。
 ミワナとモノミ、そしてモノミの世代の妖狐達。
 そこに大きな歳の差があるのは、やはり人が神を忘れていったからだろうか?
 蜩の心中を読み取ったのか、それともそういう力があるのか、ミワナは静かに口を開いた。
「二十年ほど前でしたな。相次ぐ不作に村の者が大規模な稲荷神への豊作祈願を行いました」
「……む?」
「おそらく、モノミ様が生まれたのはその祈りを受けてのことでしょう。先代が死んで五十年、私はこの地の土地神を生む力は潰えたと思っておりました」
「お主が、モノミ殿を見つけて育てたのか?」
 蜩が先を予想してそう言うと、ミワナはこぼれんばかりの笑顔を見せて頷く。
 そして、当時を懐かしむように天を仰いで言った。
「モノミ様は、それはそれはかわいい女子でした。モノミ様が生まれたおかげで、仲間も一人二人と次の年から生まれ、先代の代から一人残されていた私は嬉しゅうございました」
「そうか、お主はモノミ殿が生まれる前はずっと一人だったのだな」
「左様でございます。しかし、あの頃のモノミ様といったら……いやはや、語って聞かせられるものではございません」
 恍惚とした表情を浮かべて回想に酔いしれるミワナ。
 蜩は苦笑しながら彼の前に座り、目の前で手を振った。
「よい。ミワナ殿の様子で、どんなものか想像がつく」
「いや、申し訳ありませんな。蜩殿にもお見せしたかったです」
 老人の行くところに、裾を掴んでいつも後ろをついていくかわいい女の子。
 そんな姿がありありと蜩の頭には浮かんだ。
 彼とモノミは主従の関係でもあり、また一方で祖父と孫の関係でもあるのだろう。
 そう感じた蜩は、一言にまとめて、ミワナを労うかのように感想を伝える。
「ミワナ殿は、モノミ殿が本当にお好きなのだな」
「ええ、大好きでございます。モノミ様も、この里の子供達全て私の大切な家族でございますから」
「家族……か。よいものだな」
 ひがみではない、蜩は心からそう思った。
 同胞(はらから)、仲間、愛情、そんなもので繋がった血の繋がりによらない家族。
 だが、それはとても暖かいものだった。


 ふと、家族と思いを馳せたところで蜩に疑問が浮かび上がる。
 そんな大切な家族が、一人他の者と離れて暮らしていていいのだろうか?
「しかし、そんなミワナ殿がよくモノミ殿を人里に住むのを許したものだな」
 蜩がそう言った瞬間、ミワナは渋い顔をしてこめかみを押さえた。
 どうやら、頭痛の種だったらしい。
 しばらく髪を掻き毟った後、彼は渋々顔を上げた。
「許してはおりませぬ。ですが、モノミ様は我らの長。お止めすることは出来ても、強制することは出来ないのです」
「つまり、ミワナ殿はモノミ殿の行動に賛成できないと?」
「いや、モノミ様は元より好奇心旺盛なお方なのは存じておりますし、私もそれが悪いとは思ってませぬ」
「では、何故?」
 蜩の問い詰めにミワナは溜息を吐く。
 なんとなく、それには自分への嘲りが含まれているようだった。
「色々ありますが、結局のところ私は頭の古い老人だということです」
「というと?」
「私は怖いのです。衆愚と神が直接交わるという、前例のない事態が」
 それを聞いて、蜩も考え込む。
 彼は正真正銘の退魔士だが、戦国の世では彼のような人間は既に絶滅種となりつつあった。
 言ってみれば、彼もまた古い型の思考を持った人間である。
 そんな彼の常識から見ても、誰彼構わず姿を見せる神というのは前例のない話である。
 それがもたらす影響というものを考えれば考えるほど、何が起こるのかが分からず恐ろしいものがあった。
「ですが、これが今の土地神のあり方としては正しいのかもしれないとも思うわけです」
 悩みこんだ蜩の緊張をほぐすためか、落ち着いた声でミワナが言葉を続ける。
「モノミ様が村に下って七年。人々はモノミ様の恩恵を受けて神を再び意識するようになりました。おかげで、七年前から毎年のように新しい仲間が生まれます」
「恩恵とは、あの癒しの力のことか?」
「それはモノミ様が意識して行える小さなことに過ぎません。モノミ様は土地神、あの方が近くにいれば、生きとし生けるもの全てに活力を与えます」
 そう言われて蜩ははっとする。
 普段のモノミの言動があまりに人間に近すぎるために、土地神の本質を失念していたのだ。
 土地神とは、その地を潤すと信じられる神。
 その力は草木を生い茂らせ、また動物を育む気候すらもたらすという。
 ゆえに、昔の人々は土地神を怒らせないように様々な祈願や供物を行った。
 遡れば、人身御供(人柱)という習慣すら存在する。
「滅び行く神の存在。あの方……モノミ様はそんな時代において、我々の新しい生き方を指し示すためにお生まれになったのかもしれません」
「なるほどな」
 蜩はミワナの言葉に大きく頷き、もう一言付け加えた。
「人と神、そしてミワナ殿達眷属の生き方。某も、モノミ殿なら何か答えを出せるのではないかと思うぞ」
「そうですな。そう、信じたいものです」
 そう言って、立ち上がったミワナは、家の奥にある祭壇へと向かっていく。
 そして、祭壇に飾られていた刀を取り、それを蜩に差し出した。


 突然のことに蜩はしばし驚き呆然とする。
 だが、我に返るとその刀をおもむろに無言で手に取った。
 抜くと、それはまさに玉散る氷の刃。
 モノミに折られたナマクラの太刀とは大違いの上物である。
「これは?」
「持っていって下され。いや、蜩殿にお返し申し上げます」
「返す? これは某の物ではないぞ」
「いえ、合っております。その刀、四代前の土地神が退魔の方に力を貸した礼に戴いた物なのだそうです。名は『稲荷守』と申します」
「稲荷守……狐を守る刀か、悪くない名だ。だが、良いのか? これは里の宝なのだろう?」
 蜩がそう言うと、ミワナは人懐っこい微笑を作って笑ってみせる。
「ふぉふぉふぉ、刀なぞ人間と命のやり取りでもしない限り必要ないでしょう。つまり、我々には元より不要でございます」
 それを聞いて、蜩も笑う。
「それは確かにそうだな」
「持って行って下され。蜩殿なら間違った使い方もされないでしょうし安心です」
 蜩の前を通り過ぎ、外に通じる戸へと向かうミワナ。
 その戸を開けて、蜩の方を振り返る。
「老人の長話にお付き合いさせて悪うございました。よろしければ、一緒に夕餉でもいかがですかな?」
 開かれた戸の先からは鼻腔をくすぐる香りが漂ってくる。
 そして、楽しそうな子供達の声も聞こえてきた。
 どうやら彼らは広場に集まって皆で食事にするらしい。
 里に住む者の顔をまだほとんど見ていなかった蜩は快く、
「ありがたく馳走になろう」
 と返事をして立ち上がった。


 里の者達との夕食を経て、モノミと蜩は村へと帰ってきた。
 ただし、付き添いが一人と二匹。
 一人はミワナ、そして二匹は小さなサナとウルだった。
「見送りありがとうミワナ。もうここらでいいよ」
 山道の入り口で先頭を歩いていたモノミが振り返る。
 辺りはもう真っ暗だったが、狐と言うだけあって妖狐の二人と二匹は夜目が利くらしい。
 何の苦労も無く、蜩の手を引いて明かりの無い山道を下っていった。
「そうですな。私はここまでにしましょう。あとはこの子達を……」
「油揚げっ」
「油揚げっ」
 二匹同時に飛び跳ねる小さな狐達に、居合わせた他の三人は苦笑いをする。
 この二匹がついてきたのはモノミが里に帰った際に行った姦計の報酬を求めてのことだった。
 ちなみに、ミワナはその引率である。
 二匹だけでも里に帰ってこられるとはいえ、やはりまだ子供。
 老人としては心配で仕方ないのだろう。
「分かったよ。ほら、ついといで」
 わーい、とばかりに二匹はモノミの後について家の中へと入っていった。
 後に残されたのは蜩とミワナのみ。
 木の生い茂る山道では見ることの出来なかった星空が天井に広がっていた。
 二人でその雲ひとつ無い夜空を眺めながら、一呼吸おいて蜩は口を開いた。
「本日は世話になったな、ミワナ殿」
「いえいえ。こちらこそ。里の者も久々の客人に喜んでおりました」
「そうか。某も楽しかったぞ」
 モノミより歳の小さい者ばかりだからか、それともモノミの影響か、妖狐の里の住人は皆人懐っこかった。
 食事中、何人かは蜩に鬼退治の武勇伝をねだったほどである。
 あのサナやウル同様、子供達は皆無邪気だった。
「よろしければ、いつでもお立ち寄り下され。蜩殿なら歓迎いたします」
「かたじけない。旅に出ても、またここに立ち寄ることがあれば、その時は是非に」
「ええ、お待ちしております」
 破顔して頷くミワナに、思わず蜩も顔を綻ばせる。
 会って間もない二人だったが、二人にはどこか旧知の仲であるような雰囲気があった。
 考え方やモノミと接する態度が似通っているため、気心が通じやすいのだろう。
 と、そこに二人を繋いだ人物がひょっこりと現れる。
「なーんか、仲いいねアンタたち。だいたいミワナ、アンタ人間嫌いじゃなかったのかい?」
 いつの間に戻ってきたのか、モノミが二人の側に立っていた。
「別に私は人間が嫌いというわけではありません。蜩殿のようにしっかりした考えを持っている方でなければ油断ならぬと思っているだけです」
「そういう人なら村にだって少しはいるじゃないか」
「確かにそうですが、蜩殿は退魔士です。つまり、我々の存在に理解がある。だから信用できるのです」
「そういうもんかねえ。ま、アンタが人間嫌いじゃないって分かってほっとしてるよ」
 うんうん、とにこやかに頷くモノミ。
 だが、ミワナは長い付き合いからモノミに釘を刺すのを忘れなかった。
「だからと言って、誰彼構わず里に連れ込んだら本当に人間嫌いになりますからな」
「んぐっ!?」
 盛大に喉を詰まらせ、モノミが顔を歪める。
 どうやら図星だったらしい。
 その様子を見て、脇で傍観していた蜩も苦笑する。
「して、モノミ様。サナとウルはどうしましたかな?」
「あー、家の中で好きなだけ油揚げ食べさせてやってるよ。あんな馬鹿なことさせたお詫びだ」
「まったく、少しは里長として品格を持ってください。私とていつまでもいるわけではないのですから」
 溜息混じりにそう呟いたミワナに、モノミはきまりの悪そうな顔をして頭をかいた。
 彼女とて好きでミワナを困らせたいわけでもないのだ。
 ましてや、老い先短いというようなことを口にされると、若い者として心に重いものがのしかかる。
「本当に悪かった。ミワナがいなくなっても里を引っ張っていける長になるよ。だから……」
「分かってらっしゃるなら何も言いますまい。今は好きなように生きて下され。何、私もまだまだ長生きするつもりですからな」
 ほっほっほ、と笑う老人の顔は実に晴れやかだった。
 やはり、彼もモノミのことが大好きなのだろう。
 と、そこでモノミが何かを思い出したように告げる。
「ああ、そうだ。ミワナ、紅葉が今年はモノミの季節だって言ってたよ」
「紅葉……ああ、あの五月蝿い娘ですか」
「五月蝿い、は余計だよ。アタシのこっちでの親友にケチをつけるのかい?」
「いやいや、誰か様に似ているのに、あの娘は孝行娘ですからな。嫌いではありませんぞ」
 ぷっ、と脇で蜩が噴き出すも、モノミに睨まれ慌てて平静を装う。
 いつもモノミの痛いところを適確につくミワナの言葉は、傍で聞いている者にとってさぞ可笑しいものなのだろう。
「で、嫌味言ってないでどうなんだい? モノミの季節だよ」
 少し不機嫌そうにミワナにも突っかかるモノミ。
 ミワナは少し両手を挙げて怖がってみせると、次は真面目な顔をして答えた。
「モノミの季節ですか。里の者総出で参りますかな」
「うん、決まりだ。やっぱ、アタシら妖狐はお祭り好きだね」
「ふぉふぉふぉ、こればかりは私も出て行かずにはおられませんからな」
 なにやら己の蚊帳の外で同意が成立しているのを見て、蜩は首をかしげる。
 モノミの季節、お祭り好き。
 前者は言葉の意味が分からず、また後者との繋がりもよく分からない。
 蜩が必死に悩んでいると、モノミから言葉がかけられた。
「ソレガシさん、まだしばらくこの村にいられるかい?」
「む? まだ行くあてもないゆえ、出て行こうにも出て行けぬ」
「そりゃ良かった。もうすぐ祭りがあるんだ、ソレガシさんも参加しないかい?」
「祭りか……モノミ殿が置いてくれるならば、しばし留まることも出来るが……」
 そこまで世話になって良いものかと悩みこむ蜩だったが、それを聞いたモノミはたいそう喜んで蜩の手を取った。
「いつまでいてくれてもいいさ。それに、アタシは祭りで踊るんだ。見ていっておくれよ」
「……むう」
 反応に困る蜩。
 だが、その背中をぽんと叩くものがいた。
「そこで断るのは男ではないですぞ、蜩殿」
 モノミ同様、楽しそうな顔を浮かべているミワナである。
 気の合う者に諭されては蜩も本心を素直に見せるしかない。
 モノミの手を握り返し、その瞳を見つめた。
「某からもお願いする。モノミ殿の踊りを是非とも見せてくれ」
「うん、約束だ。頑張るから、絶対見ておくれよ」
 しばし見つめ合うモノミと蜩。
 長身の蜩に対して、モノミはまだ育ち盛りの娘。
 二人の体の大きさはふたまわりも違う。
 それでも、その時彼らの見ているものは同じだった。
 夜空に瞬く星よりも綺麗に輝くお互いの目を彼らは深く心に刻み込んだことであろう。
 やがて、どちらともなく二人は離れた。
「一つだけ教えてくれぬか?」
「何だい?」
「モノミの季節とは何なのだ?」
「ああ、言ってなかったっけ」
 静かに二人を見守っていたミワナにモノミが視線を送る。
 そして、二人は何か楽しそうに相槌を打った。
「アタシの名前、妖狐の古い言葉から付けられているんだ。意味、分かる?」
「いや、妖狐の古語など分からぬ」
「ちょっとは想像して欲しかったんだけどね。まあ、やっぱり無理か」
 ちょっと溜息をついて、でも悪戯っぽく笑って。
 モノミは両手を胸に当ててその意味を告げた。
 自分にとって、その意味がとても大事であると示すかのように。


―――豊饒って意味さ


 豊饒の季節。
 すなわち、祭りとは収穫の祭りということである。
 祭りの季節は、秋。
 豊饒の名を持つ小さな神はその季節が大好きだった。






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