7.モノミの季節

 収穫祭当日。
 村の田は黄金で染まり、村中が明るい歓声に包まれる。
 モノミの季節と呼ばれる秋の到来だった。


 そんな中、蜩はミワナと共に虫の鳴く山道を歓声の中心へと歩いていた。
 大きく積み上げられた薪に火が灯されたのだろう。
 村の広場あたりの空は、夜だというのに赤く染まっている。
「先ほどは本当に驚いた。モノミ殿から突然妖狐の里にミワナ殿を迎えに行けと、凄い剣幕で家から追い出されたのだからな」
「ふぉふぉふぉ、祭りの衣装に着替えるのを見られたくなかったのでしょうな」
「とはいえ、何もそこまでしなくても良いのではないかと思うが」
「よっぽど蜩殿に驚いてもらいたいのでしょう」
「そういうものか」
 他愛も無い会話をしながら祭りの場所へと一歩一歩近づいて行く。
 どうやら蜩はモノミの祭り衣装見せたさに家から追い出されて、祭りの場で落ち合うように仕向けられたらしい。
「そういえば、里の他の者はどうしたのだ?」
「ああ、他の者は既に準備から祭りに混ざっております。それぞれ持てるだけの薪を持って楽しげに村に下りていきました」
 この時代、祭りと言っても出店がたくさん並ぶような物ではない。
 そもそもが小さな農村の祭りである。
 村の者総出で集まって、火を囲んで歌って踊り、あるいは次の年の豊作を祈願する。
 そんなささやかでもあり、また賑やかでもある祭り。
 それがこの農村の収穫祭だった。
「祭りは少々羽目を外してもよい日ですからな。昔から祭り、特に豊作の祭りの時は我々もこっそり混ざっておるのです」
 ミワナはそう説明した後、皮肉っぽく笑う。
「もっとも、モノミ様が村に下りてからは『こっそり』なんてものではなくなりましたがな」
「『堂々と』か」
「左様でございます。まだ人の姿になれない者も、半人前の者も」


 しばらく黙って道を歩く二人。
 祭りの歓声と光が目の前に見えてきた時だった。
 ミワナが何かを思い出したかのように足を止め、そして自らの懐をまさぐる。
 取り出だされたのは、一本の棒切れ。
「吹けますかな?」
 ミワナは蜩の目の前にそれを突き出してそう尋ねた。
 蜩はしばらくその棒切れを見つめて、それが木を削って作られた横笛であることに気付く。
 そして、小さく頷いた。
「あまり得意ではないが、鎮魂のために少々嗜んだことがある」
 楽器は言葉よりも人の心に響くことがある。
 それは人だけではなく、動物や霊、物の怪といった生きとし生けるもの全てに通じるもので、退魔士である蜩にその教養があるのは不思議でもない。
 もっとも、蜩は太刀を伴にしていたことからも分かるとおり、強制排除の方が得意である。
 音楽をもって、人ならざるものと心を通わすという繊細なことが不得手なのは、実直かつ素朴な性格によるものかもしれない。
 だが、ミワナにとっては『吹ける』という言葉だけで十分だった。
 にこりと微笑んで、その笛を蜩の手に握らせる。
「作った甲斐がございました。この笛は蜩殿に差し上げます」
「ありがたいが、某に笛など吹く機会があるのだろうか?」
「あるかもしれませんぞ。まあ、小さいものですし、持っていても損にはなりますまい」
 暗に『路銀に困ったら売ればよい』と含みを入れたミワナの言葉に、蜩はやれやれといった様子で溜息をつく。
 せっかく作ってもらった物を売るなどという不誠実な真似は蜩には出来ないし、慰めに取り出して吹こうにも、そこまでの芸風が無い。
 それはつまり、まだしばらくはこの村を離れられないということである。
「やれやれ、またミワナ殿に習わねばならぬものが出来てしまったな」
「ほっほっほ、もうすぐ冬ですからな。蜩殿に今出て行かれたら私は退屈で仕方ありません」
 この村は雪国だった。
 冬は全てが雪に埋まり、ミワナのような老人にとっては外に出られない日々が続く。
 そんな中、このところ村人の病を治すために薬草の教えを乞いに来ていた蜩は、ミワナにとって最高の話相手だったのだ。
 冬の間は気の合う話相手に趣味である笛を教えられると思うと、来るべき冬も気の重い存在ではないだろう。
「いっそ、このままここで暮らしてはいかがです?」
「む……」
「いえ、モノミ様も蜩殿を好いておられる。村人も蜩殿を好いていると聞いております。この地に骨を埋める気はございませんか?」
「うーむ……」
 ミワナの言葉は一理ある。
 蜩自身、この地での生活に慣れ親しみを感じ始めていた。
 しかし、今までずっと一所に留まることなく放浪してきた身としては、どこかに留まるというのは落ち着かないものがある。
 そして、ここでの生活が望むべくもないほど良いものかと言われれば、そういうわけでもない。
 今すぐ答えを出すのはあまりに難しい問題であった。
「まあ、旅に出ても、いつでも帰ってきてくだされ。さあ、祭りですぞ」
「おお、小さな祭りかと思っていたが、随分賑やかなのだな」
 広場には村の者が集まり、火を囲んで取れたばかりの穀物を賑やかに食べていた。
 狩りや釣りに出たものもいるのだろう。肉や魚の匂いもする。
「私は用事がございますので一足先に祭壇の方に参りますが、蜩殿はモノミ様をお探しになられてはいかがでしょう?」
「そうするとしよう。では、また後ほど」
 会釈をしてミワナと別れる蜩。
 ミワナは炎を挟んで反対側の祭壇へと去っていった。
 おそらくはそこでモノミが踊りを踊るのだろうが、肝心のモノミの姿はまだない。


 ただ立っていても仕方がないので、蜩は賑やかに騒ぎ続ける村人達の間を抜けてモノミの姿を求める。
 途中、何度か『先生』『蜩の旦那』と呼ばれて振り返ると、薬をやったり、魔を祓ってやった覚えのある顔が幾つもあった。
 その中にはいつかの次郎と弥助の姿もある。
 二人は同い年の隣人で、三十五年来の親友なのだそうだ。
 そんなことが頭に浮かぶくらいに、蜩もこの村の住人と気心が知れるようになっていた。
「そこを行くのは蜩殿ではないか?」
 ふと、村人の中から一際野太い声が聞こえて、蜩は声の方向を振り返る。
 すると、そこには見覚えのある荒くれ風の男が、何人かの男女を囲んで中央にどっかりと腰を据えていた。
「……確か、足軽大将の郷一郎殿だっただろうか?」
「覚えていてくれたか。拙者でござる。もうこの地を立たれたかと思ったが、蜩殿も祭りに来ていたか」
「モノミ殿に祭りを見ていけと言われてな。郷一郎殿は、もう肩の具合はよいのか?」
「はっはっは、この通りでござる。お望みとあれば、大槍も振り回してみせよう」
 酒が入っているのか、郷一郎は右肩をぶんぶんと振り回して見せる。
 すこぶる快調であるのは明らかだった。
「まことに、モノミ様はありがたいお人だ。おかげで二年続きの大豊作だからな」
「ここにいるということは、郷一郎殿自身田畑に出られているのか?」
「刈り入れ等の忙しい時だけだが、戦のない時は一家のものに混じって田畑にも出る」
 一家と言って、両手を広げ自分の周りを囲む男女を指し示す。
 子供を含めて十五六ほど。それが彼の一族郎党なのだろう。
 皆一様に、主人と対等に話す蜩へと小さく頭を垂れた。
 当時の武士は半農がほとんどであったため、郷一郎のような者は決して珍しくない。
 戦でも、田植えや収穫時になると兵が逃げ出すことはざらであった。
「戦か……。ここは随分のんびりしているが、戦はあるのか?」
「なければ拙者のような人間がいるわけなかろう。この三年ほど隣国と膠着状態ではあるがな」
「なるほど……この平和も、随分危ういところで成り立っているのだな」
 膠着状態とは、均衡が崩れればすぐさま戦になるということである。
 どちらかが相手側に雪崩れ込み、またその逆もしかり。
 むしろ、三年も互いに決め手なく戦が止まっている方が珍しいとも考えられる。
「ところで蜩殿、お主は今どうしているのだ?」
「某か? 某は、まだモノミ殿のところで厄介になっておる」
「ほう」
 郷一郎は感嘆の呟きとともに、僅かに笑ってみせる。
「退魔士と物の怪が一つ屋根の下とは、また随分珍妙な組み合わせよの」
「やはり、そういうものだろうか?」
 郷一郎に限らず、その感想は他の村人からもしばしば耳にする。
 しかし、時には物の怪とも協力するのが退魔士。
 祓ったり退治したりばかりがその仕事ではない。
 とはいえ、蜩自身が今までにやってきたのは退治ばかり。
 害を為さぬものには無干渉ではあっただけで、語り合ったり、同居をしたりというのは初めてのことである。
 ましてや、その同居の相手が神というのは完全に規格外であった。
「まあ、蛇と蛙が一緒に暮らしているように見えるが、蛇と蛙が仲良くしてはならぬという理由もあるまい」
「意外と、愉快なことを言うのだな郷一郎殿は」
「失敬な。拙者が愉快であってはならぬという理由もあるまいに」
「まったくもってその通りだ」
 しばらく見つめ合う二人。
 そして二人して、大きく笑った。
 生きる道は異なれども、この蜩と郷一郎もまた気の合う関係であるらしい。
「蜩殿、もう一度訊くが、拙者のところに来ぬか?」
「前にも言ったが、某は人の斬り方を知らぬ。おまけに……」
 言葉を止めて、蜩は懐からミワナにもらった笛を取り出してみせ、軽く一節吹いてみせた。
 その素朴で澄んだ音色に、郷一郎と彼を囲む一族郎党がほうと息を漏らす。
「この通り、今は笛を習おうと思っておるところだ」
「ふっ、それでは仕方ないな。だが、蜩殿。拙者はお主が気に入った。まだまだ、諦めるつもりはないぞ」
 さもおかしそうに笑い飛ばし、杯をあおる郷一郎。
 この調子では、会うたびに蜩を勧誘することだろう。
 しかし、彼らにとってはそれでいいのかもしれない。
 郷一郎が誘い、蜩が断る。それが次に会う時の楽しみになるのだから。
 と、蜩と郷一郎が語り合う場に、薄汚い男が小走りで駆け込んできた。
 蜩には全く面識のない男である。
 男は周りの誰にも見向きもせず、郷一郎の傍に駆け寄って、その耳に何かを呟いた。
 すると、酔っていたはずの郷一郎のエビス顔が、突然本来あるべき戦人の顔に変貌する。
 男はそれを確認すると、来た時のように誰にも見向きしないで走り去っていった。
 おそらくは伝令役の足軽だったのだろう。
 周りの視線を浴びながら、郷一郎が立ち上がる。
「何かは分からんが、御館様が拙者達を呼んでいるらしい」
「武士とは気の休まらぬものだな」
「茶化すな蜩殿。たとえそうでも、家族を飢えから守れるのであれば、拙者はこの道を取る。では、御免。モノミ様にはよろしく言っておいてくれ」
「うむ、また近いうちに会えるとよいな」
 お互いに礼をかわし、蜩と郷一郎は別れた。
 郷一郎の一族郎党はこういう事態に慣れているのか、めいめいに「大将も大変だな」とか「御館様は何の用だべ?」等とくっちゃベっては、いつしか他愛もない世間話に花を咲かせていた。
 当然、蜩の居場所ではないので、彼は何も言わずにそこを立ち去ることにする。


 モノミを探して祭りの炎の周りを歩くも、一向にその姿を発見できない。
 諦めてミワナのいる祭壇か、顔見知りの村人の輪に蜩が腰を下ろそうかとした時だった。
「あっ、いたいた。ソレガシさん、こっちこっち」
 聞き覚えのある騒々しい声が聞こえてきた。
 ふり返ると、モノミと同い年の親友、紅葉が手を振っていた。
 傍にはモノミらしき人物が立っている。
 が、どういうわけか衣を被って俯いているので、その表情は読み取れない。
「紅葉殿か。して、隣のこれはモノミ殿か?」
「これって何だい! アタシがモノミだよ」
 ばばっと、被っていた衣を剥ぎ取り、いきり立ったモノミが姿を現す。
 地面に落ちかけた衣を、慌てて紅葉が拾い上げた。
「ちょ、ちょっとモノミ。ゆっくりこれを取ってソレガシさん驚かせるんじゃなかった……」
 のかい? と言おうとして紅葉の口が止まる。
 彼女の前で、モノミと蜩は呆然と見つめ合っていたからだ。
 モノミはいきなり衣の中の自分を見せてしまった気恥ずかしさに、蜩はというと、衣の中に隠されていたモノミの姿に。
「あちゃあー、なんだか私はお邪魔だね。お母さんとこに行っとくよ」
 いひひひひ、とばかりに悪戯っぽく笑うと紅葉は衣を持って、すたこらさっさとその場を逃げ出した。
 いつもならモノミが顔を真っ赤にしてそれを咎めるところだが、今のモノミに紅葉の姿は映っていない。
「あ、あの……どうだい、この格好」
 おそるおそるそう言って、その場でくるりと回ってみせるモノミ。
 モノミの格好は、今で言う浴衣のような服装だった。
 質素ながらも、柄が描かれており、おしゃれな衣装と言えるだろう。
 しかし、何より蜩の目を奪ったのは、モノミの頭に現れた狐の耳と、衣装の後ろから溢れんばかりにこぼれ出ている九本の尻尾であった。
「その耳と尻尾はどうしたのだ?」
「これかい?」
 右手で頭の耳を触ってみせ、左手で後ろの毛束と言えそうな尾を、ふぁさとかきあげてみせる。
 なんとも色っぽい仕草であった。
「こういう祭りの時は、狐は狐って分かる格好で祭りに混ざるんだ。ほら、向こうにうちの里の仲間がいるだろ」
 モノミが指差す先には、なるほど、蜩も里で見たことのある者達が耳や尻尾を出していた。
 しかし、尻尾の方は尻の部分が膨れ上がっていたり、裾から先っぽがはみ出ているだけでモノミのように根元から衣服の外には出していない。
「昔はそうすることで、アタシたちがいるってことを村の人たちに教えていたんだってさ。アタシが村に下りてからはただの飾りになってるけどね」
「ふむ。しかし、ミワナ殿は出していなかったぞ」
「あー……ミワナは」
 話がミワナに及び、モノミははじめていつものような悪戯っぽい笑顔を見せる。
 ようやく緊張が解けたのだろう。
「歳だから、干からびてぼさぼさの尻尾見せたくないんだよ、きっと」
「そういうものなのか……」
 狐達には狐達のこだわりというものがあるらしい。
「しかし、いつの間に……ひいふうみい、これは全部で何本だ?」
「尻尾の数かい? 全部で九本さ」
「前に見せてもらった時は一本だったはずだが……」
「ああ、これ真ん中の一本だけが本物なんだ。変幻自在の化け術なんてものは使えないけど、尻尾を九本に増やすくらいなら簡単だからね」
「なるほど。しかし、なんとも優美なものだな」
 九本が小刻みに揺れて、お互いの毛をふぁさふぁさと鳴らす音はなんとも扇情的なものがある。
 しかも、モノミの尻尾の毛並みと言えば、実に手入れが行き届いていて美しいのだ。
「ありがと。そう言ってもらえると嬉しいよ。この衣装はこれ出すために紅葉が考えてくれたんだ」
 これと言って、また尻尾をかきあげてみせるモノミ。
 人間、長い後ろ髪をかきあげる動作に艶っぽさを見出すものだが、この毛束にも同じことが言えるようである。
「これだけの尻尾を服に穴あけて通すのは大変だからね。あらかじめ後ろに切り込み入れた服に尻尾を通してから縫ってもらってるんだ」
「それで、準備に時間がかかっていたのか?」
「うん。脱ぐ時にはまた破いてしまうし、この服装はお祭りの時だけなんだ」
「なるほどな……モノミ殿のその衣装を見られただけでも、この祭りに来た甲斐があった」
「あはは。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、まだちょっと早いよ」
 モノミはくすっと笑い、その場でくるっと一回転してみせる。
 すると、九本の尻尾が流れるように宙に浮き、金の毛がお互いに触れ合ってなんとも柔らかい音を奏でる。
 そのあまりの妖艶な美しさに、蜩は言葉を失った。
「この格好でしか出来ない踊りを見せたかったんだ」
 踊りの一動作だけでこの美しさである。
 本当に一曲踊れば、それはどれほどのものになるだろうか?
「さあ、行こ。アタシの踊り、見てくれるかい?」
「もちろんだ。是非に」
 大きく頷いた蜩に微笑むと、モノミはその手を引いて祭壇に歩き始めた。


 モノミの姿を捉えると、めいめいに騒いでいた村人もすぐさまモノミに視線を向ける。
 いや、一歩ごとに鳴る、あのふぁさふぁさという音に村人達も魅せられているのだ。
 『モノミ様だ』『今年はまた、一段とお美しい』『モノミ様ー』と言った声で周囲が溢れる。
 皆、これから始まるモノミの踊りを心待ちにしていたのだろう。
 祭壇を前に、先にそちらに向かっていたミワナが二人の前に足を運ぶ。
 恭しく礼をすると、今度はミワナがモノミの手を取り、壇上へと導いていった。
 そして、奏でられるミワナの笛。
 モノミはそれに合わせて、舞い始める。
 笛の音が激しくなれば、先ほど蜩に見せた回転動作等を素早く行い、また緩やかな笛の音には緩やかな歩行を行ってみせる。
 モノミの踊りには型はなかった、ただ音に合わせて直感だけで踊っているのである。
 しかし、星月の光と広場の中心に燃え盛る炎の光、その両方を受けたモノミはなんとも美しかった。
 何より、金に輝く尾の動きが、衆人の目を捉えて離さない。
 まさに、神の名に相応しき者の舞であった。
 一人二人と、その姿に魅せられ、手を合わせてゆく。
 豊作祈願、家内安全、祈りは様々であろう。
 それが、全てモノミの踊りに託されていくのだ。
 突如、笛の音が止まる。
 蜩が驚いて、モノミの傍に控えていたミワナを見ると、彼は楽しそうに手招きをしていた。
 その意図するところに気付いた蜩は思わず首を振る。
 ミワナの見事な笛を聴かされては無理もない話だった。
 しかし、ミワナはしつこく手招きを続ける。
 村人達の視線も蜩に何かの期待を投げかけているではないか。
 何より、壇上のモノミも蜩に期待の視線を送っている。
 ここまでされて黙っているほど蜩も無粋者ではない。
 立ち上がって祭壇に上り、ミワナとは反対の左端に笛を取り出して座する。
 そして、知っている限りの、一番明るそうな曲を吹き始めた。
 すると、何ということだろうか。
 ミワナは即興でそれに伴奏をつけ始めたのである。
 モノミはまだ踊らない。
 しかし、村人達はそれだけで拍手喝采した。
 二人が奏でる音に対する感動し、さらに、それを受けるモノミの踊りに期待したのだろう。
 一節、ただ二つの笛だけが奏でる時間が過ぎた後、しばし壇の後ろに身を引いていたモノミが、壇中央に足を運ぶ。
 彼女もまた、即興で二人の笛に合わせた踊りを舞い始めた。
 二つの笛の音と、小さな神の踊り。
 祭りはかつてない興奮に包まれていく。
 蜩は知っている曲を全て余すことなく吹いた。
 ミワナはその全てに、己の全技術をもって応える。
 そして、モノミは全ての輝きを集めて、舞い続けた。
 誰も、その日の祭りを忘れる者はいないだろう。


「なあ、ミワナ殿」
「なんですかな?」
 祭壇の上で、出された酒と食事に舌鼓を打つ蜩とミワナ。
 モノミは踊りを終えて、その衣装を脱ぎにいった。
 祭壇下の炎の前では、モノミの踊りに興奮したのか、まだ年端もいかぬ妖狐の子供達が下手くそな踊りを精一杯踊っている。
 村人達はそれに手拍子を送って楽しんでいた。
 実に温かく、和やかな光景である。
「昔は、帝や藤原様の世に生まれなかったことを悔やんだこともあった」
「今は、どうですかな?」
 一仕事終えた男達の顔を広場の炎が赤く染める。
 檀下のつたない踊りに頬を緩めながら蜩は答えた。
「この地に、骨を埋めるのも悪くないかもしれぬ」
 そう言った蜩の顔は、実に晴れやかだった。


 だが、この時は誰も考えもしなかった。
 この幸せが、予想もしない災いを呼ぶきっかけになろうとは。
 その日の夜、坪内鬼六の城には郷一郎はじめ、おもだった家臣が集まっていた。
 全員、いかなる用件で呼ばれたのかは分からず、広間に城主である鬼六が現れるのを今か今かと待ちわびる。
 やがて、最も遠方に住む弓大将が参上すると、同時に坪内鬼六も姿を現した。
「おう、全員よく集まった。今日はめでたい日だ、構わん楽にしろ」
 この坪内鬼六という男、容貌は名前そのものの鬼のごとき風体で、大名と言うよりは、山賊の総大将と呼ぶほうが似合っている。
 恐ろしい男ではあるが、反面家臣達への情は厚く、家臣たちは彼に忠誠を誓っていた。
 戦国大名と言っても、大から小まで様々ある。
 立派な家柄もあれば、この坪内鬼六のようにヤクザか何かと変わらないような者がいても不思議ではない時代だった。
「今年は去年に続いての豊作。実にめでたいことだ。そこで、間者からの報せだが、黒羽の若僧の所は水害で大不作だそうだ」
 何が言いたいか分かるだろう? と目の前に座する家臣一同を見回す鬼六。
 黒羽とは、彼が目の上のたんこぶとしていた隣国の主のことである。
「おお、ではついでに彼奴らに引導を渡すのでございますな」
「そうだ、これ以上あの若僧をのさばらせておく理由はない。今度という今度こそ滅してくれる」
 鬼六が忌々しげに床に拳を叩きつける。
 今までに、何度も煮え湯を飲まされてきた相手の名を口にするのも腹立たしいと言わんばかりに。
「いいか、俺はこんなちっぽけな国で満足する気はねえ。もっともっと国をでかくして、おめえらにはいい目を見せてやりたい。どうだ、俺について来るか?」
「応!」
 広間の家臣たち一同が大声で返事をする。
 彼らが鬼六に従うのは、まさにそのためであるのだから。
「しかしだ。いくら奴でも今回ばかりは背水の陣で抵抗しやがるだろう。もうすぐ冬になる。篭城でもされたら攻め手の俺達が寒さにやられかねねえ。だが、そこで粘れって一発かましてやりゃ音を上げるのは奴らだ」
「寒さを凌ぐ必要がありますな」
「おうよ、そこでだ。戦の景気付けに丁度いい、狐狩りを行う」
「おおっ!」「なっ!?」
 狐といえば毛皮、毛皮で暖を取ろうというのが鬼六の狙いだった。
 しかし、その案への同意に混じって、一部驚愕の声が混じった。
 その内の一人が立ち上がる。
「な、なりません! 狐は神の使いですぞ。そんなものに矢を射掛けては戦のツキが落ちます」
「このボケが! 何が神の使いだ。神を拝んだところであの寒さはどうにもならねえよ」
 取りつくしまもない一喝を残して、欠伸をかみ殺しながら鬼六が立ち上がる。
「明日から狐狩りだ。狐が怖いなら勝手にしやがれ。戦で泣いても敵前逃亡は許さねえからな」
 のしのし、と不愉快そうな足音を立てて鬼六は寝所へと去っていった。
 彼が信じるのは己の力のみ。山賊あがり同然の彼に拝む神などありはしない。
 しかし、彼は知っていたのだろうか?
 彼が喜んだ豊作が、小さな狐の神によってもたらされていたということを。
 鬼六が去った広間はたちまちの大騒ぎとなった。
 遠方の者は『各々方、戦でお会いしよう』と言い残して、戦の準備のために馬を飛ばして城から一人また一人と去る。
 残されたのは、坪内の城近辺に住む者。
 とりわけ、モノミのことを知る郷一郎らであった。
「大変なことになった。いかに御館様の命令とはいえ、モノミ殿の仲間に弓など引けようか……」
「勝手にしろと言われたが、あのご気性の激しい御館様のことだ。狐狩りもできぬ臆病者と言われては参加しないわけにもいくまい」
 御館様とは、当時の城が『館』に近いものであったため、その主である者を指して呼ぶようになった敬称である。
「モノミ様は妖狐だ。ただの狐を狩ったところで問題ないのではないか?」
「されど、手前はモノミ様達も生まれはただの狐だと聞いておる」
「俺は部下がモノミ殿の世話になった。モノミ殿に弓引く真似はできん。だが、御館様にも大恩ある身。御館様には尚のこと逆らえぬ」
 口々に悩む残された者たち。
 恩義か忠誠か、信仰か忠義か。
 様々な思いで彼らは戸惑いを隠せない。
 つい最近モノミの世話になった郷一郎もまた、その葛藤に苛まれていた。
 何より彼らは全員半農の身であり、モノミを稲荷神の使いやそのものと同一視している。
 そのため、彼女が悲しむであろうことをやるのは躊躇われたのだ。
 決心のつかぬまま、ただ戸惑い続ける家臣たち。
 だが、その中のある者が突然広間に面した庭に飛び出した。
 男の名は重蔵。モノミに戦で受けた矢傷を癒してもらったこともある、郷一郎と並ぶ足軽大将の一人であった。
 彼は庭に座すると、腰に差した刀を抜いてこう叫んだ。
「我、中庸なり!」
 止める間もない一瞬の出来事だった。
 刀が腹を貫き、重蔵は庭を血に染めて絶命した。
 葛藤の狭間に置かれた彼は、己の命をもって主君を諌めようとしたのである。
 だが、それこそが悲劇を生む火種となろうとは、なんと皮肉なことだろうか。






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