美坂家。そこは美坂栞の生家であり、彼女の生母と父上が住まう場所である。
また、あの狂騒シスター香里もいたりする、ひょっとしたらデンジャーゾーンなのかもしれない。
話はそんな美坂家の、数日前の玄関に遡る。
「ではお母さん、そういうことでよろしくお願いします」
「ん。うまく行ったらこれ香里に渡しとけばいいのね」
「はい。お姉ちゃんにはしばらく事情は伏せておいてください」
「りょーかい」
話しているのは栞と彼女の母親。
栞は母親にスケッチブックを破いた一枚を手渡していた。
そこにはマジックでこう書かれている。
『祐一さんがお兄ちゃんって呼んでいいって言ってました。だから私、望み通り祐一さんの妹になろうと思います。さよなら』
……これでは香里があらぬ想像を抱いて暴れるのも無理はないのではないか?
しかし、受け取った美坂母は別段気にしてないようだった。
これはひどい放任主義である。
「それじゃ、行ってきますね」
「ん、がんばってきな」
「はいっ」
どうでもよさげな母親の応援を受けて、トランク片手に栞は家を後にする。
見送る美坂母は、あくびをひとつして家の中へ。
姐御肌なおかんは、娘の行動にひたすら無関心だった。
いもーと?
5.風雲相沢城冬の陣(夏だけど)
その日、仕事で外国に出ている相沢家の両親が日本に戻ってきていたのは、ほんの偶然だった。
荷物の整理とか、掃除とか、いつ日本に帰ってきてもいいように家の様子見が目的だったらしい。
家というものは、住んでないと色々不都合が出てくるものなのだ。
一日滞在したらちゃっちゃと外国に戻る予定だったので、ごくごく親しい知り合いにしか帰国のことは知らせていない。
もちろん水瀬家に居候している息子にも電話知らせていたが、息子の返事は『学校で忙しい』の一言。
本当に急なことで、他に知らされていた知り合いも全員会う予定はつかなかった。
だから、掃除を終えて居間で一息ついていた両親が、鳴るはずのないインターホンの音に驚いたのは当然と言える。
しかも、出迎えてみたらまったく知らない女の子がそこに立っていたとなると、それはさぞ驚いたことだろう。
「で、美坂栞さんだっけ? 祐一の彼女の」
「はい」
挨拶もそこそこに、相沢家両親と栞は居間のソファーに腰を降ろして向かい合っていた。
両親は複雑な表情、対する栞はスマイルスマイルで。
それが余計両親の不安を煽っているのだが、一方で笑顔は友好の証である。
栞の第一印象は決して悪くなかった。
「よく私達がこっちに帰ってきてるって知ってたわね」
腕組みをしたまま黙っている相沢父の代わりに、相沢母が話しかける。
「祐一さんが先週話してましたから」
栞はまったく物怖じもせず笑顔で返答。
いくらなんでも肝が据わりすぎである。
というか、実に怖いもの知らず。
一度は死を見た少女。彼女の辞書に躊躇いなどという言葉はない。
「へえ。あの子、どう言ってたかしら?」
「えーっと、会うの面倒臭いから適当に誤魔化しておいたって言ってましたね」
「はぁ、そんなことだろうと思ってたけど、実際聞かされると呆れるわね」
「まあまあ、あの街からここは遠いですし。それに祐一さんも彼女の前ですから自立してるって格好をつけたかったんだと思いますよ」
本人はバレてないと思ってても、ちっぽけなプライドというものは他人には丸分かりだったりする。
だから胸を張って生きろ。胸はなくとも、プライドはでかく持て。
それが美坂栞のスローガン……なのかは定かではない。
「まったく、いつまでも子供ね祐一は」
「そういうところもかわいくて好きです」
そして、バレてないと思って必死に守ってるちっぽけなプライドほど笑いものにされるものだ。
「それで、訪ねてきたからには何か用があるんだろう?」
そろそろ息子が哀れになったのか、それまで黙って聞いていた相沢父が口を挟む。
「あ、はい。とても重要なお話があってきました」
「まさか、うちの息子が何か間違いでも……?」
「あ、大丈夫です。まだ未遂ですから」
「そ、そうか。ならいいんだ。すまないね、話を続けてくれ」
未遂と言いつつも、押し倒すところまではいっている。
しかし、特に問わていないので栞は黙っていた。
いずれ面白おかしく脚色加えて伝えちゃおっかなー、なんて考えながら。
何より、今日はそんな冗談で盛り上がるのが目的で遠路はるばる相沢家に来たのではない。
「えと、怒らずに聞いてもらえますか?」
胸に両手を当て、思わせぶりに目を伏せる栞。
いきなりスマイルの消えた対面者に、相沢父と相沢母は驚いたように顔を見合わせ、互いに頷きあった。
「ああ、いいとも」
「ええ、私達に出来ることなら」
こんなにこにこ笑う良い子のお願いを無碍にするわけにはいかない。
この子は笑ってる方がかわいい。
だから、叶えられるお願いなら出来る限り聞いてやろう。
そんな合意が無言のうちに成立したようだ。
二人の許可に栞は顔を上げて、今度は真剣な表情で二人を見つめる。
そして、全ての発端となる言葉を発したのだった。
「私を相沢のおうちの養子にしてもらえませんか?」
しばし無言。
台所のヤカンがピーッと沸騰を知らせる。
我に返った相沢父と相沢母は、目をまん丸に開いて同時に叫んだ。
「なんだってーっ!?」
そりゃもう、ソファーを後ろに倒さんばかりの勢いで立ち上がっていた。
それくらい激しく驚いた。
まあ、当たり前だろう。
初めて会った息子の彼女が、いきなり『養子にして下さい』なんて言い出したのだから。
その瞬間、二人の頭の中にあった『まあ、まだ若いんだしもう少し大人になってからでも』なんて若者の結婚相談マニュアルは見事にふっ飛んでいた。
湧いたお茶をひと啜り。
それでどうにか相沢父と相沢母は落ち着きを取り戻した。
「あー、さっきの話、聞き間違いじゃないよね? その、なんていうか『養子にしてくれ』って聞こえた気がするんだけど」
「はい、養子です」
対する栞はまたもにこにこ。
ふたたび営業スマイルモードに戻っていた。
言うまでもなく、ここまでの言動は全部計算済みである。
ドラマを星の数ほど見ていれば、人間の反応なんてだいたい読めてしまうものなのだ。
死亡フラグとか余計な物まで見えてしまうかもしれないのはおいといて。
「養子ってどういうことだい?」
「義理の親子関係になることです」
「いや、そういうことじゃなくてね。その養子が当社で働く上でどんなメリットがあるのでしょうか?」
何で会社の面接になってるのか謎だが、相沢父は激しく動揺していた。
しかも敬語まで使ってる。
まあ、相手がマニュアル外(規格外)過ぎること言ってるので無理もないが、小娘相手にたじたじしてるオヤジの背中なんて息子が見たいものではあるまい。
いはんや妻をや。相沢母も夫のふがいない姿に飽きれてダンマリモードに突入していた。
そんなのお構いなしとばかりに、栞は人指し指を唇にちょこんと当てながらノリノリで続きを語る。いや、畳みかけていく。
「メリットはそうですね、簡潔に言うと安全と信頼のためでしょうか。もっと言うと、祐一さんの妹になりたいんです」
「いや、だからですね、その妹が当社にとってなんのメリットなのかと」
いつまで面接を続けているのか、相沢父。
相沢家の大黒柱は意外に気が弱かった。
たぶん、地震とか起こるとまるで頼りにならないタイプだろう。
「えっとですね、私もまだ高校一年生ですし、ちゃんと学校を卒業したいんですよ。だけど、恋人を続けるには性交渉が避けられないじゃないですか」
「う、うむ。まあそうだね」
「だから、万一赤ちゃんができちゃったら困るんですよ。私だけじゃなくて祐一さんも困るでしょうし」
「そうだね。私達も困る」
もはや完全に栞のペースである。
動揺収まらない相沢父は、栞の言葉に相槌を打つばかりで、ちゃんとした判断力があるのかも怪しい。
この父親、怪しいショッピングにも引っかかりやすいタイプかもしれない。
というか、既に栞の妹商法に飲まれつつある。
「そこで妹です。妹になれば、祐一さんは手を出しにくくなります。でも、本番以外ならどこまでベタベタしてもOKというおいしい立場になれるのですよ」
「な、なるほど。うちの祐一がよっぽど倫理に欠けてなければ、ほぼ絶対に安全だな」
「つまり、妹こそが至上のコンドームなのです」
ロマン溢れるはずの『妹』という単語が栞によってあっさり陵辱されているが、その場にツッコミを入れるものはいない。
栞は勢い任せだし、相沢父はそれに乗せられてコクコク頷くばかり。
強いて言うなら、相沢母が『この場合、コンドームじゃなくてペッサリーじゃないのかしら?』なんて思ってたようだが、論点がズレてるので無視。
え? ペッサリーって何かって? 早い話が女の子用のコンドームだ。
「それに妹なら祐一さんの傍にいれますし、祐一さんが道を踏み外さないようにしっかり見守れます」
「確かに……秋子に任せてはいるが、心配といえば心配だな」
「というわけで、私を妹にして下さい」
相沢父が妹の魅力に傾いてきたところで、栞はにこーと最終確認の追い討ちをかける。
「いや、しかし、急にそんなことを言われても」
対する相沢父はしどろもどろ。
どうにも答えに窮すると言った感じ。
常識的には断って当たり前なのだろうが、栞を傷つけやしないかと逡巡しているのだろう。
気が弱い半面、結構紳士……いや、フェミニストだ。
「いいじゃないの。養子にしてあげたら?」
「って、お前!?」
一進一退を極めると思えた状況。
しかし、そこで栞に助け舟を出したのは、こともあろうか相沢母だった。
「栞ちゃん、ご両親はこの話ご存知なのかしら?」
「はい。もう説得済みです。妹になるのは形式上だけですから、お金の心配も大丈夫です。ご迷惑はおかけしません」
「うんうん。やっぱりしっかりした子ね。思ったとおりだわ」
うんうん、と満足げに頷く相沢母。
そんな妻を見て、相沢父はやっぱり納得いかないといった様子で不満を言う。
「お前、何を考えてるんだ? 祐一の意思を無視してそんなこと……」
「あなた、彼女が出来た報告ひとつよこさない馬鹿息子が信用できるの? 秋子から栞ちゃんの話聞いて、私はいつ祐一本人から話聞けるか楽しみにしてたのに」
「う……む……まあそれはそうだが」
「どうせあの子は誰と付き合っても、私達や相手のご両親に迷惑かけるに決まってるわ」
「おいおい、何もそこまで言わないでもいいだろう。それに、俺達だって祐一と同じくらいの年の時にはそんなものだったじゃないか」
「そうね。でも、私はこうやってちゃんと挨拶に来る栞ちゃんが気に入ったわ。この子は何事も筋を通す子よ。あの馬鹿息子の何倍も信用できる。あの子には栞ちゃんみたいな監督役が必要なのよ」
実の息子だというのに、ひどい言われようである。
しかし悲しいかな、正論過ぎて息子に反論の余地はない。
「息子のためを思うのも親の仕事でしょう? あの子の未来を考えるなら、この子と一緒になったほうがいいわ。恋愛を全面的にバックアップしてあげましょう」
「しかし、恋人が兄妹になるってのはどうかと」
「そんなのよくあることでしょう。養子関係解消すればいつでも結婚もできるし、本格的な兄妹プレイすると思えば無問題よ。あなただってやったことあるくせに。ねえ、お兄ちゃん」
「ば、ば、ば、馬鹿者! 栞ちゃんの前だぞ! やめないか!」
猫撫で声で妻に『お兄ちゃん』と言われた瞬間、相沢父はゆでだこのように顔を真っ赤にして口をパクパク。
そんなことを暴露されては実に困る。
父として、息子には厳格な態度をとらなければならないのだ。
もちろん、その対象が息子夫婦になったとしても。
父として威厳ある存在で……。
「先週の赤ちゃんプレイは燃えたわね〜」
「た、頼むからそれ以上は……」
……威厳ある存在でありたかったようだが、もう無理だろう。
性生活 晒せば親父の 威厳なし(字余り)
相沢父は自身が急速にしぼんでいくのを感じて心の中で泣いた。
ナニがしぼんだ? とか聞いてはいけない。
父として、男として、色んなモノがしぼんだのだ。
「だいじょーぶです。祐一さんは初めて会った頃、私に『お兄ちゃんって呼んでいいぞ』って言ってます。あの時確信しました。祐一さんは重度の妹フェチです」
「ほら、栞ちゃんもああ言ってるし問題無しよ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛、北の街まで行ってなんて性癖を晒してくれるんだ我が息子よ」
挙句にトドメを刺されて撃沈。
そりゃ悲しくもなるだろう。
親子揃って妹フェチの遺伝ありなんて。
「では、そういうことで養子の件よろしくお願いします」
「い、いや、でもなあ。やはり祐一の意思というものも尊重して……」
ぺこっと頭を下げる栞。
相沢父は精神的に既にグロッキー。
一方で相沢母を味方につけ、もう99%決まってしまったような状態だ。
それでも相沢父は最後の理性を振り絞って、首を縦に振るまいとする。
ここで自分が頑張らねば、誰が息子の意思を守るのか?
その一念で、今にも頷いてしまいそうな自分を必死に押し留めているのだ。
「あ、実はお父さんに贈り物があったんですよ」
しかし、そんな事態は見越していたのか、栞は慌てることもなくポケットをごそごそやる。
そして、取り出されたモノを見た瞬間、相沢父の表情が驚きと喜びに満ちたものへと一気に変わった。
「相沢と美坂、両家の友情の証にこれを」
「そ、それはっ!?」
相沢父の目には栞の手に乗ったモノが黄金色にも見えたことだろう。
神々しい光すら放っていたに違いない。
それこそ、相沢父が求めてやまなかったモノ。
「唯一手に入らなかった、角折れバファローマンのキン消しじゃあないか!」
そう、件の角折れバファローマン人形だった。
「今はもう興味ないみたいですけど、うちのお父さんが昔集めてたものなんです。もしよかったらパパさんにプレゼントしようかなー……って」
「いやいやいや、もう何も言わなくてもいいよ。うん、栞ちゃんとお前の言う通りだ。祐一にはこの子がぴったりだよ。よーし、パパ養子許可しちゃうぞー」
「わー、ありがとうございますー」
……相沢父、あっさり陥落。
さっきまでの誇り高き父親の姿はどこへやら。
にこーと微笑む栞に前に、完全にデレデレになって屈していた。
とても息子に見せられた姿ではない。もちろん、妻にも。
しかし、妻は妻で、そんな夫と栞の様子をにこにこと満足げに見つめていた。
そりゃ、若い娘に夫がデレデレしてるのはあまり嬉しいことじゃない。
でも、デレデレしてる対象は彼女の持ってる人形であって、彼女そのものではない。
だからギリギリOK。寛大な心で許そう。
そんなことより、難しいのは犬猿の仲とも言われる嫁と姑の関係だ。
相沢母は一連の栞の用意周到さに一つの確信を抱いた。
この子となら、いい嫁と姑の関係を築けるに違いない、と。
これはもうキープ確定だ。逃す手はない。
「栞ちゃん、どこでうちの夫の趣味知ったのかしら?」
「この日のために祐一さんからさりげなく聞き出しましたっ」
「その恋にかける情熱、ますます気に入ったわ。でもいいのかしら? 親が言うのもなんだけど、あなたみたいな子がそこまで真剣になる価値なんて祐一にあるのかしら?」
「そんなことないですよ。私、祐一さんのこと大好きですから」
「あらそう。どうやら、余計なお世話だったみたいね。祐一のこと頼むわよ」
「はいっ、お母さん」
「んー、いいわねえ。『お母さん』だなんて。言葉も丁寧で、こんな子が欲しかったのよ。それに比べて祐一は……」
「仕方ないですよー。祐一さんは男の子ですし、反抗期ですから」
にこにこと談笑を続ける栞と、溜息をつきながらもどこか楽しそうな相沢母。
その妻の隣には、長年待ち望んでいた角折れバファローマンのフィギュアに我を忘れてほお擦りしてるキモい奴一名……もとい相沢父。
だが、父も母も、もはや思いは一つだ。すなわち――。
『是非この子を息子の嫁に!』
ああ、なんと素敵な夫婦の一致かな。これだから夫婦は素晴らしい。
こうして、わずか一時間にも満たない間に、栞は相沢・美坂両家の親から両親公認の花嫁候補(許婚?)の地位を獲得してしまったのだった。
――というようなことがあったらしいが、当時の俺はまったく知るよしもなかった。
外堀から埋めるなんて、なんて恐ろしいやつなんだろう。
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【後書】
妹の経緯が明かされたところで、一応連載としては終了ということに。
以降は気が向いたらパトスをぶつけていく短編連作でやっていこうかな、なんて思ってます。
ここまでお付き合い下さった方々、ありがとうございました。
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