運命の悪戯とはよく言った言葉である。
 彼女はただ強く願い、それはそこに現れた――ただそれだけのことだ。
 だが、それだけで予想もしないことが起こる。
 一つの細胞に三十億個と言われる塩基の配列が僅かに違うだけで私が私でないように、運命もまたそのようなものなのだ。
 何故なら、それはあまりに偶然でまぐれ過ぎて、理屈では起こることが考えられないものだから。
 でもそれは本当に起こったこと。
 何百億、何千兆という可能性から、この一手を選んだ者は誰であろう?
 そんな不思議を私達は神と呼ぶのかもしれない。












最果てより世界におくる、この物語を

Page 1 「革命前夜」












 ―――夜、公園。


 このようなところに近づくのはよほどの呑気者か浮浪者くらいのものだろう。
 人通りは少なく、通り魔や痴漢が事を成すにはこれ以上もない環境が整っている。
 女性は言うまでもなく、男性も立ち入るに好ましい場所ではない。
 誰にも邪魔されない寝床としては、屋根がないことを除いてまあ悪くないところだ。
 泊まる場所がないなら利用するのも選択肢として取っておいてよいかもしれない。

 その公園の中心にある噴水。
 そこに、ナニかがごそごそと蠢き、耳障りな音を響かせていた。
「う…はぁはぁ」
 制服姿から察するに近くの高校に通う女生徒だろうか?
 外灯に薄く照らされたその顔は土気色で、お世辞にもお元気そうですねなどとは言えない。
 少女は何を思ったか、突然噴水の水溜りに頭を突っ込み、貪るようにその水を飲み始る。
 1分、2分、3分――間も置かず、ただひたすらに飲み続けた。
 が、そのまま5分が経過して、少女はむせ返り飲んだ水を滝のように吐き出す。
 それはまるで、飢えた者が誤魔化しに水を飲む行為に似ていた。
 だが、彼女の体は水を受け付けなかったらしい。
 少女は苦痛に顔を歪めて、その場にへたり込んだ。

「辿ってきてみれば…ほう、出来たてか」

 この公園には先ほどまで誰もいなかった。
 少女はそれを確認したからこそ、ここにいたのである。
 いや、ヒトの気配を避けて避けて逃げ回った結果ここに辿り着いたと言うべきか。
 何故なら今、傍にヒトがいたなら胸からこみ上げる何かでおかしくなってしまいそうだったから。
「だれ…」
 気が狂いそうな興奮は起こらない。
 だから自分の傍に近寄ってきた者はヒトでないと少女は直感的に悟った。
 なら、別に興味は湧かない。どうだっていい。
 少女は気だるげに声の主を横目で見た。
 案の定、なにやら得体のしれない黒コートの男が自分を見下ろしている。
 大方とんでもない化物なのだろう。
 グチャグチャした黒のゲルっぽい胴体に首から上だけがついている。
 だが、少女にとってはそんなことどうでもよかった。
 ヒトでないなら別にどうでも――。
 再び顔を背けた少女に男は少々顔を歪めて『ほう』と溜息を漏らした。
 自分が無視されたことが不快でもあり、また面白くもあるといった様子である。

「異な事を言う。認識が足りないようだな、娘」
「分からないわよ、何も…わたしがどうなっているのかも…」
「なかなかに興味深い。しばしの間、見届けさせてもらおう」
「…敵じゃないんだ」

 男の興味深そうに観察する態度と裏腹に、少女はあくまで興味のない態度だった。
 男はそれが不快で面白くてたまらない。

「くっ…う、あ、ああ、ああああああああああああっっ!」
 男を無視していた少女が突然弓なりに体を震わせて吠える。
 少女が必死に顔を背ける反対側には、贄と言う名に変わる哀れな通行人が一人。
 それを確認して男はニヤリと笑んだ。戦いを前に余興を楽しむことを考えて。
「ふむ、些か栄養が足りないと見える。さあ、吸え。その衝動を持って本能を充たすが良い」


「ああ、ああああああああああああっっ!」


 少女の叫びが夜の公園に響き渡った。


















「…来ないな」
「ありえないわ。あいつは絶対来る」
「だけどもう4時過ぎだぞ? 緊張して下痢になったんじゃないか?」
「志貴…あんまりふざけた冗談言うなら頭吹っ飛ばすわよ」
「うわ、冗談だって。マジで睨むなよ」
「冗談を言える状況だと思ってるの?」

 ――ガタンゴトン

「…始電だな」
「…嘘」
 明朝4時半、公園に立ち尽くす二つの影。
 アルクェイド・ブリュンスタッドと遠野志貴、二人がここでまみえるはずだった敵はついにその姿を現さなかった。
 彼らが来る前に敵はここに姿を現し、去っていったことなど彼らが知るよしもない。

「厄介なことになりましたね」
「誰だ!?」

 突然、上から聞こえた声にナイフを手にした志貴が振り向く。
 彼の同伴者であるアルクェイドの方は何を今更と言わんばかりに無関心にそっぽを向いていたが。
「シエル先輩……?」
 志貴の前に上空より舞い降りたのは、よく知る学校の先輩だった。
 だが、見慣れぬ法衣に身を包んでいるその姿を見て彼は言葉に詰まる。
 彼女はいったいぜんたい何者なのかと当然の疑問が湧いたわけだ。
「構えないで下さい。敵ではありません。アルクェイド・ブリュンスタッド、今のところ貴女に対してもです」
「ふぅん。貴女があいつを殺ったってわけじゃなさそうね、代行者。ま、そうでなければわたし達を物陰からこそこそ観察する道理もないか」
「どういうことなんだアルクェイド? それに代行者って一体?」
「この女はわたし達とネロを潰し合わせて、残った方を始末する気だったのよ。それと見れば分かるでしょう、こいつは教会の退魔組織の犬よ」
「失礼ですね貴女は。遠野くんが危険な目に遭いそうなら即座に飛び出していくつもりでしたよ。もっとも、貴女とネロ・カオスが潰し合う分には好都合でしたけどね」
 ひょっとしなくても二人の仲は険悪なのは志貴の目にもあからさまだった。
「ちょっと志貴、どこ行くつもりよ」
「いや、俺こういう雰囲気苦手だし、そろそろ眠いから帰ろうかな…なんて」
「遠野くん、あなた何考えてるんですか。何の為にわざわざ私がこの吸血鬼の前に姿を見せたと思ってるんです?」
 遠野志貴は考える。そして一つの結論に達した。
「…俺のため?」
「決まってるじゃない。わたしがこの女の顔見て喜ぶと思う?」
「その通りです。私がこの吸血鬼と協力なんてありえないことですから」
 ……結構気が合ってそうだけどな、とは言えずにただ頷くだけの志貴。
 男の子としては少し情けないと思います。
「状況は分かってますねアルクェイド。ネロ・カオスは姿をくらました。しかし確実に生きてます。むしろ状況は最悪と言った方がいいでしょう」
「そうね、奴はいつ襲ってくるか分からない。そんな中でわたしも貴女も『仕事』をしなきゃならない」
「ええ。おまけに遠野くんも狙われたままです。諦めてくれたと考えるのは早計でしょう。もっとも、誰のせいでそんなことになったのかは言うまでもありませんね」
「シエル、言葉には気をつけなさい。少しは寛大になろうとしているわたしの気が変わらないとも言い切れないわよ」
 いや、俺のせいなんだけど……とは、二人の剣幕に押されてやっぱり言えない志貴。
 彼はとことん修羅場に弱かった。
「それは失礼しました。そういうわけで、不本意ですがここは停戦としませんか?」
「停戦? 何言ってるのよ、最初からわたしは教会と戦ってないわよ。貴女達が仕掛けてくるだけじゃない」
「細かいことは置いておきましょう。今は遠野くんの安全が第一、違いますか?」
「…分かったわ。わたしとしてもこれ以上志貴に負担は強いれない」
 どこにその慈愛の基準があるのか問い詰めたい志貴だったが、そこは我慢する。
 ある意味彼が三人の中で一番大人かもしれない。

 結局、何やら彼がよく分からぬままに、傷の癒えていないアルクェイドが志貴のお守り、シエルが吸血鬼の探索という役割分担の協定が結ばれていた。
 勿論、吸血鬼が志貴を守るということにシエルがゴネたりという一悶着はあったが。


「それにしても、あのネロって奴はどこに行っちまったんだ?」
 話が終わり、シエルは去った。そして明け始めた空を眺めながら志貴が独り言のように呟く。
 事実、ネロにとってアルクェイドの弱っている今夜は最大の好機だったはずだ。
「さあ、何かわたしよりも興味のあることを見つけたんじゃない?」
 対するアルクェイドは不愉快そのものだった。
 あれだけ露骨な挑戦状を叩きつけておいて現れぬとは、前日に誇りの高さを垣間見せた敵らしくもない。
 真祖である自分以上に興味のあるものを見つけたかと思うと、彼女の誇りの方がいたく傷つけられたようだ。



 ―――それから数日。
 街を騒がせていた吸血鬼事件は完全になりを潜め、不気味に静かな平和の時が流れてゆく。




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