―――路地裏。

「ごめんね、おじさん。やっぱりわたしには無理だよ。せっかく力をくれたのに」
「何に怯える? 汝は比類なき力を得たのだ、恐れる必要など無い」
 さつきには分からない。
 何故ネロが自分の窮地を救ってくれたのかも、自分に全てを与えてくれたのかも。
「おじさん、どうしてわたしなんかと同化したの? このままだとわたしはまた……」
「否。既に汝は死徒にあらず。同時にまた、汝は血の一滴もすすることもかなわぬ」
「……え?」
 不思議そうに自分の体を見つめるさつきの体よりくっくっくと笑い声が漏れる。
「理解せよ、汝は死徒の力を持った人間だ。我と一つになった時からな」
「……そうか、そうなんだ。それでお日様の光が痛くなくなったんだね」
 以前のさつきならネロの言葉を理解出来なかっただろう。
 だが、今のさつきはネロの力も知識も受け継いでいる。
 ゆえに、吸血種としての自分がどれほど特殊な立場にいるのか瞬時に理解した。
 本来さつき自身の魂は吸血鬼の毒に犯され、完全に吸血鬼に成り果てる筈であった。
 ところがネロという完全な吸血鬼の魂がさつきの体に入ったことにより、さつきの魂にまとわりついた毒素は全てより強く、濃いモノ、すなわちネロの魂に引き寄せられることになる。
 つまり、これによってさつきの体には人間の魂と吸血鬼の魂の二つが共存することになったのだ。
 そして、元々の体の持ち主さつきは人間であることを強く望んでいる。
 ゆえに彼女は人間でありながら死徒たりうるのだ。
 彼女は生存のために血を必要としない。ただ、失った力を補充するためにのみ血を必要とする。
 いや、正確には彼女は人間の血を飲むことができないのだ。
「人間の血は汝を滅ぼす凶刃と知れ。汝を支える理は瞬時に失せ、塵芥と化すぞ」
「分かってるよ。でも困ったなあ……あれを抑えないと遠野君には会いにいけないし。血を吸わなきゃあれは収まりそうにないし」
 血を必要としない死徒。そこまではネロも計算のうちだった。
 だが、それも完全ではない。
 失った力を回復させるために血が必要なのだ。
 そして、さつきは不老という死徒としての力を常に使い続けている。
 それゆえ、血を全く必要としないというわけにもいかないのだ。
 もっとも、生命維持に血を必要としないというだけでも恐るべき能力だが。
 乾き続けることが死徒を超える条件であり、血を吸わねば力を消耗する一方。
 この矛盾を解決しないことにはネロがさつきと同化した意味などない。
 だが、そこがネロの狂気だった。
 彼はその答えを体の主であるさつきに探させることにしたのだ。
 もとより自身を捨てて666もの使い魔と同化した男である。
 今更彼が自己意思に拘る理由などなかった。
 彼は常に観察者の立場であり、今回も面白そうな客席を選んだに過ぎない。
 彼は主演者ではなく、常に客体であった。

「ねえ、おじさん」
「何だ?」
「血は人間以外じゃ駄目なのかな?」
「なんだと?」
「あっ、ごめんなさい。やっぱり無理…だよね」
 同化前に会ったネロにギロリと睨まれたように感じて体を震わせるさつき。
 だが、ネロの気持ちはそれとは正反対のものだった。
「話せ。何を喰らうつもりだ?」
「う、うん。昨日遠野君のところに駆けつけた白い人。あれ人間じゃないんでしょ? だったら……」
「…クッ……ククッ…ハハハハハハハハッッ!」
「お、おじさん?」
「ヤツを狙うだと? これが笑わずにいられるか」
「やっぱり、ダメかな?」

 しょんぼりするさつきにひとしきり笑ったネロは静かに告げる。


「やってみるがいい」














最果てより世界におくる、この物語を

Page 3 「四時の悪魔」














「ふん、ふん、ふーん」
 鼻歌まじりにスーパーマーケットからビニール袋片手に出てくるのはアルクェイド・ブリュンスタッド。
 その様子はどう見ても陽気な外国のお姉さんにしか見えない。

「なゆちゃん、何見てるの?」
「ほら、あゆちゃんあれ」
「わ……あの白いお姉ちゃん、きれいだね」
「うん、この前読んだお話に出てくる天使さんみたい」

 通りすがりの小さな女の子たち、彼女は天使じゃなくて吸血鬼なのよ?
 当の白いお姉さんは褒められてさらに有頂天、スキップまでしはじめる。
 それはもうこれでもかというくらいに目立ってた。

「あ、いけない。もうすぐ夕方か。早く帰らなきゃ」

 道端に備え付けられた時計をはたと見て、家路を急ぎ始めるアルクェイド。
 でもやっぱり彼女はルンルン気分だった。


 彼女が楽しそうな理由はただ一つである。
 志貴との生活は敵から自分を守るため、最近は転じて志貴の命を守るためであった。
 それはあくまで契約的なものであり、原因が消滅すれば終わる関係である。
 ところが、その最中に彼女のとった行動が彼女に一つの心境の変化をもたらしていた。
 端的に言うと、彼女は志貴に手料理を出してやったのである。
 彼女自身は吸血鬼、それも真祖という奇跡のような存在のため食事を取る必要がない。
 だが、人間ははるかに下等な種族だ。
 食事をしなくては飢えてしまう。
 だから彼女は同居人のために仕方なく知識としてだけ身につけていた料理の腕を振るってみたのである。
 しかし、それを口にした志貴の反応たるや無言でそれを腹に収め、箸を置いたかと思うと微笑んで『すっげえうまいよアルクェイド。ありがとう』である。
 真祖の姫君はこの笑顔にオチた。彼女が女なのは外見だけではなかったということだろう。
 いや、無論、真祖ともあろう者がそんな馬鹿げた理由でこうもはしゃぐわけはない。
 彼女は自分の作った物を人に喜んでもらえたのが予想外であり嬉しかったのだ。
 そして、そこに楽しみを覚えてしまった。
 元々彼女の場合、人間を下らないと思っているわけでなく、単にその世界と隔絶して暮らしてきただけである。
 言い換えれば、人間以上に純粋な女の子なのかもしれない。
 そんなわけで、今日もアルクェイドは志貴に何を食べてもらおうかと考えて空想に胸を膨らませているのだった。
 本人は気付いていないようだが、それは日に日に悪化している。
 豊富なレパートリーからどのメニューを選択するかに始まり、果ては食材の目利きまで。
 ただ知識として彼女に記憶されているだけだったはずのそれらは、彼女の中で華々しいまでに花開いていた。



 もっとも、いくら浮かれているとはいえ、敵の存在を忘れるほどまで呆けているわけではない。
 およそ真祖に似つかわしくない行動はあくまで昼間の姿。
 一旦日が暮れれば、彼女の戦闘本能は瞬時にして覚醒する。
 それに志貴の前に敵が姿を現わしたのは前日のことだ。
 しかし、そんなアルクェイドでも想像だにしなかっただろう。
 よもや日も暮れぬうちから敵の訪問を受けるなどとは。


「来たわね、真祖」
 通りがかった夕刻の公園。
 突然目の前に現れた少女にアルクェイドは足を止める。
 何の変哲もないそこらの学校の女生徒。
 だが、それは確かに彼女のことを『真祖』と呼んだ。
「誰?」
 ギロリとそれを睨みつけた彼女の頭に昨日の志貴との会話が思い浮かぶ。
 志貴の前に現れたネロはネロではなかった。
 彼が言うには、彼のクラスメートの姿をしていた……と。
「まさか……貴女が」
「いかにも」
「…ネロ・カオス」
 さつきの腹部に浮かび上がるネロの顔、アルクェイドはそれにいささか驚愕した。
 志貴の言ったことを信じなかったわけではない。
 だが、本当にネロが自らを捨てるような真似をしたなどと到底信じられなかったのだ。
 だがそれも一瞬のこと。敵を前に隙を晒し続ける彼女ではない。
 さっきより厳しい目つきでネロの顔を睨みつける。
「出来立てのくせにわたしの前に現れるなんて、勝算でもあるの?」
「分からぬ。ここに現れたのは娘の意思なのでな」
 勝算などあるはずがない。
 アルクェイドは既に体調も万全、しかもまだ日も落ちていない時間である。
 死徒が出歩くなど自殺行為のこの時間に最強である真祖と戦って勝ち目などあるはずもない。
 おおよそ正気の沙汰でもなかった。ましてやそんな娘に混沌を継がせたネロも。

「ねえ、ちょっと」
「何よ?」

 黙ってアルクェイドとネロの会話を見ていたさつきが苛立たしげにアルクェイドに呼びかける。
 アルクェイドはうざったそうにそちらを振り返り、そして驚いた。
 その目には微塵の敗北もない。さつきはアルクェイドに負けるなどとこれっぽっちも信じていなかったのだ。

 ありえない、一体その自信はどこから湧いてくる?
 それとも本当に気が触れているの?

 アルクェイドの中の闘争本能が危険を告げる。
 この目をした相手を侮るのは危険だと。
 たとえどれほど彼我の差があろうとも。
「どこを見てるのかな? あなたに話があるのはわたし。おじさんじゃないんだからね」
「くっくっく、どうやら我は邪魔のようだ。消えるとしよう」
 さつきの腹部よりネロの顔が消える。
 これで、その場に向かい合うものはさつきとアルクェイド、その二人だけとなった。
「話って何よ?」
「あなた、遠野くんの何なの?」
「遠野? ああ、志貴のこと。何って、ただ守ってあげてるだけよ」
「嘘! じゃあその買い物袋は何? あの嬉しそうな顔は何?」
「な、何って……夕飯の用意よ。別に嬉しくたっていいじゃない」
「良くない!」
 さつきの気迫に押されて、思わず後ずさるアルクェイド。
 そこに強い真祖の姿はなく、あるのは初めての修羅場に怯える女の子の姿だった。
 殺す、殺されるだけが全てだった彼女にとってこのような感情をぶつけられるのは初めてのことだ。
 慣れていない。彼女は純粋すぎる。
 だから、その歪んだ感情に理解できないという恐れを抱いた。
 戦いを忘れて隙を見せてしまうほどに。
「なんで名前で呼んでるのよ! ずっとわたしは遠野くんのこと見てたのに。許せない、ゆるせない、ユルセナイ、URUSENAI!」
「わ、わたしは別に……その」
「あなたなんかに渡さないんだから!」
 わけも分からずうろたえるアルクェイドの首めがけてさつきの腕が飛ぶ。
 それは正確に喉元を捕え、彼女の細い首を締めつけ釣り上げた。
「あははは、死んじゃえバケモノ」
「ぐ…あ…あ…」
 メキメキと嫌な音を立てる首。その音でアルクェイドは我に返った。
 そして、自分とさつきが敵の関係にあることを完全に認識した。

 コ ロ シ テ ヤ ル 

 回路が入ってからの攻防は一瞬だった。
 腹部に蹴りを入れ、束縛を振りほどくアルクェイドに吹っ飛ぶさつき。
 腕を振るい抵抗を試みるがそれも数度の足掻き。
 瞬く間に何度も地面に叩きつけられ、さつきはアルクェイドを見上げる形、つまり馬乗りにされていた。
 両手を押さえ込み、完全に相手の自由を奪ったアルクェイドが嗜虐的な笑みを浮かべる。
「やってくれたわね後継者。簡単には殺さないわよ」
 首にくっきりと浮かんだ痣。
 ろくな力も持たない相手にそんな真似をされたことにアルクェイドは激怒していた。
 いや、本来の彼女ならこんなことをせず即座に首をはねていたことだろう。
 やはり、志貴の話題を出されたことが彼女にも何らかの心境の変化をもたらしていたのだろうか?
 さつきの顔をその爪で切り刻まんとアルクェイドが腕を振り上げる。

 目覚めはまさにその一瞬のことだった。

 わたし、死ぬの? 殺されるの? こんなところで、こんな女に?
 こんな惨めなバケモノの出来損ないのままで?
 遠野くんに何も伝えられないまま……。
 イヤダ。いやだ。嫌だーーーーーっ!
 危険本能が生への渇望を呼び、生への渇望が力を目覚めさせる。
 新祖サツキ・カオスとしての、内に宿した混沌を操る力を。
「待っていたぞ、この時を」
 その胎動の中心にいる男は誰に知られるともないそんな歓喜の声をあげる。
 ネロ自身は自らの混沌を操ることが出来なかった。
 自らに纏わせ、ネロ・カオスという群体を構成することまでしか出来なかった。
 だが、群体はそれ一つで個とも言える。
 より高位の、素質を秘めた素体に自らを一個の使い魔として宿らせれば……ネロ・カオスであったものはそう考え、そして弓塚さつきと同化した。
 彼のその目論見は、今この場で実りを上げる。
 真祖の姫が咲かせる血の花をもって。


 夕日を背景に鮮血が舞い散る。
 かつては白だったモノが真っ赤に、黒いものを全身に突き立てて地面に転がった。
 薄ら笑いを浮かべ、ゆっくりと体を起こす少女。
 頬についた姫の返り血を舐め、産声を上げたばかりの悪魔が呟く。
「あなたの血、おいしいね。真祖のお姫様」


 全身を無数の黒い刃で貫かれ、地面に転がったアルクェイドは唖然としていた。
 ただ貫かれただけ、その傷自体は彼女にとって大したことではない。
 問題は、敵の使った能力のことだ。
 何もないはずの空間から無数の刃が現れ、それが彼女を貫いた。
 人間相手なら一瞬で致命傷だろう。だがそれも問題ではない。
 肝心なのは、その力が彼女の最強たる所以のその力にあまりに酷似していたということだ。

 唖然とするアルクェイドを尻目に、さつきは彼女に突きたてた刃を全て抜き去り、そこから滴る血を彼女の前で悠然と飲み干してみせる。
 そして、仕切り直しとばかりに距離を取ったアルクェイドに対して背を向けた。
「またねお姫様。次は全部吸い尽くしてあげるから」
「待ちなさい! この期に及んで逃げるつもり?」
「安心して。使いこなせるようになったら力いっぱい殺してあげるから」
 アルクェイドの挑発を一笑に伏し、去っていくさつき。
 アルクェイドはその後を追うことが出来なかった。
 足止め程度なら容易にやってのける能力と、得体のしれない底力を敵に感じ取ったからである。
 何より、劣悪種として見下されていたという事実が、彼女にかつて感じたこともない威圧感を覚えさせた。




 弓塚さつき。そんな名前の少女は既に存在しない。
 かつてそうであった者は、サツキ・カオスなる新たな生命へと生まれ変わりつつあった。




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