―――弓塚家。
「良かった。お母さん、部屋をそのままにしてくれてる」
家人の出払った家に入り込んださつきは、自室の机を探っていた。
そして、そこから茶封筒を引きずり出す。
「娘、それは?」
「あ、これ? タンス貯金。備えあれば憂いなしだよね」
内なるネロの声に答えながら封筒の中を確認するさつき。
中には五万円と千円札が二枚入っていた。
何に使うにせよ、たいていのことには事足りる金額だろう。
「これでしばらく食費の心配はなし、と」
「ふむ。汝には必要なのだったな。人間とは不便なことだ」
「お日様に怯えて、人様に顔向けできない生き方よりはマシだと思うけどなあ……」
新祖サツキ・カオスは人間がベースとはいえ、人間のように食事を取らなければならないということはない。
しかし、何のエネルギー供給も行わないということは当然にして力を失う。
吸血鬼の場合そこで大量の血液を必要とするのであるが、さつきはそれを人間やその他の動物がごく普通に行う食事という同化行為で代替しうるのだ。
不老のための力により、力の絶対量は刻一刻と減ってゆくが、行使した力の回復ならば人間の血液を必要としないというわけである。
「しかし解せぬ。何故あの時、奴を見逃した?」
「そうだね。確かに、その気になれば勝てたかもしれない。ううん、きっと勝てた」
「ならば何故だ。奴の全てを食らえば汝を苛む衝動は消えうせたはずだ」
「……あは、あはははは」
ネロの問いかけにさつきは突然笑い始めた。
そこに垣間見えた感情は、絶対的な自信。
「だって、もったいないじゃない。あのまま戦ったら、血が飛び散っちゃってわたしが飲めないもん」
「……なんだと」
「あのお姫様の血は一滴残さずわたしがもらう。それにまだわたしは完全じゃない。感じるの、わたし自身の力を取り戻せばあんなの敵じゃないって。きっと遠野くんもわたしに振り向いてくれる」
「娘……汝はまさか親を喰らおうというのか?」
「盗られたものは返してもらわないとね。あの時気付いたんだ。おじさんの力は10割出せても、わたし自身の力は1割も出せてないって。それがどういう意味か、おじさんならわかるよね?」
不敵に笑むさつきの姿に、彼女の一部となったネロは言いようのない恐怖と歓喜を覚える。
「1割……あれで1割だというのか? ならば、汝の力が全て発揮される時この肉体はいかなる可能性を見せると言うのだ?」
「ね、面白いでしょう? わたしもどうなるか分からなくてすっごくドキドキしてる」
進化は約束されている。だがそれは今まで誰も見たこともない未知の領域だ。
あの神が気まぐれで誕生させたとしか思えない真祖すらも侵せない高みへとサツキ・カオスは到達しようとしていた。
「娘、汝の力の所在は分かるのか?」
「んー、よく分からないけどそいつの匂いみたいなのは感じられるかな。そう遠くないどこかにいるね」
「む……この匂いはまさか」
「どうかしたの?」
突然押し黙ってしまったネロの様子を不安そうに窺うさつき。
だが、ネロは次の瞬間唐突に高笑いを上げた。
「…クッ……ククッ…ハハハハハハハハッッ!」
「お、おじさん……?」
「よもやヤツとはな。何たる巡り合わせ、これもまた運命か」
尚も笑い続けるネロにさつきはただきょとんとする。
いったい何がそんなにおかしいのだろうか? よく分からない。
いや、もう既に彼女は自分が何なのかもよく分からなかった。
そろそろ彼女を弓塚さつきと呼ぶのは止め、サツキ・カオスと呼ぶことにしよう。
純粋な彼女の人格は明らかに消えうせたのだから。
「急げ娘。真祖の姫も教会もヤツを狙っている。今を逃せば次はいつになるか分からんぞ」
「そうだね。力を返してもらって、邪魔なお姫様をやっつけて、早くうちに戻らないと。お父さんもお母さんも心配してるしね」
くすっ、と赤みを帯びた瞳を輝かせてサツキは『行ってきます』と誰もいない家に向かって頭を下げた。
親食い――教会ではそれを神への冒涜と呼ぶ。
最果てより世界におくる、この物語を
Page 4 「絶望の宴は今から始まる」
「それで、ネロ・カオスは弓塚さつきと同化して遠野くんと貴女を襲ったというわけですね」
「んー、志貴の話だとそういうことになってる」
昼時のファミリーレストランは盛況だ。
休日だったりするとそりゃもう家族連れなんかで賑わってて、『よーし、パパ大盛りに頼んじゃうぞ』とか陽気な声も聞こえてくる。
そんな中、シエルは苦虫を噛み潰したような顔でカレーライスをすくい、その向かいに座ったアルクェイドはオレンジジュースにストローを突っ込んでブクブク泡を立てて遊んでいた。
「人を馬鹿にしてるんですか貴女は!」
いい加減痺れを切らしたシエルがバンッと机を叩く。
何事かと周りの目が二人に集中した。いや、もとよりファミリーレストラン、略してファミレスには似つかわしくない金髪美女のアルクェイドがいるせいで目立っていたのだが。
周りの視線に気付き、慌ててシエルは頭を下げる。
「す、すみません。お騒がせしました」
「まったく、シエルってばマナーがなってないんだから」
子供みたいな真似をして遊んでるお前にだけは言われたくない。いや、いつかコロス。
こみ上がる殺意を必死に抑えながら着席するシエル。
彼女は現在、色んな意味で不機嫌最高潮だった。
「だいたいなんですかそれは。それに貴女自身襲われて混沌を見たのに何故他人事なのですか」
「だって面白いし。それにわたしは弓塚さつきなんて知らないもん」
シエルをあっさり斬り捨て、アルクェイドはブクブクブクー、とまた気泡を噴出する。
シエルの怒りのボルテージが上がったのは言うまでもない。
何で私はこの女とこんなところで呑気にランチしてるんですか? ああ、お互い人がいるところなら少しは自制がかけられるからでしたね。
ていうかよく考えたら敵同士じゃないですか私達は。
なのにこの女ときたらどんどん会うたびにだらけてきて、本当に遠野くんをちゃんと守ってるのでしょうか?
いえ、そのことに関しては遠野くんからしっかりしてると聞いてるので間違いはないでしょうが、そもそも間違いがあったら今すぐ役割を交代してもらいます。
まあこの女吸血鬼がだらけるのはむしろ好都合です。いざとなれば寝首をかくチャンスが増えるというわけですから。
にも関わらず以前にもまして、こう、何て言うかムカつくのは何故でしょうか?
ああ、そうか、わかりました。何女の子ぶってるんだこのバケモノってわけです。
だいたい、私だってあんなことがなければ本当は年相応の女の子だったはずだったんです。
普通に生きて、笑って、恋して……なのにこの馬鹿女が作ってくれた吸血鬼のせいで私の人生は滅茶苦茶になって、教会で実験動物のように扱われて……。
私がずっと苦しみ続けているのはすべてこいつのせいだというのに……!
以上、シエルさんの怒りの推移でした。
「アルクェイド、貴女まさか遠野くんに恋しちゃってるとか馬鹿なこと言いませんよね?」
「えっ!?」
「何素っ頓狂な声上げてるんですか。周りが見てますよ」
目を大きく開けてびっくりするアルクェイド。
自分の行動が他人の目にどう見えるか自覚はないのかとシエルは呆れる。
「そっか……これが恋っていうんだ。ふぅん」
そして、胸を押さえて感慨深げな感想を漏らしているアルクェイドを見て、余計なことを言うんじゃなかったと後悔。アルクェイドの胸中にあった何らかの感情を恋という勘違いに変えてしまった。
これ以上下手なことを言うと更なる薮蛇を招きかねないので、シエルは諦める事にする。こうなった以上、話を本題に戻すより他ない。強制的に、だ。
「アルクェイド、貴女本当に今何をすべきか忘れたわけじゃないでしょうね?」
「はぁ? 覚えてるわよ。シエルがあいつを見つけ出して、わたしが志貴を守るんでしょう?」
何を今更、と顔をしかめてシエルを少し睨み付けるアルクェイド。
その反応にシエルはびくっとした。驚いて当たり前だろう。
いつでも殺せそうなくらいにだらけきってた相手が、今見せているのは紛れもなく獲物を狙う猛獣のそれだったのだから。
「腑抜けてはいなかったのですね」
「当たり前じゃない。昨日わたしは全身串刺しにされたばっかりなのよ。今度会ったらただじゃ済ませないわ」
「それを聞いて安心しました。いえ、立場上安心するべきことではないですが」
「ふん、どうせ今ならわたしを殺れるとか甘いこと考えてたんでしょう? お生憎様、わたしはそこまで馬鹿じゃないわよ」
腕を組み、ふんっと挑発するように鼻を鳴らす吸血鬼に図星をつかれてムッとする心と、どこか相手が今までのままでいてくれたことにシエルは安堵を感じる。
が……。
「ああ、それはそうとさシエル」
「はい?」
「今度わたしの作った料理食べてみない?」
にぱっと微笑んで食事に誘う女吸血鬼の姿に、今度こそ堕落をはっきりと感じて言葉を失うシエルだった。
「貴女はどこまで本気でどこまで冗談なんですか!」
「あーもう、汚いなあ。飲み込んでから喋りなさいよ、その茶色いの」
「ちゃ、ちゃ、茶色いのって何ですか、下品な! これはカレーって言うれっきとした食べ物です!」
「そう、それよ」
「……は?」
突然シエルを指差し、真剣な顔を見せるアルクェイド。何事かとシエルは一度噴火した頭を努めて冷静にクールダウンする。
「戦うとか殺すとかさ、そんなのばっかりで楽しい? 今の貴女、戦いでは見せない顔をしてたわよ」
「……何を言ってるのですか?」
「わたしは今までそんなこと疑問にも思わなかった。けどね、志貴にわたしが作った料理をおいしいって言ってもらった時にね疑問に思ったの」
諭すように語るアルクェイドの顔は穏やかだった。
彼女が殺戮人形であるという事実を忘れるほどに。
「嬉しくてもいいんじゃない、楽しくてもいいんじゃない? ってね。早い話が飽きたのよ、今までの生活に」
「あ、飽きたですって?」
「もちろんロアや死徒を殺すことは諦めてないわよ。だけどそんなのちっとも楽しくない。志貴に喜んでもらえた時の方がずっと楽しかった」
「アルクェイド……貴女は……」
「シエルはどうなのよ? 今の生活楽しい?」
「楽しいわけないでしょう! 私がこうなったのは誰のせいだと思ってるんですか!」
ガタン、と激しい音を立ててシエルが椅子から立ち上がる。
既に彼女達はレストラン客全員の注目を浴びていた。
「じゃあ止めればいいじゃない」
「……は?」
「だから、止めちゃえば? ここは最果て、貴女を縛ってる教会の力なんて知れてるでしょう」
「そ、そんなこと出来るわけないでしょう!」
「ふぅん。ま、わたしを敵だと思ってるなら動揺くらい隠しなさい。ついでに場所も考えたほうがいいんじゃない?」
「あっ、う……」
大勢の注目を浴びてることに気付きシエルはのそのそと席に座る。
とんだ醜態だった。しかも、気がついたら敵に手玉に取られているという体たらく。
「ですが、私は教会を抜けるわけにはいきません。ロアを滅ぼさない限り私は死ねないままです」
「何が不満なのよ。死なない体なんて死徒が聞いたら喜ぶわよ」
その言葉にシエルは再び激昂しかけるが、それを必死に押さえる。これ以上の醜態を晒すわけにはいかない。
「……貴方達化け物と一緒にしないで下さい。私は、私は……人間です。死ねないなんて異常なんです」
俯き、震えながら声を出すシエルの頬に涙が一筋。
アルクェイドはそれを見て気まずそうに視線を外すと席を立った。
「勘定、わたしが済ませてくるわ」
アルクェイドの言う通りだった。
シエルを縛り付ける教会の力もこの無宗教国日本では微々たるもの。
今回の派遣任務は言ってみれば教会を離れるチャンスだ。
もとよりシエルは自らの体を切り刻んだ教会を憎みこそすれ、忠誠を誓う心など欠片もない。
死ねない体だから教会で酷い目に遭わされた。当時の自分にはそれを逃れる術はなかった。
死ねない体でなくなれば彼らも自分に興味を示しはしない。苦痛もいつか終わる。
そう思ってシエルは元凶のミハイル・ロア・バルダムヨォンを滅ぼすことを考えてきた。
だが、シエルの本来の目的は蛇の娘として教会に束縛されていることからの解放である。
ロアを滅ぼすより、法王庁から見て最果てのこの地で消息を断ってしまう方が目的達成のためには最速かつ合理的だった。
任務を果たして帰還したところでどんな目に遭わされるか分かったものではない。
アルクェイドとの定期連絡を終えたシエルは、そんなことを考えながら滞在先のアパートへの帰路についていた。
若干の睡眠を取ったあと法衣に着替え、今日も死者を狩り出さねばならない。
十日ほどの見回りで随分たくさんの死者を狩った。街から吸血鬼騒動がなりを潜めたのはシエルの功績である。
そして、死者を操る大元の死徒、彼女とアルクェイドにとって因縁の敵でもあるロアの所在もほぼ限定されつつあった。
はた、とシエルが足を止める。
『ラ・ボエーム』
シエルの視線の先にはそんな小さな街角のパン屋があった。
そこからバターとイーストの香ばしい匂いが漂い、シエルの鼻腔をくすぐる。
ふらふらとその香りに誘われ店内へと吸い込まれていくシエル。
そして、来客に愛想よく挨拶をする少し禿げ上がった店主の前に立って言った。
「パンを焼かせてもらえませんか?」
……と。
はじめ何のことかと面食らった店主だが、シエルの出で立ちから留学生であると思い込み、故郷のパン屋のことを思い出したという話に胸を打たれた彼は人のよい笑顔を浮かべて彼女を工房に案内した。
シエルは素直にお礼を言い、無心になってパン生地をこねた。
遠き日のことを思い浮かべながらただ無心に。
当時彼女は何も知らないただの少女だった。
失った日々が自分にとってどれほど幸せだったかを彼女は改めて知る。
それが今の自分にはもう二度と望めぬことであることも。
「また寂しくなったらおいで」
そう言ってくれた店主に礼をし、焼かせてもらった焼き立てのパンを片手にシエルは店を出た。
教会など去ってこの国で暮らすのも悪くはない。
そう思えば思うほど、自らにかけられた呪いが憎らしくなる。
教会から去ったところで、死ねない体のままでどう人間として生きろというのだ。
今のパン屋にしても、もう二度と足を踏み入れることはないだろう。
ロアを滅ぼし、この身にかかった呪いを解かないことにはシエルの居場所など教会しかない。
曲がりなりにもそこは彼女を受け入れてくれているのだから。
ロアを滅ぼす、そして教会から去る。それが成就するならアルクェイドのことなどもう知ったことか。
彼女の中にはそんなおぼろげな決意が形を成しつつあった。
アルクェイドの中に生じた女の子らしさを見せられて、シエルもまたそうであった頃の自分に戻りたい、そう感じていたのだろう。
二人の利害関係は必ずしも一致していない。
だが、二人はもはやかつての『敵』同士足りえなかった。
今回、戦いを抜きにして何度も顔を合わせ相手の意を汲むうちに二人の中でお互いに対する認識が変わりつつあったのだろう。
ざ――と地擦りの音が響く。
顔を上げたシエルは一瞬にして顔を強張らせた。
「初めましてなのかな? シエル先輩。それとも、代行者と呼んだほうがいい?」
代行者、死徒の間では『教会の犬』を意味する言葉に虫唾が走るのを覚えるシエル。
あんな場所のことを今は考えたくはなかった。そこに自分が属しているという事実も。
「弓塚さつき……貴女ですか」
「ふーん、どうやらその様子だとあのお姫様に入れ知恵されたみたいだね。ところで、探し物は見つかった?」
「探し物?」
「あなた達も探してるんでしょう」
「何を……まさか!?」
ふふふ、と不気味に笑い、サツキがシエルに近づく。
「ねえ、先輩。教えてくれないかな? ミハイル・ロア・バルダムヨォンはどこにいるの?」
「だ、誰が貴女なんかに言うものですか! そんなことを知ってどうするつもりです?」
「つれないなあ、嘘とはいえ先輩後輩のよしみじゃないですか」
「貴女のような後輩を持った覚えはありません。去りなさい、吸血鬼」
「では代行者よ、姉妹同士ならば何とする」
くっくっく、と嫌な笑いを浮かべてサツキの腹部にネロの顔が現れた。
「あなたは……あなたがネロ・カオス!?」
「その名で呼ばれていたモノの一部と言うべきだな。だが、そんなことは瑣末事よ」
再び笑いを残してネロはサツキの内部へと溶け込んでゆく。
「邂逅を喜べ。人にして魔なる蛇の娘達よ」
と言い残して。
「あはは、そっか。わたし達、姉妹ってことになるんだよね、お姉ちゃん」
「だ、誰が!」
「今夜お父さんに会いに行くから、わたし」
「なっ!?」
冷静さを失ったシエルは気付かなかった。サツキの言葉が策略であることに。
動揺を見せたシエルの姿を見てサツキがほくそ笑んだ。
「ふふ、まだ見つけてないみたいだね。それを確認できて安心したよ」
「ぐっ、ハメましたね。ですが、もう数日中には見つけ出します。貴女が何を企んでいるのかは分かりませんが……」
「あっはっはっは。ありがとう、お姉ちゃん。そこまで喋ってくれるとは思わなかったよ。それじゃあね」
最後に大笑いをすると、サツキはシエルの前からあっという間に走り去っていった。
シエルは己の失策を悔いると同時に恐怖した。
代行者を前にまったく恐れた様子のない態度、いや、自分を相手にすらしていなかった。
そんな恐怖は真祖であるアルクェイドと対峙した時ですら感じたことがない。
そう、それはまさに神ごとき絶対的なモノの余裕だった。
ごくん、と唾を飲み込み、シエルは全力で駆けた。
今まで敵として何度も刃を交え、朝に晩に憎んできた人物の元へ。
――アルクェイド、手を貸してください! 何か、何かとてつもなく嫌な予感がします!
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