―――夜、公園。

「おっそいなあ、シエル」
「約束の時間は11時なんだろ? まだ15分もあるぞ」
 噴水の縁に腰掛けてぶーたれる金髪の美女と、それをなだめるごく普通の青年。
 この二人が今から命のやりとりをしに行くなどとは誰も思わないだろう。
 ほとんど友人同士つるんで街に繰り出す若者のノリである。
「遅いー」
「15分くらい我慢しろよ……」
 堪え性のない相棒に志貴は溜息をつく。
 十日ほど前ここで敵を待ち受けた時とは随分な態度の変わりようだった。
 まあ、彼女に心境の変化をもたらしたのは溜息をついている彼なのだが。

 しかし、アルクェイドの落ち着きのなさは、決してそれだけが原因でもなかった。
 あたりを少し眺めていた志貴が彼女に視線を戻した時、その異変に気付いた。
「アルクェイド、どうかしたのか?」
 噴水の縁に腰掛けていた彼女は、さっきとはうって変わってしんと黙り込んでいる。
 そして、自分の右手をただじっと見つめていた。
「アルクェイド……?」
 反応がないのでもう一度声をかける志貴。
 すると、今度は反応があった。
「あっ、ごめーん。何?」
「いや、体調でも悪いのか?」
「まさか。人間じゃあるまいし」
「そっか。ならいいんだけどな」
 にへらっと笑顔を見せる彼女を不審に思いつつも志貴は納得しておくことにした。
 これから探す相手は彼女の宿敵だと彼女に聞かされている。
 その敵を前に、さすがのアルクェイドも武者震いをしているのだろう、と。
 が、彼はそこでもう一つおかしなことに気付いた。
 以前の彼女はこんな場面で、あんな明るい笑顔を見せる人物だっただろうか?
 どうにも胸にしこりのようなものが残る志貴だった。

「お待たせしました」

 と、そこに待ち人の声がかかる。
「遅いわよシエル」
「すみませんね。人間は貴女と違って裸一貫で戦う生き物じゃないんです」
 遅れた理由とばかりに、担いできた大きな包みをドサッと地面に置くシエル。
 そこには幾振りもの刀剣やナイフに混じって、一際大きな鉄の塊が真ん中に腰を据えていた。
「第七聖典……やっぱり持ってきてたのね」
「私がロア討伐に派遣された以上当然の備えでしょう」
「それもそうね」
 なにやら自分を蚊帳の外に理解が通じている二人を見て、反応に困る志貴。
 話題になっているらしき鉄の塊を指差して、シエルに尋ねた。
 持ち上げて相手に投げつけたらかなり痛そうだなとか考えながら。
「先輩、この第七なんとかってやつ、そんなに凄い武器なのか?」
 ところが、シエルは志貴と目が合うや否や露骨に顔を歪めた。
 そしてアルクェイドの腕を掴み、茂みへと引っ張っていく。
「……先輩?」
 何がなんだか分からず困惑する、男子学生を残して。


「アルクェイド、何で遠野くんまで連れて来てるんですか」
「連れてきたんじゃないわよ。志貴が勝手について来たの」
「どっちでも同じです。どうして止めなかったんですか」
「止めたけど言うこと聞かなかったのよ。手足を折っとけば良かった?」
「なっ……いいわけないでしょう!」
「シエル、声大きい」
「……どうするんですか、彼」
「連れて行くしかないんじゃないの? ネロ……じゃないんだっけ。まあネロでいいわ。あいつの狙いは志貴みたいだし、だったら志貴を一人で置いておくわけにもいかないじゃない」
「はぁ……とんだお荷物です」
「シエルに背中預けるくらいなら、わたしは志貴の方がまだ安心なんだけど」
「その言葉そっくりそのままお返しします」

 ――カサ。

「おい、二人ともこんな所で喧嘩してていいのか?」
 いつの間にか茂みの中で睨み合いを始めていたアルクェイドとシエルの二人の間に、志貴が慌てて割って入った。

「誰のせいだと思ってるんですか!」
「志貴が悪い!」

 声を合わせて食ってかかる女性二人に思わずたじろぐ志貴。
「……え? 俺が悪いのか?」
 しかしこの朴念仁は、さっぱり状況を理解していなかった。
 ここまで来ると惚れ惚れするほどの大物である。

「もういいです。遠野くん、一つだけハッキリさせておきますよ」
「ん、ああ。でも来るなってのは聞かないからな」
「もうそんな野暮なことは言いません。もっと単純なことです」
 シエルの目がまっすぐに志貴の目を射抜く。
 腕に浮き上がった、志貴には見慣れない魔術的な入れ墨が例えようのない威圧感を放っていた。
「ここからは自己責任です。死んでも私達には恨み言を言わないで下さい。化けて出るのも祟るのも御免です。以上」
「……了解」
 ある意味下手な退去勧告以上に今のは堪えたかも、と思う志貴だった。
 もっとも、それでも帰らないあたり本当に堪えているのか怪しいものだが。


「で、どこから探すんだ? そのロアって奴」
「だいたい位置は絞り込めていますから、そのあたりを中心に手分けをして。ああ、遠野くんはアルクェイドと行動してください。無謀な勇気はいりませんから」
「……了解」
 シエルの中で志貴は完全に邪魔者と決定されてしまったようだ。
「アルクェイド、いいですね……?」
 志貴の保護者役に同意を求めるシエル。
 そこでアルクェイドが浮かない顔をしているのが目に入った。
「アルクェイド、どうかしましたか?」
「ん、大丈夫。悪いけど、志貴は貴女に任せるわ」
「……アルクェイド、貴女まさか」
 あることに思い至ったシエルは真剣な表情をする。
 ことと次第によっては、この場で一戦構えなければならない。
 真祖アルクェイドが吸血衝動に目覚めたら、こんな街などあっという間に滅ぼされてしまうだろう。
 彼女が滅亡する巻き添えになって……。
「大丈夫。だけど志貴が傍にいると刺激されるのよ。何でかよく分からないけどね」
「……分かりました。では遠野くんは私と行動ということで」

 吸血衝動には対象への好意が大きく影響を与えるという研究報告がある。
 相手を自分のものにしたい、支配したいという欲望がそれを刺激するのだそうだ。
 とすると、アルクェイドはこの時点でかなり遠野志貴に入れ込んでいたと言えるだろう。
 もっとも、それもロアによって力を奪われたために、衝動をコントロールすることが出来なくなりつつあるということでもあった。

「じゃ、行こうか二人とも」
「って、何で遠野くんが仕切ってるんですか!」
「え? あれ?」

 うーん、と首をかしげて志貴が悩み出す。
 彼はあくまでお供であって引率者ではない。
 では、何故号令をかけた? 何故死地へと急ごうとする?
 はっきりとした答えは出なかったが、それでも少年は答えた。

「俺は行かなきゃならないんだ。色んなことに答えを出すために」

「はぁ?」
 間の抜けた声がハモる。
 大丈夫か? 恐怖に気が触れたか?
 そんな失礼な考えが、彼を見つめる二人の頭に浮かぶ。
 そして出た結論は……。

『そっとしておこう』

 だった。
 いや、実際のところ、ここにそろった三人とも既にまったく違った目的でこの場に立っているのだろう。
 時は満ちた、もはや留まる時ではない。
 誰ともなく、歩み始めようとしたその時だった。

 ――グガァァァッ!

 何か、闇をつんざく凄まじい悲鳴のようなものが三人の耳に飛び込んできた。
 否、悲鳴というよりも振動。
 何かが崩れ去る、ある種特殊な勘に優れた者にしか聞こえないそんな破滅の音だった。
「今のは?」
「あっちから聞こえたわ」

 アルクェイドの指差す先、そこはちょうど志貴の通う学校がある方角だった。

「学校……今日の捜索ポイントのほぼ中心部です」
「急ごう。今の音、絶対ただごとじゃない」

 三人は顔を見合わせ、頷くと同時に走り出した。












最果てより世界におくる、この物語を

Page 5 「断罪――転生無間――」















「なぜ…だ……混沌……」
 まるで干からびたミイラのように骨と皮だけになった男が、己を見下している少女の姿を虚ろな目で捉える。
 男の名前はミハイル・ロア・バルダムヨォン。
 いや、正確にはかつてその名で知られた男の転生体である。
 だが、今となってはどうでもよいことだ。
 彼はこの世界から消滅しようとしていたのだから。
「元より我等は二十七の方向性に過ぎぬ。至る道が近ければ利用するのは自明の理であろう?」
「ぐ、ぐそぉぉぉ……」
 もはやまともに喋ることも、思考することもかなわない男の姿に、サツキの内なるネロは侮蔑の視線を送った。
 自らが食い散らかしたモノに噛みつかれるとはとんだ愚か者だ、と。
「蛇よ、貴様には欠片の価値も無い。其処で己が浅慮を恥じながら怨嗟を上げ続けろ」
「ふ……ふぐぉぉ……」
 乾いた指がカサカサと地面を擦る。
 だが、その指はもう何も掴むことはない。
 サツキはもがき続けるそのガラクタを嗜虐的な笑みを浮かべて見つめていた。
 自分を苦しみに突き落とした張本人の命は、既に彼女の手の内である。
 今こうしてもがき苦しませているのも、全て彼女の思惑だった。

「あれは!?」

 真夜中のグラウンドに複数の足音が響き、そのうちの一人から叫び声が上がる。
 その声を聞きつけたサツキは、ゆっくりとそちらに振り返った。
「待ってたよ。お姫様、センパイ……ふぅん、志貴くんもいるんだ」
「待っていた……?」
「待って下さいアルクェイド。彼女の後ろに何か……」
 相変わらず不遜な態度を見せつけるサツキに対し、すぐさま戦闘態勢を取るアルクェイド。
 だが、サツキの後ろに転がっているモノに気付いたシエルの言葉でそれは中断される。
 ソレを見た瞬間、三人が短い叫び声を上げた。

 二人の女性はソレが何であるのかに気付いて。
 少年はソレの異様な外見に驚いて。

「あははは、そうそう。お姫様達にこれ見せてあげたかったから壊さないで待ってたんだよ」
 サツキは愉快そうにソレを持ち上げ、これみよがしに三人の前へと投げ落とした。
「ア…アァ……ウ…ァ……」
 その衝撃で顔面の半分がひしゃげたソレは、悲鳴にもならないかすれた音を発する。
 ミイラのようなソレはまだ生きているのだ。
「……ロア」
「ロア? それじゃこいつが?」
「ええ、私達の探していた吸血鬼です」
 アルクェイドとシエルが探していた吸血鬼。
 だが、ソレは志貴の想像とは大違いの哀れな姿となっていた。
 もはやまともに動くことも喋ることもできまい。

「一体、何故こんな姿に……」
「逆吸血よ」

 呆然として呟いたシエルの言葉に、アルクェイドが即答する。
「逆吸血?」
「ええ。吸血をした相手から自分の血を取り返すこと」
「しかし、主人に逆らえない死徒にそんなことが出来るはずが……」
「ヤツには可能なのよ。何たって、主人と同等以上の死徒と同化してるんだからね。だからロアの支配を断ち切れた」
 スラスラと説明を述べるアルクェイドだが、その顔には何か悔しさに似たものが覗く。
 それを見てシエルはふと思い当たることがあった。
「アルクェイド、貴女ひょっとして……」
「ええ、わたしが試してみるつもりだったのはそれよ」
 力を取り返し、ロアを滅すると言う意味でこれほど有効な手段はなかった。
 吸血とは単に相手の体液を飲むだけではない。
 その気になれば相手の力をも同時に吸い出すことが出来るのだ。
 だが、アルクェイドには躊躇いがあった。
 ロアは死徒といえ、流れる血は成分的に人間のものと大差がない。
 その血を吸うということは人間から吸血をすることと大差がない行為なのだ。
 いや、吸血をタブーとしている真祖にとって、『吸血』行為を行うこと自体が、自身の崩壊を招く危険行為ともいえる。
 それゆえ、彼女はその手段をこれまで選べずにいた。
 だが、目の前の少女サツキにはそのような枷など存在しない。
 それどころか、サツキは吸血鬼専門の吸血鬼だ。
 これから、彼女の牙にかかる吸血鬼は数え切れないこととなるだろう。
 その最初の犠牲者が、他ならぬ弓塚さつきを吸血したロアであったというわけだ。


 三人が地面で蠢く物体を何とも言えない面持ちで見つめていると、突然サツキがにぱっと笑顔を浮かべた。
 まさに悪魔すら背筋が凍りそうな残忍な笑みを……。
「あ、そうだ。お姫様もセンパイもコレには随分恨みがあるんだってね」
「それがどうしたのよ?」
「今からコレに引導を渡してあげようと思っていたところなの。ほんとに、いい時に来たねえ」
 その瞬間、もはや動けないと思われた筈のロアがカッと目を見開き、ズリズリとグランドの外へと這い始める。
 自らに降り注ぐであろう最悪の末路を本能的に感じ取ったのだ。
「あはははは、逃げて逃げて。たっぷり怖がってくれなきゃ面白くないよ」
 地を這うモノにサツキが手をかざす。
 空間から生じた黒い刃が、ソレの手足を一瞬にして根元から削ぎ落とした。
 これではソレは進むことが出来ない。
 もう這うことも出来ない。
 サツキはソレに歩み寄り、せせら笑った。
「どうしよう? 困ったねえ、これじゃ逃げられない」
 ソレは目を血走らせて、腹筋だけで必死に這おうとする。
 だが体は一寸たりとも動いてくれない。
「ねえ、どうしてわたしがあなたの力を全部吸わなかったか分かる?」
 ソレは答えない。いや、答えられない。
 ただ逃れることだけを考えて必死に外へ外へと。
「あなたの転生する力はほんのわずかに残しておいてあげた。わたしって親切だよね」
「コ…ロ……セ……」
「殺せ? そんな残酷なこと出来ないよ。命って尊いものだからね」
 もはや許しを乞うことも、逃れることも出来ないのは分かっている。
「ねぇ、犬が良い? それとも猫かな?」
 それでもソレは逃げようとした。
「リスなんて可愛いと思わない? あ、ハムスターも捨てがたいよね」
 力を吸われ、著しく劣化した転生能力。
「蝶なんて綺麗じゃない? 蛍とか儚くてわたしは好きだな」
 彼は、それが持つ意味に気付き、そして狂わんばかりの恐怖に襲われた。
「アハハハハ、ゾウリムシくらいには生まれ変われるといいね」
「ヒ…ァ……」
 歯を地面に引っかけ、前に進もうとするロアだったモノ。
 だが、無情にも審判は下された。

「バイバイ」


 ――グシャッ

 ソレの頭が破裂する音に、三人は思わず目を背ける。
 憎んでいた者ですら目を背けたくなる……アカシャの蛇と呼ばれた死徒の無残な末路だった。
 いや、彼の為に犠牲になった人々の人生を思えば、これが似合いの末路だったのかもしれない。
 彼は転生し続けるだろう。
 無間地獄とも思える、彼自身が構築した輪廻の輪の中で……。




「弓塚っ!」
 凄惨な光景を前にして、一番先に時の流れへと復帰したのは、予想外にもそのような事態に一番慣れていないはずの志貴だった。
 パチン、と金属音を響かせ、七つ夜と刻まれたナイフをサツキに向ける。
「答えろ弓塚! それがお前の本性か? あの日、俺に見せた笑顔は嘘か!?」

 ――答えろ弓塚っ!

 志貴はあらん限りの声を出して吠えた。
 信じたくなかった。
 あの日、下校を共にした彼女がこんなことを平気でやってのけるなんて。

「とおの……くん……?」

 サツキは思わぬ事態にきょとんとする。
 あの遠野志貴が吠えた?
 いつもどこか無関心な態度の遠野志貴が、ありえないくらいにまっすぐな気持ちをぶつけてきている。
 その対象はサツキの中に眠る、弓塚さつきだった。
「遠野くん、わたしは……」
 サツキはうつろな目をして志貴に一歩接近する。
 しかし、次の瞬間胸を押さえて苦しみ始めた。
「うっ……あぐっ!」
「弓塚?」
「お願い、殺して遠野くん。遠野くん……なら出来るんでしょう。わたしはずっと……見てたから……知って……」
 そこでサツキの足がカクンと落ちる。
 ゆらりと再び立ち上がった彼女の顔は、先のロアを惨殺した時のような、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
 ヤバイ――直感的にそう感じて後ろに跳び、距離を置く志貴。
 だが、サツキはその行動に対して特に関心を示さなかった。
 遠野志貴は彼女が狩る対象ではない。
 だから攻撃をすることなどありえないのだ。

「見ててね、志貴くん。志貴くんが認めてくれるような『死』を見せてあげるから」
「弓塚、やめろ!」
「あ、そうだ。これは無い方がいいよね」

 志貴の叫びなど全く問題とせず、サツキの放った何かが志貴の眼鏡を落とす。
 その瞬間、眼に映った光景に志貴は愕然とした。
 ラクガキまみれの壊れやすい世界。
 それが、どこにも見当たらないのだ。
 いや、ラクガキはあった。
 自分と、そしてサツキが視線を送る二人の女性にのみ存在している。
 一番壊れやすいのは自分、その次はシエル、一番壊れにくいのがアルクェイドだ。
 だが、サツキには、サツキを取り巻く世界にはどこにも壊せるところがない。
 『完璧な世界』の中に不完全な生き物が三つ。
 それが、志貴の感じ取った状況の全てだった。


「さてと。お待たせ、お姫様。センパイもやる気みたいだね。まあ、それもそっか。アレの力を取り込んじゃったから、わたしが生きてる以上状況は変わってないもんね」
 サツキが身構えるアルクェイドとシエルに向かって悠然と歩を進める。
 彼女の言葉通り、二人が戦う意味は今尚変わらず存在していた。
 対象がロアではなく、新祖サツキに変わったまでのことである。
 血と共にロアの知識を取り込んだサツキは、それを知っててわざと二人を挑発するかのようにあざ笑う。



            さ あ 殺 そ





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