夏休みになった。

当時通っていた小学校の校庭で友達と遊んでいた時、フェンス越しに視線を感じた。

そちらに目を向けると…

赤毛の女の子がいた。

寂しそうに、うらやましそうに私達を見つめていた。

美汐「私達と一緒に遊びたいの?」

少女「……………うんっ!」

そう言って…

がしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃ!

その少女は、もの凄い勢いでフェンスをよじ登った。

少女「着地っ!」

少女「にゃはははは! すごい? すごい?」

美汐「ええ、凄いですね…」

私は、その子のまるで野生動物のような運動神経に呆然としていた。

美汐「始めまして、私は天野美汐といいます」

少女「んに? みしお?」

美汐「あなたのお名前は?」

少女「なまえ…」

表情が曇った。もしかして…

物凄く変な名前をつけられてしまったのだろうか?

少女「…んに…あのね…」

少女「みちるはね…みちるっていうの…」

美汐「みち…る?」

みちる…私の妹の名前。

そして、あの子狐につけた名前…

美汐「そう、みちるというのね」

みちる「んに…」

美汐「いい名前ね、みちる」

みちる「…んに?」

みちる「うんっ!」

それからみちると色々と遊んだ。

みちる「美汐、やってみて」

ふぅ〜

ぱちん!

美汐「きゃっ!」

みちる「にゃはははは、美汐はへただな〜」

みちる「こうやるんだよ、こう」

ふぅ〜

ほわん…

みちる「…ね?」

美汐「………」

シャボン玉…

私は、こういう微妙な力加減が必要な遊びは苦手だった。

 

 

遊びに夢中になってるうちに、すっかり暗くなってしまった。

みちる「真っ暗になっちゃったね」

美汐「お母さんに心配させてしまいますね」

美汐「お家まで送りますよ、あなたのお家は?」

みちる「お家?」

みちる「みちるの…お家…」

美汐「あら、お母さんに怒られるの?」

美汐「大丈夫ですよ、もしそうなっても私が代りに謝ってあげますから」

そう言って頭を撫でた。

………!

美汐「すごい熱…!」

みちる「んに…? なんかゆれてる…」

美汐「大変! 早くお家に帰って休まないと!」

みちる「お家…? みちるのお家…ない」

美汐「ないって、そんな訳ないでしょう?」

みちる「ないよ…みちるの居場所…ないの…」

美汐「そんな事言わないで! じゃあ、私の家に行きましょう?」

みちるを背負って私の家に走った。

美汐「私の家に居ていいですから! いつまでも居ていいですから!」

火事場の馬鹿力なのか、みちるを背負いながらでも駅前の歩道橋を凄い勢いで駆け登れた。

みちる「めいわくに…なる…」

美汐「そんな事ないです! お母さん達、優しいから、優しくしてくれますから!」

みちる「おかあ…さん…?」

美汐「そう、お母さん! 手当てしてくれますから!」

 

 

ようやく自宅に到着した。

美汐「お母さん、みちるが…この子が大変なの!」

とりあえず私の部屋に寝かせている。

父が仕事から帰って来た。

父「早く親御さんに連絡しないと」

母「あの…みちる…って子の名字はなんて言うの?お家は?」

美汐「名字は…言わなかった。お家は…ないって」

父「………」
母「………」

両親は複雑な表情でみちるを見つめている。

当然だろう。早くみちるの家族に連絡しなくてはならない。

それに、名字も自宅も言わず、居場所がないと言ったこの子の家庭には、複雑な事情があるのかもしれない。

いや、それだけではなかった。

みちるは似ていたのだ。

両親と、その娘である私に。

ずっと私達はみちるのそばにいた。

何度も濡れたタオルを絞り、みちるの額を冷やし続けた。

そして、夜があけた。

うっすらとみちるの目が開いた。

みちる「んに…?」

美汐「大丈夫?」

みちる「………んに…」

母「あなたの名字は? お家に連絡入れないと」

みちる「………わかんない…」

美汐「わかんないって…あなたの名字よ?」

父「熱で混乱してるのだろう…心配はいらない、熱が引くまでここでゆっくり休みなさい」

 

 

そしてみちるの熱は下がった。だが…

医師「君の名前は?」

みちる「みちるはね…みちるっていうの…」

医師「では、みちる君、君の名字は?」

みちる「………」

医師「名字が、みちるなのかな?」

みちる「………」

医師「それとも、みちるみちると言う名前なのかな? だったらかなり変な名前だな?」

みちる「………」

医師「…失礼した」

みちる「…よくわかんない」

医師「頭部には、これと言った外傷は見受けられません」

医師「発熱していたそうですが…脳自体に異常も見つからず、後遺症も有りません」

医師「したがって…この子の記憶喪失は心理的な物が原因と思われます」

医師「だが身元がわからない以上、手がかりもなくお手上げです」

医師「何かのきっかけで記憶が戻るのを気長に待つしかないでしょう」

父「身元については、警察にあたって見ましたが駄目でした、『みちる』と言う名前の捜索願いも出ていないそうです」

医師「そうですか…」

みちる「…みちる、どうしよう…」

母「私達のお家に来る?」

みちる「んに?」

美汐「思い出せるまで一緒に暮らしましょう?」

医師「それがいいですね」

父「歓迎するよ」

みちる「うんっ! ありがとっ! おばさん! おじさん! 美汐!」

こうして私達は一緒に暮らす事になった。

 

 

母「はい、お弁当」

母「みちる、美汐、行ってらっしゃい」

みちる「おばさん、いってきま〜す」

昨日、一緒に遊んでいた男の子が 『麦畑にミステリーサークルを作ろう』と言い出した。

実は、私もこう言う悪戯は大好きだった。

そして、長期戦になるのでお弁当を持ち寄ることになったのだ。

ロープ等を使って正確に麦を踏みつけて、図形を作り始めた。

さっきから気になっていたが、時々私達を見つめる女の子がいた。

だが、一緒に遊ぼうと声を掛けても逃げてしまった。

少年「あいつには……ちょっと事情があってさ、そっとしておいてやってくれないか」

どうやら知り合いらしい。

少女「意地悪しないで仲間に入れてあげようよ」

少年「うるさいな、色々あるんだってば」

この2人とは夏休みになってから知り合った。

ふたりは、いとこ同士らしい。

男の子は遠く離れた街に住んでいて、冬休みや夏休みにはこの女の子の家に遊びに来ているそうだ。

美汐「そろそろお昼なのでお弁当にしましょうか」

遊ぶ時に、ふたりとお弁当を持ち寄っては、よくおかずを交換していた。

ふたりのお弁当も美味しかった…が。

この前、ふたりが持ってきたお弁当の中のジャムサンドは…何故かふたりとも手をつけなかった。

綺麗なオレンジ色のジャム。

好奇心に駆られた私は、ふたりの静止も聞かずに食べた…

食べた…筈だ。だがどんな味だったのか、その日他に何があったのか記憶がはっきりしない。

まあ…覚えていないという事は、どうでもいい事だったのだろう。

みちる「おべんと〜おべんと〜♪」

少年「おっ! ハンバーグ! 天野ん家のは秋子さんのと同じぐらい美味いんだよな」

美汐「秘伝ですから」

どうやら秋子さんと言うのが、あの女の子の母親らしい。

みちる「んに? はんばぁぐ?」

美汐「たくさんありますからね」

みちる「にゅおおおおーーーっ!
     はんばぁぐだぁーっ!」

凄い反応だ、大好物なのだろうか?

少年「いただきまーす」

男の子がハンバーグに箸を伸ばす。

その箸をみちるの箸が素早く叩く。

みちる「ぱくぱくぱく♪」

当のみちるは、何事もなかったかのような笑顔でハンバーグを食べている。

少年「………」

彼は何も言わずに再び箸を伸ばした。

ずいっ

ぱしっ

少年「………」

みちる「ぱくぱくぱく♪」

もう一度箸を伸ばす。

ずいっ

ぱしっ

少年「………」

みちる「ぱくぱくぱく♪」

さらにもう一度箸を伸ばす。

ずいっぱしっ

ずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっ

ずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっ

少年「………」

少女「2人ともお行儀悪いよ」

みちる「ぱくぱくぱく♪」

少年「………」

ごんっ!
みちる「にょべしっ!」

みちる「 げほ げほ げほっ!」

激しく咳き込んだ、今のチョップのショックで気管に入ってしまったらしい。

みちる「あ、あぶないじゃないかーっ! いっしゅんお花畑が見えたぞっ!」

少年「うるさいっ! この妖怪たらふく小僧っ!」

たらふく小僧…?

私の妖怪図鑑には、そんなの載ってなかった。

…って、そうじゃない。

みちる「んにゅう〜!」

少年「ふかーっ!」

みちる「あっかんべろべろぶーっ!」

少年「キシャーッ!」

美汐「けんかしないで下さい、まだたくさんありますから…」

この少年は、はっきり言ってがさつだった。

そして私の服装は、この少年と似ている…何か嫌だ。

これからは、他の女の子みたいにスカートをはこうと思う。

とにかくみちるは元気な子だった。

もし妹の『みちる』が生まれていたら、こんな感じだったのだろうか?

 

 

みちる「んに…びっくりした…」

美汐「はあ…はあ…あれだけ…騒げば…畑の…持ち主に…見つかり…ます…よ…」

あの後、私達は麦畑の持ち主とおぼしきおじさんに怒鳴られて、散り散りになって全力疾走で商店街に逃げ帰った。

みちる「みちるたち悪くないもん、ぷらずまのしわざだもん」

美汐「麦を踏み付けてる所を見られたでしょう?」

みちる「んに…?」

みちるが何かを見つけたようだ。

みちるの視線を追うと…

建物の隙間に親子らしき猫が二匹いた。

子猫に乳を飲ませ続けている。

みちる「きもちよさそーだね」

美汐「そうですね」

乳を飲み終えた子猫は母猫の横で気持ち良さそうに眠っていた。

母猫は愛しげに子猫を舐め続けている。

みちる「やっぱりさあ…」

みちる「おかあさんって、あったかいのかな…」

美汐「あったかいのかな…って…?」

元気に振舞ってはいるが、記憶がない事はとても不安なのだろう。

それに…母親の温もりを感じられないのはとても寂しいに違いない。

私が心配している雰囲気を察したのだろうか。

みちる「んに? そんなことないよ」

そう言ってくれた。

みちる「おかあさんは…ちゃんといるよ…みちるにだって…」

みちる「うん…ちゃんと…いるはず…」

その笑顔が空々しく見えた。

とにかく安心させたくて、私はみちるを抱きしめていた。

子猫を舐める母猫のように愛しげにみちるの頭を撫でた。

みちる「にゅふふ…あったかい…」

ようやく、みちるの本当の笑顔を見たような気がした。

 

 

数日後、性懲りもなく『ミステリーサークル』を作る事になり、こうして麦畑で弁当をつついている…が。

ぽと

みちる「んに…?」

みちるが箸を落とした、これで7回目だ。

少年「スキありぃ!」

みちる「にょわっ! 狙ってたはんばぁぐがっ!」

少年「ふふん、隙を見せたお前が悪い」

少年は、箸で摘んだハンバーグをちらつかせながら勝ち誇っていた。

みちる「むうぅ〜」

みちる「こうだっ!」

そう言って箸を素早くおしぼりで拭いて、ぐーで握り、刺し箸で食べ始めた。

少年「おい、行儀悪いぞ」

どうしたんだろう? みちるは私より手先が器用だった。

この前はハンバーグを奪い合って、凄い箸さばきをしていたのに…

 

学校の裏山で遊んでいた。

学校の裏山から校庭に出るには、このフェンスを越えるのが一番早い。

みちるもフェンスを登り始めるが…

みちる「にょごっ!」

落ちてしまった。

初めて出会った時は、呆然とする程に素早く登っていたのに…

 

ふぅ〜

ぱちん!

みちる「わぷぷっ!」

あれほど得意だったシャボン玉も全然できなくなっていた。

 

みちる「にょぐっ!」

みちる「んに…」

よく転ぶようになった。

一体みちるは、どうしてしまったのだろう?

みちるに何が起きているのだろう?

美汐「大丈夫?」

みちる「んに…」

みちる「みちる、どうなっちゃったのかな…?」

みちる「みちる、どうなるのかな…?」

美汐「……!」

思わずみちるを抱きしめていた。

美汐「大丈夫! 大丈夫です! すぐ元気になりますから!」

みちる「にゃはは…あったかい…」

………!

また、発熱していた。

 

 

みちるは私と一緒のベッドで寝ている。

熱が引けば、またみちるは元気になる。

いずれは記憶を取り戻して…全ては解決する。

そう信じて、今夜はみちるを抱きしめて眠った。

お母さんもお父さんも隣にいてくれた。

寝ている間に、みちるの寝言を聞いたような気がした。

はんばぁぐ…たべれた…おいしかった…

おねえちゃんと…おかあさんと…おとうさんに…あえた…

あ…
り…
が…
と…
う…

 

 

美汐「おはよう…みちる、よく眠れましたか? 具合はどう?」

美汐「みちる?」

いなくなっていた。

両親もこの部屋にいて看病していた。

うっかり寝てしまっても、みちるが抜け出そうとしたら気付く筈だった。

街中探し回り、警察にも届け出た。

私達が『みちる』の捜索願いを出したのだ。

だが、見つからなかった。

あれから、みちるに逢う事は二度となかったのだ。

数年経ち、私は中学生になっていた。

社会科の課題で、郷土史を調べる事になった。

古い本の中のある単語が私の目に止まった。

      『ものみの丘』

…あの場所だ。

記述された内容から判断すると、子供の頃に探検してたどり着いたあの丘の事で間違いなかった。

そして、そこに棲む不思議な獣の伝説があった。

      『妖狐』

多くの歳をえた狐が変化した、災厄の象徴。

他の本で調べると『九尾の狐』と呼ばれていた。

美女に化けて時の権力者に近づき、中国やインド、日本の平安京の政変を引き起こし、毒を吐く石となる伝説があった。

私は直感した。

みちるは

『みちる』だったのだ。

私は、あの時にこう言った

 『あなたが人間だったら良かったのですが』

まさか、そんな荒唐無稽な事が、と思うのだが…

みちる「にゅおおおおーーーっ!
     はんばぁぐだぁーっ!」

みちるはハンバーグにとても執着していた。

それに、最後の夜、みちると一緒に眠った時に懐かしい感覚があった。

『みちる』と一緒に眠った感覚と同じだった。

みちるが妖狐だとしたら、私に振りかかる『災厄』とは何なのだろう?

『ものみの丘』の妖狐については『災厄』についての具体的な記述は一切なかった。

『九尾の狐』のそれとは違うのかもしれない。

そして気付いた。

私は、笑う事も、怒る事も、泣く事もしなくなっていた。

人と触れ合う事を避けるようになっていた。

心をどこかに置き忘れてしまったかのようだった。

これが『災厄』なのかもしれない。

だが、それでもいいと思った。

もう一つ気付いていた事があったのだ。

みちるは寝言でこう言っていた。

『おねえちゃんと…おかあさんと…おとうさんに …あえた…』

あの時、私達をそう呼んだのだ。

妖狐のみちるは、産まれてくる筈だった妹の 『みちる』の生まれ変わりだったのかも知れない。

みちるには、笑う事も、怒る事も、そして産声を上げる事すらも許されなかった。

家族の触れ合いも、友達を作る事もできなかった。

せめて、その悲しみのかけらを少しでも背負ってやらなくてはならない。

私は…みちるのお姉さんなのだから。

こうして、心を閉ざしたままで相沢さんと出会う事になった。

 

 

そして現在。

回りの人達は『明るくなった』『色々と変わった』と言ってくれる。

だが、本質的には何も変わっていない、変われていないと思う。

それは…本当の私ではなく、無理をしている私なのだから。

今日、私は相沢さんと共に『ものみの丘』へ向かう決意をした。

これで最後にするつもりで。

しっかりと、今を生きるつもりで。


再会
  再会1部
  再会2部
  再会3部
再会エピローグ



おまけ
(本編とは関係ありません)


戻る