そちらに目を向けると…
寂しそうに、うらやましそうに私達を見つめていた。
美汐「私達と一緒に遊びたいの?」
少女「……………うんっ!」
そう言って…
その少女は、もの凄い勢いでフェンスをよじ登った。
美汐「ええ、凄いですね…」
私は、その子のまるで野生動物のような運動神経に呆然としていた。
美汐「始めまして、私は天野美汐といいます」
美汐「あなたのお名前は?」
表情が曇った。もしかして…
物凄く変な名前をつけられてしまったのだろうか?
少女「みちるはね…みちるっていうの…」
美汐「みち…る?」
みちる…私の妹の名前。
そして、あの子狐につけた名前…
美汐「そう、みちるというのね」
美汐「いい名前ね、みちる」
ふぅ〜
ぱちん!
美汐「きゃっ!」
美汐「………」
シャボン玉…
私は、こういう微妙な力加減が必要な遊びは苦手だった。
遊びに夢中になってるうちに、すっかり暗くなってしまった。
美汐「お母さんに心配させてしまいますね」
美汐「お家まで送りますよ、あなたのお家は?」
美汐「あら、お母さんに怒られるの?」
美汐「
そう言って頭を撫でた。
美汐「すごい熱…!」
美汐「大変! 早くお家に帰って休まないと!」
美汐「ないって、そんな訳ないでしょう?」
美汐「
ようやく自宅に到着した。
美汐「お母さん、みちるが…この子が大変なの!」
父が仕事から帰って来た。
父「早く親御さんに連絡しないと」
母「
美汐「名字は…言わなかった。お家は…ないって」
父「………」
両親は複雑な表情でみちるを見つめている。
当然だろう。早くみちるの家族に連絡しなくてはならない。
それに、名字も自宅も言わず、居場所がないと言ったこの子の家庭には、複雑な事情があるのかもしれない。
いや、それだけではなかった。
みちるは似ていたのだ。
両親と、その娘である私に。
ずっと私達はみちるのそばにいた。
何度も濡れたタオルを絞り、みちるの額を冷やし続けた。
うっすらとみちるの目が開いた。
美汐「大丈夫?」
みちる「………んに…」
母「あなたの名字は? お家に連絡入れないと」
みちる「………わかんない…」
美汐「わかんないって…あなたの名字よ?」
父「
そしてみちるの熱は下がった。だが…
医師「
父「
母「私達のお家に来る?」
美汐「思い出せるまで一緒に暮らしましょう?」
父「歓迎するよ」
母「みちる、美汐、行ってらっしゃい」
実は、私もこう言う悪戯は大好きだった。
そして、長期戦になるのでお弁当を持ち寄ることになったのだ。
ロープ等を使って正確に麦を踏みつけて、図形を作り始めた。
だが、一緒に遊ぼうと声を掛けても逃げてしまった。
どうやら知り合いらしい。
少年「うるさいな、色々あるんだってば」
ふたりは、いとこ同士らしい。
男の子は遠く離れた街に住んでいて、冬休みや夏休みにはこの女の子の家に遊びに来ているそうだ。
美汐「そろそろお昼なのでお弁当にしましょうか」
遊ぶ時に、ふたりとお弁当を持ち寄っては、よくおかずを交換していた。
ふたりのお弁当も美味しかった…
この前、ふたりが持ってきたお弁当の中のジャムサンドは…何故かふたりとも手をつけなかった。
綺麗なオレンジ色のジャム。
好奇心に駆られた私は、ふたりの静止も聞かずに食べた…
食べた…筈だ。だがどんな味だったのか、その日他に何があったのか記憶がはっきりしない。
まあ…覚えていないという事は、どうでもいい事だったのだろう。
少年「
美汐「秘伝ですから」
どうやら秋子さんと言うのが、あの女の子の母親らしい。
美汐「たくさんありますからね」
少年「いただきまーす」
男の子がハンバーグに箸を伸ばす。
その箸をみちるの箸が素早く叩く。
当のみちるは、何事もなかったかのような笑顔でハンバーグを食べている。
少年「………」
彼は何も言わずに再び箸を伸ばした。
ずいっ
少年「………」
もう一度箸を伸ばす。
ずいっ
少年「………」
さらにもう一度箸を伸ばす。
ずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっ
ずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっずいっぱしっ
少年「………」
少年「………」
激しく咳き込んだ、今のチョップのショックで気管に入ってしまったらしい。
少年「うるさいっ! この妖怪たらふく小僧っ!」
たらふく小僧…?
私の妖怪図鑑には、そんなの載ってなかった。
…って、そうじゃない。
少年「ふかーっ!」
少年「キシャーッ!」
美汐「
この少年は、はっきり言ってがさつだった。
そして私の服装は、この少年と似ている…何か嫌だ。
これからは、他の女の子みたいにスカートをはこうと思う。
もし妹の『みちる』が生まれていたら、こんな感じだったのだろうか?
美汐「
あの後、私達は麦畑の持ち主とおぼしきおじさんに怒鳴られて、散り散りになって全力疾走で商店街に逃げ帰った。
美汐「麦を踏み付けてる所を見られたでしょう?」
みちるが何かを見つけたようだ。
みちるの視線を追うと…
建物の隙間に親子らしき猫が二匹いた。
子猫に乳を飲ませ続けている。
美汐「そうですね」
乳を飲み終えた子猫は母猫の横で気持ち良さそうに眠っていた。
母猫は愛しげに子猫を舐め続けている。
美汐「あったかいのかな…って…?」
元気に振舞ってはいるが、記憶がない事はとても不安なのだろう。
それに…母親の温もりを感じられないのはとても寂しいに違いない。
私が心配している雰囲気を察したのだろうか。
そう言ってくれた。
その笑顔が空々しく見えた。
子猫を舐める母猫のように愛しげにみちるの頭を撫でた。
みちる「にゅふふ…あったかい…」
ぽと
みちるが箸を落とした、これで7回目だ。
少年「スキありぃ!」
少年「ふふん、隙を見せたお前が悪い」
少年は、箸で摘んだハンバーグをちらつかせながら勝ち誇っていた。
そう言って箸を素早くおしぼりで拭いて、ぐーで握り、刺し箸で食べ始めた。
少年「おい、行儀悪いぞ」
どうしたんだろう? みちるは私より手先が器用だった。
この前はハンバーグを奪い合って、凄い箸さばきをしていたのに…
落ちてしまった。
みちる「わぷぷっ!」
よく転ぶようになった。
一体みちるは、どうしてしまったのだろう?
みちるに何が起きているのだろう?
美汐「大丈夫?」
美汐「……!」
美汐「
みちる「にゃはは…あったかい…」
………!
また、発熱していた。
熱が引けば、またみちるは元気になる。
いずれは記憶を取り戻して…全ては解決する。
そう信じて、今夜はみちるを抱きしめて眠った。
お母さんもお父さんも隣にいてくれた。
おねえちゃんと…
美汐「みちる?」
いなくなっていた。
両親もこの部屋にいて看病していた。
うっかり寝てしまっても、みちるが抜け出そうとしたら気付く筈だった。
私達が『みちる』の捜索願いを出したのだ。
だが、見つからなかった。
あれから、みちるに逢う事は二度となかったのだ。
社会科の課題で、郷土史を調べる事になった。
古い本の中のある単語が私の目に止まった。
『ものみの丘』
…あの場所だ。
記述された内容から判断すると、子供の頃に探検してたどり着いたあの丘の事で間違いなかった。
そして、そこに棲む不思議な獣の伝説があった。
『妖狐』
多くの歳をえた狐が変化した、災厄の象徴。
他の本で調べると『九尾の狐』と呼ばれていた。
美女に化けて時の権力者に近づき、中国やインド、日本の平安京の政変を引き起こし、毒を吐く石となる伝説があった。
私は直感した。
まさか、そんな荒唐無稽な事が、と思うのだが…
『ものみの丘』の妖狐については『災厄』についての具体的な記述は一切なかった。
『九尾の狐』のそれとは違うのかもしれない。
そして気付いた。
私は、笑う事も、怒る事も、泣く事もしなくなっていた。
人と触れ合う事を避けるようになっていた。
心をどこかに置き忘れてしまったかのようだった。
これが『災厄』なのかもしれない。
だが、それでもいいと思った。
もう一つ気付いていた事があったのだ。
みちるは寝言でこう言っていた。
『おねえちゃんと…おかあさんと…おとうさんに …あえた…』
あの時、私達をそう呼んだのだ。
妖狐のみちるは、産まれてくる筈だった妹の
みちるには、笑う事も、怒る事も、そして産声を上げる事すらも許されなかった。
家族の触れ合いも、友達を作る事もできなかった。
せめて、その悲しみのかけらを少しでも背負ってやらなくてはならない。
私は…みちるのお姉さんなのだから。
こうして、心を閉ざしたままで相沢さんと出会う事になった。
そして現在。
回りの人達は『明るくなった』『色々と変わった』と言ってくれる。
だが、本質的には何も変わっていない、変われていないと思う。
それは…本当の私ではなく、無理をしている私なのだから。
今日、私は相沢さんと共に『ものみの丘』へ向かう決意をした。
これで最後にするつもりで。
しっかりと、今を生きるつもりで。
母「………」
はんばぁぐだぁーっ!」
みちる「にょべしっ!」
はんばぁぐだぁーっ!」